第8話(リーヴァイ視点)

 ここ最近、気を張って仕事をしていたリーヴァイは、事務所に戻ると机に突っ伏した。

 黒騎士隊の総隊長と補佐、隊長格の人間は、事務室で席が設けられている。

 休憩時間や、仕事の終わりにはいつもここへ戻ってきていた。


 頭を悩ませているのはエセルバートのことである。


 先日、魔女の妹が見つかってからエセルバートは変わった。部下でもあり、リーヴァイが副官のように扱っている彼が、悩ましく溜め息を吐くようになったのだ。


 これまでも行方不明の妹を捜していたことは知っていた。

 その頃のエセルバートは騎士として働き詰めだったのに、休みらしい休みを取っていなかった。疲労している彼を心配していたけれど、リーヴァイはそれを表面に出すような人間ではない。


 側に置くことでエセルバートの体調を窺い、疲れていないか確認していたのだ。

 自分でももっと素直に感情表現をすればいいと思うのだが、この年齢になって生き方を変えるのも面倒だった。


 妹が見つかってからは、これで多少は赤毛の部下も楽ができるだろうと思っていた。

 だが、却って状況は悪化していた。エセルバートも素直な性格ではなく、以前から不調を顔に出さない男だったが、今回は分かりやすかった。


 取り繕うこともできない程ダメージを負っていると分かっていたけれど、なんだか面白くなかった。


 それまで傍観者として見ているつもりだったけれど、つい踏み込んであれこれと世話を焼いてしまった。

 その甲斐あって、リーヴァイを前にした彼の表情は、随分と柔らかくなってきていた。


 懐かせようとしたわけでもないし、そんなことになれば煩わしくなると考えていた。しかし、存外素直なエセルバートをかわいらしく思っている自分がいて驚いた。


 相手は似たような体格の男である。そんな気になるはずがない。きっと後輩として愛着が湧いただけだろうと、たかをくくっていた。


 先日、エマに誓いを口にしていたときのエセルバートの表情は、それなりに付き合いがあるリーヴァイも初めて見るものだった。


 希望と、それ以上の覚悟を秘めた黄金の瞳は、星を散りばめたように美しかった。頬をほんのりと染めて、一心不乱に語る姿はなぜか艶めかしく、目のやり場に困ってしまった。


 若者が語る夢物語だが、エセルバートの決意は固いとすぐに分かった。

 何よりも大切にしてきた妹のために、彼は目標に向かって前進するだろう。おそらく、どんな苦難が待ち構えていても、決して諦めない。


 詳しい話を聞いていなくても、双子の絆が固いことは分かる。あの二人は互いを守り、助け、支え合っている。

 リーヴァイはその関係が、なぜか羨ましかった。


 それに反して、嫉妬にも似た感情があの時胸の中を渦巻いていた。エセルバートの瞳をこちらに向かせたくて仕方がなかった。

 抑えることが難しい激情に、流されなかっただけでも上出来だ。


 二度もエセルバートに対して激しい感情が溢れてしまったのなら、もはや認めるしかないだろう。


 リーヴァイ・レディングはエセルバートに恋している。

 いつからなのかは分からない。


 初めてエセルバートを認識したのは、彼が黒騎士の見習いとして異動してきたときだ。

 あと一年で正式な騎士となるところまで来ていたエセルバートが、突如魔法耐性を手に入れた話は、黒騎士隊の間で様々な憶測を生んだ。

 今まで巧妙に能力を隠してきたのか、何かの手違いで気づかれなかったのか。


 しかし、異動した後に総隊長に聞いた話に驚いた。


 エセルバートが十七歳のとき、突如体調が悪化して訓練中に倒れたというのだ。

 その後、一週間以上高熱が続き意識が戻らなかったという。一時重体というところまで症状は進行したのだ。


 かなり痛みもあったようで、暴れる彼の身体をベッドに括りつけ、舌を噛まないように猿轡を噛ませていたという。


 そんな壮絶な状況で、身体が完治できたというのだから驚きである。


 エセルバートに何が起こったのかは、医者も分からなかった。しかし将来有望な騎士見習いを見放すわけにもいかない。

 そして精密検査をしたところ、魔法耐性を得たことが判明したのだ。


 結局原因は突き止められなかったが、以降エセルバートは黒騎士隊に所属することになったのである。


 第二隊に配属されたこともあり、リーヴァイは彼のことを注視するようになった。

 最初は好奇心でしかなかったのだ。

 思いの外、エセルバートの身体能力が優れていたことが予想外だった。


 あれだけの病と闘っておきながら、彼は以前よりもさらに力を増していたのだ。

 そのことは本人も気づいたらしく、入隊当初は戸惑っていた。


 制御できない力は危険である。だが、この青年はそれを制する力も持っていた。

 元から身体能力が高かったこともあり、こつは分かっていたようだ。


 隊長であるリーヴァイの胸を借りて何度も剣を打ち合い、体術で拳を交わした。

 リーヴァイだからこそ受け止めることができたのだが、一般の騎士に任せていれば怪我人が出ただろう。


 そんな後輩に付き合っていると、女遊びにも頻繁に出られなくなっていた。鍛錬に付き合っていたせいで体中疲労していたし、余裕もなかった。

 気づけば何年も女とはご無沙汰になっていた。


 机に頬杖をついて昔を思い出していると、ふと気づく。

 出会ってから今まで、エセルバート中心に生活しているではないか。

 最初から彼のことを気に入っていたのは明白だ。気に食わないのなら、どんな理由があっても近づけたりしなかった。


 彼を遠ざけていればここまで感情は大きくならなかっただろう。けれど、それをしなかったのだから、自業自得ともいえる。


「どうしたものか……」


 エマの意味深な発言が、不意に脳裏に蘇る。

 見張っていろと言うのは、エセルバートが離れて行かないように目を光らせていろと言いたいのだろう。


 つまり、彼の妹にはリーヴァイの思いが筒抜けだということだ。

 自覚して間がないというのに、他人から、しかも思い人の妹に察せられてしまうと、とても気まずい。


 けれど、リーヴァイは自分の感情を認めてはいても、彼に告白するつもりが今のところはない。

 自分では彼と釣り合わないと、分かり切っていることだからだ。

 感情を制御するのは得意中の得意だ。だから、このまま感情に蓋をするつもりでいた。


 再びエセルバートと巡回する時間がやってきた。

 恋愛感情を自覚してから、この時間はかなり精神を削られる。

 寮で合流すると、そのまま市場へと向かう。


「あの露店、あれ以降まったく出ませんね」

「倉庫の中身も回収したし、別のところにいるのかもな」

「それって、この巡回が意味ないってことじゃ……」

「それでも、まだ出回ってるんだから、放置するわけにもいかないだろ」


 倉庫にあった竜血を押収してからずいぶん経つけれど、明確な証拠は見つかっていない。

 魔女たちに任せている成分解析も遅々として進んでいない。

 現状は、まったく進んでいないのだ。


「地道に足で見て回るしかないのさ」


 赤い瞳を細めてエセルバートを見る。惚れた弱みなのか、女性にはまったく見えないのに、彼が輝いて見える。


 日に焼けにくい白い肌、癖のない真っすぐな赤毛、意志の強い宝石のような金の瞳。すべてが眩しく見える。

 恋愛脳が勝手に変換して、エセルバートがもっと魅力的に見えてしまう。


 自身が誰かを好くということも意外だが、こんなに相手が違って見えることにも驚きである。

 これまで悩んでいたことがすべて解決して、はっきりとした目標ができたことも、エセルバートが煌めく原因である。


 側にいたことで偶然聞いてしまった部下の決意は、大きすぎてリーヴァイには眩しかった。

 できれば応援してやりたいし、付き合ってやりたいとも思う。


 だが、リーヴァイは普通の人間である。魔法無効の体質を持っていても、高い志も、大きな夢もない。

 そこら中に転がっている石ころと同じだ。


 それに、もし彼とともに行けば、家はどうなるだろうか。

 いくら親の期待が薄く、爵位を継がなくていいとはいえ、リーヴァイも貴族である。普通に嫁をもらい、普通に長男である兄を助け、普通に年を取り、普通に死んで行く。


 そんな将来を考えていたのだ。

 エセルバートと出会ったことで、意外なことが起こりすぎて、普通の感覚が麻痺してしまいそうになる。

 けれど、何がどうなってもリーヴァイは普通の男でしかないのだ。


 普段ならここまでぼんやりしていないのだが、一心不乱に考えに没頭していた。

 ここ数日は思考の速さが普段よりも何倍も速い。既に脳の処理は限界を超えていたのだ。


 巡回が終わり、王城の訓練所でエセルバートを相手にしていても、上の空で危うく一本取られるところだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る