第9話(リーヴァイ視点)

 夕方になる頃にはへとへとに疲れていた。

 酒場に行く気もなく、少し頭を冷やそうと城下町を歩こうと決めた。


 さすがにエセルバートもリーヴァイの異変に気づいていたようで、街へと向かう男を心配そうに見ていた。


 大通りを歩く人を眺めながら適当に歩いていると、背後から声をかけられた。


「ぼんやりして何をしているんだ?」


 生まれたときから聞いていて、耳に慣れた声だ。今一番会いたくない人物だった。


「……親父」


 リーヴァイの父で、レディング子爵である。

 乗っていた馬車から降りたのか、少し離れたところに止まっている。護衛も何人か側に控えて男を窺っているようだ。


「また遊び歩いているのか。明日は休みだろう? たまには家に帰ってこい」


 なぜ明日が休みだとこの男は知っているのか。昔から優秀で、王家にも重宝されているという父の存在が少し恐ろしく感じた。


「それなら、今からお邪魔するよ」

「そうしろ」


 このまま街をぶらつくのにも飽きた。男について実家である屋敷に行くことにする。

 久しぶりの我が家に入ると、昔から仕えている執事が嬉しそうに出迎えてくれた。


 食事がまだだったこともあり、夕食もいただいた。

 騎士寮で食べるものよりも豪華で、華やかな食事内容だったが、どこか味気なく虚しかった。

 黒騎士として寮で過ごすことが、いつの間にか身に染みついていたようだ。


「寝る前に、私のところへ来るように」


 珍しく呼び出されたことに驚きながらも、こちらも聞きたいことがあり了承した。

 風呂から上がった後、約束通りに男の部屋に向かった。


「よくきたな」


 ソファで寛いでいた男は一言そう言っただけで、動こうともしない。よく見ると書類に目を通しているようだった。

 リーヴァイは無言で男の正面に座る。


「親父、なんで街で声かけたんだ? いつもならしないだろ」


 沈黙を楽しめるような相手でもない。すぐに聞きたかった疑問を口にする。初老の男は顔を上げずに応えた。


「めずらしくぼんやりしているみたいだったからな。少し遊んでみようかと」

「……おい」

「冗談だ」


 ようやく顔を上げて、男はリーヴァイを見る。

 リーヴァイとよく似た灰色の髪と、赤い瞳を持つこの父を見ていると、やはり血が繋がっているのだと実感する。


 年相応に皺を刻み、若い頃は美しい男だったのだろうと予想できる。

 息子であるリーヴァイと違い、粗削りなところはなく、繊細で美術品のような完成度を誇っていたはずである。



 美しいだけではなく、この男は妙に鋭い。幼い頃から周囲を演技で騙していたリーヴァイに、唯一人だけ気づいた男だった。


 幼い頃から何でもそつなくこなすことができたリーヴァイは、ある時からいい加減に過ごすようになっていた。

 勉強も、作法も、社交もさぼり、街に出て遊んでいたのだ。


 何度か父親に呼び出されて叱られたけれど、まったく耳を貸さずにしたい放題していた。


 いつからか分からないけれど、リーヴァイは魔法無効化の体質を持っていた。それに気づいてから、何に対してもやる気を出さず、のらりくらりと過ごしてきたのだ。


 魔法耐性や無効化の能力を持っていれば、黒騎士を目指すしかなくなってしまう。

 黒騎士になりたくなかったわけではない。しかし、黒騎士になるしかない未来は好きではなかった。


 九歳になったとき、幼いリーヴァイは強制的に王立学園の騎士養成学科へ入学することになる。

 それは父の勧めだった。


 口うるさいばかりの男だと思っていたのに、父はリーヴァイの本当の実力に気づいていた。


 勉強をさぼっていても隠れて書物を読んでいたことや、街へ出ては騎士の詰め所に通って遊んでいたことも知られていたのだ。

 騎士になりたくて通っていたわけではない。体を鍛えるためだった。


 父はリーヴァイが騎士に向いていると思ったのかもしれない。

 まったくの的外れだった。


 学園に入っても、生活態度を改めることはなく、年齢を重ねるごとに奔放になって行った。

 授業は出ていたけれど、女との遊びは続き、のめり込んで行った。


 夢中になっている。そう周囲からは見られていたはずだ。

 実際はそんなことはなく、ただ決められたレールを進むことに絶望していた。


 騎士養成学科に入ったのなら、魔法耐性があるかどうかの検査を受けなければならないのだ。

 黒騎士になることはすでに決まっていたのである。


 案の定、検査で発覚した無効化能力が原因で、リーヴァイは黒騎士を目指すことになった。


 しかし、後になって聞いたことだが、父はリーヴァイの体質について知っていた。

 つまり、目の前でソファに座る男は、最初から息子を黒騎士隊に所属させるつもりでいたということだ。


 決められたレールに強制的に乗せられて、恨んだことや、憎んだこともある。

 けれど、今はそこまで強い感情を持っていない。


 エセルバートに出会ったからだ。

 彼のように違う道へ進もうとしながらも、途中で魔法耐性を得た人間がいるのだと初めて知ったのだ。


 最初は同情だった。けれど、今では何よりも大切な存在になっている。エセルバートに出会えたのだから、もう父を恨もうという気持ちはなかった。


「五年前に比べれば、かなり落ち着いたな」

「俺も年を取りましたからね」

「本命でもできたか」


 リーヴァイの頬がひくりと震えた。この父親は、また何か情報を得たのだろうか。赤毛の部下のことをどこまで知られているか分からないが、迂闊な発言はできない。


 自分のことよりも、エセルバートに迷惑をかけてはいけない。あの青年は、これから大きな夢に挑むのだ。リーヴァイが邪魔をしてはならない。


「責めているわけではない。これで落ち着いてくれるならそれでいい」


 心底安堵したように肩から力を抜く子爵を見て、少しだけ欲が顔を出した。


「相手は誰でも構わないのか?」

「そういうわけではないが……」


 二対の赤い瞳が交わる。真意を探っているのだろう。子爵はくっと口角を上げて笑った。


「女遊びをしているわけではない。最近出かけている様子もない。それならば同じ騎士団の人間か」


 この男の話し方は好きではない。じわじわと逃げ道を潰して、自身が得たいものを確実に仕留める。まるで蛇のようだ。

 リーヴァイはそんな父親の子供なのだ。

 よく獣に例えられるリーヴァイが爬虫類の子供だとしたら、滑稽でしかない。


「男か」


 声を出さずに沈黙を守る。何を言われても、否定も肯定もする気はない。


「他人に……親にも言えないような相手であることは間違いないか」


 珍しく感情のこもった声だった。


「私としては、お前が幸せになるのなら誰でもいい。遊びで複数の女の尻を追うより、好きな男を追う方がましだとも思っている」


 父親らしく、温かみのある声で静かに語る。蛇のように冷たい男だと思っていただけに、意外過ぎて驚いた。


「そこまで驚くか?」

「俺の希望なんて聞いたことないだろ」

「それはお前が何も言わなかったからだろう」


 確かに、無効化の体質に気づいてからは何もかも諦めて、望むことはやめた。自分の在り方を変えてまで、親から興味を持たれないようにしていたくらいだ。

 そうすれば、黒騎士にならずに済むかもしれないと、希望を持っていたのだ。


 しかし、今までしてきたことは、すべてやりたくなかったことだった。


「……この世界に生まれたのなら、魔法耐性を持っていれば黒騎士を目指すのが運命だ。私もそれに抗うことはできない。だからこそ、それ以外では、できるだけ息子の願いを叶えてやりたかった」


 開いた口が塞がらないとはこのことだろうか。存外、父は愛情深い男だったようだ。

 それに気づかずに突っぱねて、拒否して、見ないようにしていた。


 ただ二人の間には言葉が足りなかっただけだった。

 深く長いため息が子爵の口から溢れた。


「他のことは気にするな。私が何とかする。初めて息子が駄々をこねてくれたんだからな」


 笑みを浮かべる顔は、蛇などではなく、ただ子を甘やかしたい親の顔でしかなかった。

 初めて、実父と酒を飲みたいと思ったときだった。


 太陽が昇り、また新しい朝が始まる。

 リーヴァイの中にあった父へのわだかまりはなくなった。まだ多少ぎこちなさはあるけれど、それはまだ互いのことをよく知らないからだ。


 自身でもよく言うけれど、互いが理解しなければ譲り合うこともできないし、尊重することもできないのだ。

 昨夜のことで、ようやく一歩踏み出せた。


 父と息子の会話とは思えないような、腹の探り合いはもうない。

 もっと早く気づいていれば、二十五年もの時間を無駄に過ごすこともなかっただろう。


 新たな気持ちで騎士寮へと戻ると、部屋の前でエセルバートが待っていた。


「……外泊ですか」


 不機嫌そうに眉根を寄せている部下に、軽く応えた。


「ああ、家に帰ってた」

「え、実家ですか?」


 どこに泊まっているのを予想していたのだろうか、呆気にとられた表情で、リーヴァイを見ている。


「久しぶりに親父と話した」

「そうですか」


 エセルバートは安堵したように顔の表情を緩めた。


「昨夜のあんた、元気がなさ過ぎて気持ち悪かったですよ」

「おいおい、復活したばかりなんだ。もう少し優しく接してくれ」


 子爵と話したおかげなのか、少し気が大きくなっていた。


「……あんな恐ろしいレヴィさんはもう見たくないので、明日からはましな顔して出てきてください」


 やはり温かい言葉はもらえなかった。自室へと戻って行くエセルバートを見送る。

 言葉選びは悪いものの、心配させていたことは間違いないだろう。


 落ち着かないようなむずむずした気持ちが奥から湧き出てくる。

 好きな相手に心配させるのは申し訳ないけれど、正直言うとそこまで思ってくれたのが嬉しい。


「もう少し素直になればかわいいのに」


 笑みを浮かべる顔は、言葉とは裏腹に愛しいという感情で溢れていた。

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