第7話
その日はしばらく顔色が悪かったけれど、難なく動けていた。しかし仕事の時間になる頃には、前回のように陰鬱な空気を背負っていた。
今朝は早くから寮を出て、朝の市場を巡回している。
隣には隊長のリーヴァイがいた。落ち込んだ部下を見て困惑しているようだ。
「……きちんと話せって言ったよな」
今のエセルバートを見れば、話がさらに拗れたように見えるのかもしれない。けれど、その件はもういいのだ。
新たに芽生えた大きな悩みは、すぐに解決できるようなものではない。エセルバートの人生をかけて、成し遂げなければいけないものだ。
けれど、それだけ大きなものだと理解していても、何をすればいいのか分からなかった。
「エマと喧嘩したわけではないんです」
どんよりとした黒い靄を背中に背負いながら、エセルバートは唸る。
「それなら、今度は何だ?」
首を緩く左右に振って、これ以上語らないと意思表示をする。
説明したくてもできないのだ。
これはエセルバートが考えて、結果を出さなければならないことだ。ただの上司であるリーヴァイに、人生をかける何かを相談することはできない。
「あまり思いつめるなよ」
「最近のレヴィさんって俺に優しいですよね」
探るように金色の瞳を向けると、男は呆気にとられたようにしている。
「俺はいつも優しいだろ」
エセルバートは、男から視線をそろりと逸らすと、軽く溜め息を漏らす。
リーヴァイには見向きもせずに、再び己の思考の海に飛び込んだ。
この国で魔女が暮らすには人々の目が厳しい。それならば隣国はどうだろうか。
トルニアの隣に位置しているオルヘイム帝国は、魔女の力で発展したといえる。だが、皇帝は魔女を保護しているのではなく、監禁して強制的に従属させているそうだ。
「レヴィさん、オルヘイムの魔女をどう思いますか」
「突然な話題だな。……あの国は魔女の考え方が偏っている。人間を騙して、殺すことも厭わないのが多いらしい」
帝国の魔女への厳しさはそのことが起因しているのかもしれない。
真面目に応えてくれるリーヴァイにさらに深く探りを入れる。
「では、魔女が嫌われるのも仕方がないと?」
「そうは思わないな。互いによく話し合って、相手を知るようにすれば、ぎすぎすすることもないさ」
以前、エセルバートに助言したときも、話し合うことが大事だと言っていた。
「……あんたはいつもそれだな」
「誤解は身を滅ぼす元だと思ってるんだよ」
「何か経験でもあるんですか?」
「いや、大人としての意見だ」
「……そうですか」
何となくつまらないなと思い、唇を尖らせる。
「子供みたいだな」
「年下ですから」
エマが魔女として生きて行くならば、人から隠れているだけでは駄目なのかもしれない。
国と話すということは王と直接話すということだが、王と魔女は互いを知ることができるだろうか。理解して譲り合うことができるだろうか。
それを実現するために可能なことはしていきたい。
しかし今のエセルバートでは力が足りない。ただの黒騎士の一人にすぎない。
国を動かすためには、もっと発言力を増さなければいけないのだ。
そんな大それたことができるとは思えない。けれど、何もしなければ何も動かないのだ。
もし失敗したとしても、足がかりになることはできるかもしれない。小さくとも切欠になれるのならば、それほど喜ばしいことはない。
巡回をしなければならないのに、考えに没頭しすぎてしまい、気づけば太陽の位置がかなり上まで昇っていた。
「そろそろ飯にするか」
夢中になりすぎて忘れていた感覚が戻ってくる。空腹の腹が音を鳴らして主張した。
「考えに集中しすぎたか……」
「本当だな。俺が朝飯食ってても、お前無視してるし」
「それは知らなかったです」
朝食を食べ逃したのならば、腹が減っているはずである。
通りがかった食堂の扉を開くと、漂ってきた肉や魚を調理する匂いが鼻孔を擽る。
空いている席を捜していると、見慣れた赤毛が目に飛び込んできた。
「あれ、エセルとリーヴァイさん?」
食事をしていたエマが、二人に気づいた。
相席の許可をもらい、エマの座る席に着く。
二人が注文する内容を聞いて、エマは唖然としている。
「……テーブルの上に乗り切るのかな」
「騎士が二人いたらそのくらいになるか」
リーヴァイの声を聞いて、同列にされたことに内心むっとした。
「俺はレヴィさん程食べません」
エセルバートは自身が食べるよりも、人が食べているところを見る方が好きなのだ。
一人のときは頼んだものを全部食べるけれど、誰かと一緒の場合は、自分が食べるよりも相手に譲ることの方が多かった。
エセルバートが今頼んだ料理は自分のものだけではないのだ。分かっているはずなのにリーヴァイはからかってくる。
「お前の方が若いんだから食うだろ」
「二歳しか違いません」
「え……!」
エマの驚きの声に、黒騎士二人は動きを止めた。
「リーヴァイさん、二十五歳だったんですか!?」
「エマちゃん、どういう意味かな?」
人当たりのいい笑顔を浮かべているけれど、普段はこんな笑顔を浮かべない。赤い瞳が強い眼光を放っていて、余計に恐ろしく見えた。
「あー……すみません。もっと上だと思ってました」
「確かに、老けてるよな」
はっきりと言い切ったエセルバートを、エマが青くなってその頭を軽く小突いた。
「何言ってるの、エセル! 隊長なんでしょう?」
今までのことを思い出してみると、上司というよりも友人に近い。けれどただの友人とも少し違う。
しばし考えると、ちょうどいい単語が浮かんだ。
「……上司よりも悪友みたいだな」
「ほほう。エセルは一度怒られたいみたいだな?」
「本当のことじゃないですか」
いつも子供っぽいことで言い合いになる二人だが、エマがいるせいなのかいつも以上に幼い行動をしている。
それが、リーヴァイの気遣いだということに、今のエセルバートは気づいていた。
先程まで落ち込んでいたことを心配しているのだろう。特にエマのことで考え込んでいたのだから、彼女の前で明るく見えるよう誘導しているのだ。
以前なら嫌味を言う上司だと斬り捨てていた。しかし、今回の竜血事件で知らない面をたくさん見た。
これ以上この男に心配をかけるのは本意ではない。
食事が運ばれて食べ始めるレヴィを見て、不意に口から言葉が零れた。
「レヴィさん、ありがとうございます」
「は? 急にどうした?」
「いえ、たまには感謝してみようと思っただけです」
「……お前に感謝されると恐ろしいな」
素直に礼を受け取らない男のことは放っておいて、エセルバートはエマに向き直る。
「エマ。お前が魔女になったと聞いて、どうすればいいのかすごく悩んだ。お前が払った代償に、何も報いることができないのかとずっと考えてた」
「私が勝手にしたことだから気にしなくていいのに」
優しい妹はエセルバートを思いやり、今まで何も言わなかった。知った今もこれまで通りでいいというのだ。
けれど人の優しさの上に胡坐をかくなど、エセルバートにはできない。
それに幼い日に約束したのだから、違えるつもりはない。
「ありがとう。でもそういうわけにはいかない。俺はお前の兄だし、少しは格好つけさせてくれ」
戸惑う妹の視線を受け止めて、エセルバートは一度大きく深呼吸した。これから言うことは人生をかけて成し遂げなければならないことだ。
「俺は国を変える。魔女がもっと暮らしやすいように、楽に生きて行けるように尽力するつもりだ。今はただの黒騎士に過ぎないけど、少しずつ変えて行くつもりだ。もしそれが無理でも、俺は切欠になりたい」
それまで無表情で聞いていたリーヴァイが、ぽかんとしてこちらを見ていた。
「あんたには俺の誓いの証人になってもらいます。……勝手をして、悪いとは思っています」
「まあ、いいんだけどよ。たぶんお前とは長い付き合いになりそうだし」
癖毛の灰色の髪をがしがし撫でると、諦めに似た溜め息を吐く。
「ありがとうございます」
「お前も覚悟しとけよ」
覚悟ならできている。先程まで悩んでいたはずなのになぜか心は決まっていた。
黙ってしまった妹に視線を戻すと、不安そうに揺れる瞳で見ていた。
「すまない、エマ」
「エセルが謝ることじゃないよ。でも、私はエセルにそんなことをさせたいわけじゃなかったのに……」
十七歳で時を止めた魔女は、実年齢よりも幼い仕草で、両手で顔を覆った。
「俺が勝手に決めたことだ。だからそんなに悲しむな」
妹の小さな肩を抱いて優しくあやすように叩く。
「きっと、俺が黒騎士になったのも偶然じゃないんだろうな」
ぽつりと呟く声に、エマがはっとしたように顔を上げた。
「……そう、かもしれない」
「お前は俺を助けるにはこの道しかないと思ったんだろうけど、決まった未来の中でも人の葛藤はあるし、営みもある。これから先の未来をすべてお前が決めたわけじゃないだろ?」
エマが見た未来は、枝分かれした先のいくつかのうちの一つだ。しかし、世界に目を向けるとさらに多くの未来がある。
そのうちのたった一つを見ただけで、他の運命までエマが変化させたとは思わない。
妹が変えようとした未来の途中に、エセルバートがした決意が含まれているとも限らないのだ。
「運命だろうが、なんだろうが、俺が決めたことなんだからお前が気に病む必要はない」
放心したようにこちらを見つめるエマは、小さく感想を漏らした。
「やっぱり、エセルはお兄ちゃんだね」
「当たり前だろ。お前のたった一人のお兄ちゃんだ」
「ありがとう」
泣きそうに顔を歪めながらも、エマは澄んだ声で感謝した。
「なんか、俺お邪魔みたいに感じるけど……」
除け者にされたリーヴァイが、寂しそうにぽつんと言う。上司の独り言を聞いて、はっと我に返ると周囲を見る。
「そう言えばここは食堂だったな」
衝動のままに語ってしまい、内容を聞かれる心配は抜けていた。
「大丈夫。魔法で周りに聞こえないようにしていたから」
そんな魔法もあるのかと感心しながら、エマに礼を言う。
「エセルは私と似て、決めたら周りが見えなくなっちゃうから」
くすくすと笑うエマは、リーヴァイに視線を向けた。
「だから、ちゃんと見張っててほしいの」
「あ、ああ」
赤い瞳をぎょっと見開きながら頷く上司と、含む笑みを浮かべるエマを不思議に思いながら、この日の昼食は終えた。
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