第10話

 その日は非番で、必要な物を買いに朝から出かけていた。

 街の商店街で用を済ませたあと、当てもなく歩く。


 市場と違い掘り出し物はあまりないけれど、安定の品揃えと、在庫の多さは商店街の方が優れている。

 日常で必要なものは商店街でそろえた方が効率がいいのだ。


 寮の自室にある食糧庫が空に近いことを思い出し、食材でも買って帰ろうかと考える。


 視線を動かすと、カフェオレの髪が目の端に映った。

 驚愕したものの、咄嗟の判断で相手の死角に入る。


 ストレートの長い髪を揺らして、緑の瞳の女がエマと談笑していた。

 妹があの女と知り合いだということに驚いた。けれど、エマが事件と関わりがあるとは一切考えていない。

 六年経ってもなお、エセルバートは無条件にエマを信じているのだ。


 店の前で話し込んでいる二人は、話に夢中でエセルバートにまるで気づかない。


 女は旅装束の出で立ちだった。

 上半身にケープを身に着け、ホットパンツと太腿まであるソックスは、綺麗な足の形がよく分かる。

 年齢は二十代半ばくらいだろう。


 前回はこれほどじっくり相手を観察する時間もなかった。


 周囲を警戒した様子もなく、ただ会話を楽しんでいるだけのようだ。

 逡巡したものの、二人の前に姿を見せることにした。

 ゆっくりと近づいていくと二対の目がエセルバートを捉える。


 長髪の女の目を見て違和感を覚える。明確にこれといったものは分からないけれど、前回見かけた人物と何かが違う。


「エセル、偶然だね」


 軽くあいさつを交わすと、距離を開けて二人の前に立つ。


「エマ。その人は知り合いか?」


 エセルバートの問いに、エマがすぐに応えてくれた。


「こっちは私の師匠。師匠、こっちはわたしのお兄ちゃん」

「ああ、この男がいつも話してくれていた双子の兄か。はじめまして。マリオン・ラングフォードだ」

「エセルバート・ハートネットです」


 何となく理解した。彼女はあの女とは別人である。確証はないが直感が違うと告げている。


 マリオンの緑の瞳は後ろめたさを感じさせず、まっすぐにエセルバートを見ている。後ろ暗いところがあればよほどの自信かない限り、視線に変化があるものだ。


 しかし、それだけでは彼女があの女と同じではないという証拠にならない。

 それならば、直接マリオンに尋ねればいい。


「あの、マリオンさん。ここ最近、露店で何か販売していたことはありませんか?」


 女性二人はきょとんとした後に、互いの顔を見合わせる。


「いや、私は久々に王都に来たばかりで、露天にはまだ行っていない」

「ここ何年かは師匠が出歩いているのを聞いたことないね」


 嘘ならば、もっとましなことを言うはずだ。真実を言っているとしか考えられない。


「すみません。マリオンさんと同じ姿の女を見かけたので、気になったんです」

「なるほど」


 マリオンはしばし考える仕草をした後に口を開いた。


「私を知っているのは同業者くらいだ。たぶんそいつは私の姿を借りた別の魔女だな」


 エセルバートとリーヴァイが見た女の姿は、本来は別の姿の魔女だという。エセルバートが追いかけたというのに、事件の手がかりにはならないようだ。


「しかし、悪質だな。同業者に姿を変えるとしたら、そいつとトラブルになる覚悟で行動するはずだ」


 魔女が別の魔女の姿を借りて何かをすると、借りた姿の魔女がそれをしたということになる。つまり、悪いことをしても本来の姿を見られることがない。別の魔女に罪を被せることができるのだ。


「私と敵対するつもりなのかは、よく分からんがな」


 エセルバートもあの女の本性を知らない。これ以上その話をしても無駄である。


「私はこれからエマと食事に行くところだったんだが、お前も来るか?」


 頷こうとしたところで、食材を買おうとしていたことを思い出す。寮の自室の食糧庫は空っぽの一歩手前だ。


「ありがたい申し出なんですが、まだ用事が終わってないんですよ」

「そうか、残念だな。また今度、二人で酒でも飲もう」


 そういうと、マリオンは一歩踏み込んでエセルバートの肩を叩いた。


「あ……」


 女性に近付きすぎたことに気づくと、飛び退いて距離を開ける。周囲に視線を走らせて、受け身を取る準備をする。

 近づいてきたのは一匹の猫だった。猫はゆったりと近づいてくると、エセルバートの足元に座って欠伸をした。


 ただ、それだけだった。


「え?」


 何も起こらないことに驚いて、しばし放心する。


「大丈夫。エセルが心配するようなことは起こらないから」

「……どういうことだ?」


 エマには動物が起こす災難について何も言っていない。

 今まで、妹だから何もないのだと思っていた。しかし、二人の様子ではどうやら違うようだ。


「私と師匠がエセルにその呪いをかけたから平気なの」


 今までも呪いと揶揄われることもあったけれど、それはふざけて言ったことだ。しかし本物の呪いだったようだ。


「あの頃はまだ魔女見習いだったから、私が呪いをかけることはできなかったんだけど。勉強は必要だから、師匠に呪いの手本を見せてもらったの」

「それが、俺の呪い?」


 手本を見せるために行った呪いで、エセルバートは何年もの間女性に近付くことができなかったのだ。

 そんな軽く呪いをかけられてしまうなんて、いい迷惑である。


「なんで、そんな呪いをかけたんだ?」

「エセルが成長してから呪っても、意味なかったからね。これも夢渡りで未来を見たからやろうと思ったんだよ」

「エセルバートの未来は少しややこしいんだ。ただ処女を捨てればいいだけの話ではなく、女性と恋愛関係を一度でも結べば、最悪の事態になりかねなかった。それを回避するには呪うしかなかったんだ」


 別の未来のエセルバートはどういう人生を送っているのだろう。知りたくなくても知りたいと思ってしまう。


「エセルが魔法耐性を得てから、少し静かになったでしょ?」


 頷くとマリオンが真面目な顔をして続きを語る。


「エセルバートの体質が変わったから、呪いの効果が弱まったんだ」


 いつからだったか記憶はしていなかったけれど、大きな怪我をすることもあった災難が、かわいらしいものに変化したことには気づいていた。体質の変化が切欠だったようだ。


 筋の通った話である。それにしても、女性関係が切欠で未来が変わるなど、リーヴァイが聞いたら爆笑しそうである。


「女性関係にはよく注意するようにしてくれ」

「分かりました」


 忠告は素直に受け取っておく。

 動物が起こす災難についての原因が分かっただけでも、エセルバートの気持ちはかなり明るくなっていた。


 後日、酒場で魔女二人のことを話すと、リーヴァイは面白そうに目を細めた。


「貴重な情報じゃねーか。事件に本物の魔女が関わってるってことだ。それはそれで厄介だけどな」


 王都の中に国に害なす魔女がいるということになる。それが分かったとしても、今回の事件の難易度が上がるだけだ。

 しかし対処するときに必ず黒騎士がいなければならないと判明したのだから、こちらも少しは動きやすくなったのかもしれない。


 つまみの唐揚げを食べながら、エセルバートは難しい顔をする。


「それにしても、何が目的なんでしょうね」

「それが分かれば苦労しない」


 魔女の目的が何なのかは、今のところ予測できない。偽物の竜血の可能性も否定できない。国を貶めたいのかも分からない。

 一瞬会話が切れたところで、一人の女が近づいてきた。


「エセルバートじゃないか」

「マリオンさん」


 カフェオレの髪を揺らして件の魔女が現れた。

 隣を勧めると、マリオンは席に座る。

 マリオンとリーヴァイが挨拶をしたあと、追加の注文を頼んだ。


「本当に何も起こらないんだな」


 感心したようにリーヴァイが言う。

 近くで呪いの効果を見てきたのだから、何も起こらないことが新鮮なのだろう。

 リーヴァイには、今までの災難の原因が呪いであったと、かいつまんで説明していた。


 不本意であるけれど、黒騎士隊に所属するようになって、一番付き合いが長いのは彼である。災難に遭っているのをよく見ていたのもリーヴァイだった。

 よくそのことで揶揄われていたけれど、今では心配していたのだと分かる。


「呪いの効果がないのは、私たちだけだがな」


 かわいがっている妹に近づけない、などということにならなくてよかった。そのことについては心底ほっとしている。

 その原因を作ったのも妹なのだが、エセルバートにエマを責める気はない。


 新しくエールのジョッキが運ばれてくると、三人は声なく乾杯して飲み始める。


 エセルバートとマリオンが主に話していて、リーヴァイは静かにつまみに手を伸ばしている。


 この男は自身を空気のように気配を消すのが上手い。気を抜くとずっと放置して話し続けてしまいそうになる。

 リーヴァイが邪魔をしないのをいいことに、二人はエマの見習い時代の話をする。


「最初は弟子が欲しくても、厄介ごとを抱え込む気はなかったんだ。でも、あいつがあまりにも一生懸命にお前のことを話すものだから、絆されてしまったんだろうな」

「森の中で初めて会ったって聞きました」

「ああ。私には夢渡りはできないが、自分の夢で自由に振る舞うことはできたんだ。そのときは昼寝していたんだが、突然エマが私のテリトリーに入ってきたんだ」

「偶然出会ったってことですか?」

「ああ。予想外のことでこっちも慌てた」


 懐かしそうに緑の瞳を細めているマリオンは、まだ二十代にしか見えなくても老成した空気がある。

 魔女は若いように見えても、実際の年齢は分からない。マリオンは随分と長く生きているようだ。


「この前、エマから変な組織に捕まったと聞いた」


 表情を曇らせて唸るように言う。


「あれ程注意しろって言っておいたのに。まだ新米だから仕方ないが、私に姿を変えたやつも、そいつらの仲間なんだろ?」


 騎士団の人間でもないマリオンに事件の詳細を話すわけにはいかない。どうやって誤魔化そうか考えていると、リーヴァイが口を出した。


「おそらくそうだろうと考えてはいる」

「ちょっと、レヴィさん!?」

「マリオンは姿を使われているし、少しくらい構わんだろ」


 知らないところで勝手に姿を借りられては、マリオンにとって迷惑でしかない。被害者である彼女には知る権利がある。


「もしかすると、俺たちにとってもいい話が聞けるかもしれない」


 魔女同士にしか分からないこともあるかもしれない。そこまで言われてしまうと、リーヴァイの説得に渋々頷くことしかできなくなる。


「この国の騎士団は上手くやっている。街中でその事件のことはほとんど聞かない。情報がよく統制されている証拠だ」


 職場を誉められることは単純に嬉しい。けれど、マリオンの表情は厳しかった。


「それでも、裏の人間にはある程度知られていると思う」

「やつらは情報が命だからな」

「件の竜血だが、偽物で間違いないだろうな。本物の竜には魔女でさえ会うことが難しいんだ」

「そうなんですか?」


 魔女を増やすために必要なものならば、一般人よりも遭遇しやすいと思っていた。


「竜に気に入られて入れば話は別だが。だが、話に出るそいつは、気に入られているとは思えないな。竜はそんなに大量の血を分けてはくれないはずだ」


 倉庫にあった竜血の数はかなりのものだった。それだけのものすべてが、本物であるとは考えにくい。


「まあ、その偽物が何でできているのかは私も知らない。でも、注意しておいた方がいい」


 一段声を低くすると、マリオンは苦々しい表情になる。


「それを飲んだやつに何も影響がないとは思えない。充分気をつけろ」


 彼女の重々しい空気に影響されて、リーヴァイとエセルバートはごくりと喉を鳴らす。

 魔女の情報はそれほど得られなかったけれど、偽物の竜血のことを聞けただけでも十分だった。


「さて。気を取り直して楽しく飲もうか」


 にやりと笑うと、目の前の魔女から気圧されるような空気が霧散した。

 この話はこれで終わりのようだ。


 この後も三人は楽しく会話をしていたけれど、エセルバートの脳裏には、マリオンの警告がずっと脳裏から離れなかった。

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