第15話

 しばらく平穏が続くかと思われたが、捕らえた盗賊たちの様子が一変したと、牢の番人から報告があった。


 当初は食欲がなくなり、顔色が悪くなっているくらいの変化しかなかった。捕まったことで何かしら精神に影響が出たのだろうと思われていた。


 だが徐々に変化が現れた。独り言を呟くようになり、顔色は病人とまるで変わらないものとなった。今では眼窩がんかが落ちくぼみ、どこを見ているのか分からない目は、正気を失っているようにしか見えない。


 そして、盗賊の頭である魔女が死んだ。


 他の盗賊のように正気を失ったのだが、その後自身の身体を掻き毟り、泡を吹いて死亡したのだ。

 魔女が死んだという報告は、家臣たちだけでなく、国王すら驚愕したようだ。

 病なのか、呪いなのか、はたまた別の何かなのか。原因がはっきりしない。


 一段落がついたと思っていた矢先のことで、黒騎士隊の中でも動揺が走った。

 エセルバートが呆気ないと感想を漏らしたように、皆何か足りないとは思っていた。

 まだ盗賊の後ろに何かが見え隠れしている。そう囁かれるのも必然だったのかもしれない。


 そして、街の中でも異変が起こっていた。

 貧困街を中心に、ぼんやりしている人間が増えたのだ。ただ何もせずに、ぼうっと焦点の合わない瞳で虚空を見つめているのだ。

 ぼんやりしているだけで、今のところ実害はない。だが、徐々に数が増えていた。


 最近では、人の多い区画でも現れ始めている。

 街の中では、信憑性に欠けた様々な噂が流れていた。

 魔女の呪いや、流行病が中心に語られている。しかし、呪いであればこれだけの人数をたった一人で行うのは難しい。病であれば人に移るはずだがその様子はない。

 分からないからこそ、人はさまざまな憶測をしてしまう。


 他の病の可能性もあることから、診療所や医師が率先して受け入れているという話もある。それでも人数が増え続けていて、すべての人を収容するには無理がある。

 そして、不安に駆られた人や、この機を逃すまいとする悪人が、トラブルを起こして街の治安が悪くなっていた。


 騎士団もその対応をするために人員を総動員して事に当たっている。

 今回は黒騎士の要請は除外された。盗賊たちの背後に、まだ魔女がいる可能性が捨てきれないからだ。


 突然事態が急変してしまい、エセルバートにも焦りが生じていた。

 宿に泊まっているエマがどうなっているのか、まるで情報がない。街へ出たくても、黒騎士隊は城の敷地内で待機しなくてはならない。


 また誰かにエマが魔女だと知られたら、今の状況では何をされるか分からない。街の住人たちに集団で襲われるかもしれない。

 苛々と爪を噛みながら、訓練場で大人しくしているしかない。


 ぴりぴりしているのは他の騎士も同じだった。街に家族や知り合いがいる騎士は意外と多いのだ。

 皆ぎくしゃくして、落ち着かない気持ちでいる。


「エセル、無理はするなよ」


 こんなときでもリーヴァイは落ち着いている。側にいてくれる彼の存在は心強いはずなのに、今は火に油を注ぐ状態だった。

 口を開けば喧嘩腰で話してしまいそうだ。相手が大切なのは変わりないのに、自身の余裕のなさで傷つけることは避けたい。


「……分かってる」


 最近は、口から思ってもないことが出ないように、一度深呼吸してから話すようにしている。

 それでも余計な一言が口から飛び出してしまいそうで、ぐっと奥歯を噛みしめた。

 このまま訓練場にいても、誰のためにもなりそうにない。


「少し、頭を冷やしてくる」

「ああ」


 リーヴァイが頷くのを確認してから、城内へ向かう。

 関係者がよく出入りする入り口から入ると、売店の前を通る。


「エセル様!」


 声をかけられて足を止めると、売店のカウンターから急ぎ足でアルマがやって来た。


「お久しぶりです。最近会えませんでしたが、お元気でしたか?」


 大きな瞳を潤ませて、眉尻を下げると普段よりもさらに小動物の雰囲気が増す。

 尖っていた気持ちも、アルマの空気に癒やされて多少ましになる。


「最近はばたばたしていたからな。少し疲れを感じはするけど、まだ大丈夫だ」

「無理はなさらないでくださいね」

「ああ、気を付けるよ」


 久し振りに安らいだ気持ちになっていると、城門の方角から爆発音が聞こえた。一回、二回と聞こえて、慌てて窓から外を覗く。

 街のあちらこちらから煙が上がっていた。


「いったい何が……」


 人々の騒ぐ声が上がっている。今まで小さなトラブルはいくつかあったけれど、とうとう暴動でも起きたのだろうか。

 焦る気持ちを抑えて、一度訓練場に戻ろうと決める。


「アルマ、俺は戻るけど、あんたは城に残っていろ」


 緊張した声で言うとアルマが腕に縋りついてきた。豊満な肉体が押し付けられて、驚く。

 密着するほど近くにいては、呪いが発動してしまう。まずいと思って離れようとするけれど、アルマの力は予想以上に強かった。


「エセル様、どこへ行くのですか。私と一緒にいてくださいな」

「アルマ、離してくれ」

「大丈夫ですわ。呪いは発動しませんから」

「え……?」


 エセルバートは驚いて動きを止める。

 アルマに一度でも呪いの話をしただろうか。そして、なぜ彼女の言う通り何も起こらないのだろう。


 青い瞳が蠱惑的に潤み、女性らしい肉感の身体を押し付けてくる。唇が妖艶に笑むと、なぜか蛇に睨まれている蛙のような気分になる。

 普段と違いすぎる様子のアルマに、戸惑うしかない。


「アルマ……?」


 二人しかいない空間に、突如それ以外の人間が入り込んでくる。


「ここにいたのか、エセル!」

「レヴィさん」


 慌てていたリーヴァイは、エセルバートを見つけるとほっと安堵の息を吐く。

 アルマに気づいていない様子で、灰髪の上司は状況の説明を始めた。


「原因不明の症状が出ていた街の人たちが、急に狂暴になって暴れ始めた。さっきの爆発は城門を破壊しようとして起こったものだ。街の中でも暴れていて、かなり被害が出ている」


 意思を感じられないと言われていた謎の症状を発症した人たちが、なぜ今になって暴れ始めのだろうか。


「アルマ。すまないが手を離してくれないか?」


 エセルバートの声で、ようやくリーヴァイがアルマに気づいた。腕を組んでいるようにしか見えない二人に、一瞬眉が跳ね上がる。しかしエセルバートが困惑している様子を見て、考えを改めたようだ。

 アルマはゆっくりと腕を放す。


「すまない」

「エセル様は鈍いんですのね」


 くるくると踊るようにしてステップを踏むと、アルマは艶やかな笑みを浮かべる。


「まだ分からないんですの?」


 ほっそりとした右腕を掲げると、アルマの影から次々と人影が湧き出てくる。


「これは……」


 現れたのは、今まで牢獄にいたはずの盗賊たちだった。頬がこけ、肉が削げ、骨と皮だけにしか見えない。生きているのかも分からない状態で、生ける屍アンデットのように立っている。

 呆然と見るエセルバートと違い、リーヴァイは事態を察して剣を構えた。


「アルマ、お前まさか!」


 リーヴァイの声にアルマはにこりと笑みを浮かべる。


「ようやく気付いたんですの? 私があなた方の探していた魔女ですわ」


 甘く、魅力的な笑みなのに、狂気じみた匂いがした。瞳は興奮しているのか、爛々と光っている。


 再び影が蠢くと、アルマの背後に控えるようにして、鎧を着た骸骨スケルトンが現れた。

 骨しかないのに、重厚な鎧を着こなして魔女を守るように立っている。古い鎧だが、質のいいもので、使い手によっては最高の防具となるはずだ。

 ただの骸骨ではなく、おそらく相当の手練れである。


「やっておしまいなさい。特に、灰色の髪の男は殺しても構わないわ」


 魔女の声と同時に、アンデット化した盗賊が襲いかかってくる。

 エセルバートも剣を抜いて応戦する。武器を持たない盗賊たちは、素手で二人に掴みかかる。以前ならばもう少し俊敏に動いていたはずだが、現在の彼らは動きが鈍く、足取りが遅い。


 これでは剣を持っている騎士相手には不利である。

 一方的に斬られに向かってくる彼らを見て、エセルバートが悲痛な声を上げる。


「こいつら、元に戻らないのか!?」

「無駄ですわ。だって、これの原液を飲んでいるんですもの」


 懐から出した小瓶の中身を見て、エセルバートは唖然とする。


「それは……」

「私が露店で会った魔女だと、気づいているのではないのかしら? それなら、これが何かも予想できますわよね」


 はっきりと言われて確信する。あの瓶の中身は偽物の竜血である。


「薄めたものは今街で暴れている方たちが飲んだものです。すばらしい効果でしょう?」

「なんてことをしたんだ……」


 相手は元は盗賊であり、同情する余地もないのかもしれない。けれど、街の人々は無関係である。


「盗賊をあの廃坑に置いておいたのは正解でしたわ。弱くてすぐに捕らえられてしまったけれど、おかげで魔女を気にせずにここに転移できたんですから」


 エセルバートは魔女ではないため、話の意味は半分も理解できない。けれど、盗賊たちが城の中にいたから、今こうして目の前で生ける屍と化して襲ってきているのだということは分かった。


「まあ、魔女の振りをさせたあの男は、たくさん飲んでいたから身体が持たなかったみたいですけど」

「振りだって?」


 リーヴァイの声にむっと口を曲げて、アルマは不機嫌な顔になる。


「どういうことなのか教えてくれ」


 しかしエセルバートが言い募ると、嬉しそうに微笑んだ。


「私が魔法で姿を隠して、あの男の後ろからあなた方に魔法を放ったんですの。遠目からはよく分からなかったでしょう?」


 そんな単純な方法で盗賊の頭は魔女に仕立て上げられ、黒騎士たちは誤解したのだ。

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