第12話
薔薇の苗が植えられている区画まで来る。最初はぽつぽつとしか咲いていなかった薔薇の花は、奥へ進むと次第に開いた花が多くなる。
薔薇は色ごとに分けられている。赤い薔薇が一面に咲いている場所まで来ると、ようやくリーヴァイが足を止めた。
「お前が女だったら、百八本の薔薇でも用意するんだけどな」
「え」
「意味は分からんでもいいさ」
自己完結してしまうリーヴァイに、少し腹を立てて軽く睨む。
「俺は俺でしかない」
男だろうが、女だろうが関係ない。ここにあるのはエセルバートという人間でしかない。それを分かっていてわざわざ口にする男に苛々した。
「分かってるさ。お前はお前でしかない。他に変わりなんかいやしない。だから俺も悩んでいたんだ」
「あんたがですか?」
悩みとは無縁そうな、本能で動いているこの男が、エセルバートのことで頭を抱えていたのだろうか。
あまり想像できない。首を捻っていると、あけすけに呆れた目を向けられていた。
「エセル、もう少し先輩を敬えよ。……俺の態度が悪かったことも認めるけどな。初めて会ったときなんて、俺の印象最悪だっただろ」
五年も前の話だが、初めて黒騎士隊で会ったとき、この男は楽しそうに笑っていた。
「もうすぐ第三騎士団に入れたのに、残念だったな」
原因不明の高熱と激痛で、命が危なかった後輩に、実に楽しそうに、そして心底嬉しそうに言ったのだ。
人の不幸を喜ぶ人間を好きになれるわけがない。
だが、後日その理由を聞いて、今では怒りはない。
「腹は立ちましたけど、今はそれほどではないです。レヴィさんも俺と同じように、途中から黒騎士を目指すことになったそうですね」
「……知っていたのか」
「あんたのことですから、似た境遇の人に同情なんかしたくなかったんでしょう」
あの頃のエセルバートは妹が失踪し、志望先が変わって精神的に不安定になっていた。
小さな気遣いであれ、同情などされていればおそらく修復不可能なくらい、人間関係が拗れていたはずだ。
未練がましい自分の状態はよく理解していたけれど、エセルバートも男である。それなりに矜持はあるのだ。
「根性悪いですね」
本当は、あのときのことをそんなふうに感じていない。けれど、意地悪く笑いながら言う。
「俺は誰かと、こんなに深く付き合うなんてしたことはない。昔は親父といろいろあってやんちゃもしたが、基本的に自分から誰かに絡むタイプじゃない」
「女性と遊んだのは本意ではないと?」
「女は柔らかいし、抱くととてもいい気分にさせてくれるが、ともに戦おうと思うような存在じゃない」
狼のように雄々しく、誰か一人に固執しないこの男が、エセルバートだけは隣に置こうとする。この五年間一緒にいたのだから、そこに嘘がないということは実体験で学んでいる。
喜びとも、快感ともいえる感情が、足の爪先から背筋を通って、ぞくぞくと身体が震えた。
優越感に近いかもしれない。
この感覚は癖になりそうで、いろいろとまずい。
「俺はこれでも常識人だからな。男だってことも悩んだし、家のこともある。だが、親父に許しをもらったし、気にしないことにした」
実父に相談までしたことは、想像もしていなかったけれど、それだけ本気なのだ。
家族から絶縁される可能性だってあったはずだ。エマが父に受け入れられなかったとき、それをこの目で見てしまったから、苦しい感情も知っている。もちろん、本人と比べることなど到底できないことも理解している。
目の前の男がその思いを知らずにすんでよかったと、心底思った。
「俺はお前が好きだ。生まれて初めて他人にこんな感情を持った。ずっと側にいたいし、触れていたい。誰かに隣を譲るなんて無理だ。女だろうが、男だろうが、誰にも渡したくない」
眉間に皺をよせ、刃物のような鋭い目には殺気を込めているのに、それ以上に甘ったるく、熱っぽい。
正面から見据えられるとその眼力にがんじがらめにされて、身動きが取れなくなる。
このままこの男を受け入れてしまえばいい。そうすれば、エマが言っていた最悪の未来は訪れないかもしれない。
そんな打算的な考えが浮かび、すぐ振り払う。
リーヴァイをそんな不純な動機で、受け入れたくなかった。
けれど、それでは突き放すことも、受け入れることもできない。
エセルバートは、心地いいリーヴァイの手を自分から離せる勇気がなかった。
八方塞がりだ。前にも進めず、後ろにも逃げられない。降参である。
「……正直に言っていいですか」
「嫌い以外なら構わない」
こんなときでも冗談を言って、明るく場を持たせようとする男に苦笑が漏れる。
これから言うことは卑怯者のすることだ。正面から真っすぐに凝視する赤い目を見ていられず、俯いて視線を逸らした。
「俺はあんたの手を取れないけど、振り払うこともできない。ずっと近くにいたレヴィさんがいなくなるなんて、想像できないんですよ。あんたのことは好きですけど、恋愛感情の好きじゃない。でも突き放すこともできない。どうすればいいですか」
ぎゅっと瞼を閉じて、制御できない自分の感情を吐き出した。臆病な部分を初めて人にさらけ出して、恐怖で身体が震えた。
「それ、もうすぐ俺の方に転がってくるんじゃないか?」
「そうとは限らないでしょう!」
軽く流そうとする男に、反射的に怒りで上げた声が裏返りそうになる。
「でも、俺に依存しそうなんだろ? それはそれで構わないんだが」
「でも、俺はあんたを好きじゃない」
「人の感情は移ろいやすいものだ。なんなら、お試し期間で付き合うのはどうだ」
それを考えなかったわけではない。けれどあまりにも好意を抱いてくれた人に対して、失礼ではないだろうか。
快く応じることができずに、エセルバートは固く口を引き結んだ。
「期間は、エセルに好きな男ができるまでっていうのはどうだ?」
「なんで男限定なんですか?」
「その呪いがあったら、女に近付けないだろ」
「それはそうですけど」
「決まりだな」
まだ頷いていないのに決定されてしまい、目を白黒させてリーヴァイの襟元を掴んだ。
「俺は、まだ了承してません!」
「エセルに任せていたら、進めるものも進めないんじゃないか?」
好きではないのに、告白を断ることもできないのだ。説得力がありすぎて、その場で項垂れてしまう。
「お前が嫌がるようなことはしないから、しばらく流れに任せるのもいいと思うぞ」
「あんたがそれでいいんなら、もういいですよ」
本人がいいと言っているのだから、これ以上気にする必要もないだろうと、最後には諦めてしまった。
これまで、リーヴァイが自分に恋愛感情を抱いていると知らなかった。今回のことでリーヴァイの一面しか見ていないと気づいたのだ。
このお試し期間で彼をもっと知ることができれば、エセルバートも自身の気持ちも答えを見つけることができるかもしれない。
逃げではなく、きちんと前進できるように、彼をまっすぐ見ようとようやく前向きになる。
「覚悟しておけよ」
しかし、最後に楽しそうに目を光らせるリーヴァイを見ると、気持ちが萎えてしまうのだった。
仮の恋人として交際がスタートしてからすぐ、エセルバートは後悔し始めていた。
「エセル、この書類記載ミスしてる」
書類に指差して見せるだけでいいというのに、リーヴァイはわざわざ隣に立つと、肩に手を置いて顔が触れそうな距離で指摘してくる。
最初の数回は特に気にしなかったけれど、回数が増えて行くうちに、狙ってしているのだと気づいた。
他にも、王城の廊下を歩いているとき、誰もいないのを確認した後に肩を抱き寄せたり、エセルバートの艶のいい赤毛に触れてきたりする。
機会があれば触れようとしてくるのだ。しかもただ触れるだけではなく、しばらく頭の中でそれが再生されるように、故意に粘着質で、甘ったるく触れる。
指に触れると必要がないのに指を絡めてきたり、髪に触れると名残惜しそうに指先で弄んだりする。
見ようによっては、セクハラに見えてしまう。しかし仮とはいえ、恋人になると了承したのだ。
これが、恋愛のテクニックというものなのだろう。
高度過ぎて既に参ってしまっている。思惑通り、毎日リーヴァイのことばかり考えている現状に、悔しいのか、嬉しいのか、形容できない感情が渦巻いていた。
お互いに感情を吐露し、構える必要がなくなったことで、素直に愛情表現を受け取ることができていた。
相手のことを考えて、仮の関係に進むことに否定的だったけれど、迷うのなら試してみる必要性も確かにあるのだろう。
自身よりも柔軟に物事を考えられるリーヴァイに、以前なら感じなかった感情がいくつもある。
尊敬、敬愛、友愛など。これが恋愛感情に変わっていくのかどうかは、まだはっきりとしていない。
しかし、おそらく結果が出るのはそれほど長くはかからないだろう。
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