第6話

 翌日、エマに会いに行くと、彼女は喜んでエセルバートを迎えた。

 次の休日に出かけようと誘うと、快く約束をしてくれた。


 エセルバートは今まで双子の妹を捜す目的で休日を使っていた。今回、黒騎士になってから初めて、休日らしい休日を過ごすことになる。

 先日両親に会いに行った日は例外中の例外である。


 約束した日はすぐにやって来た。

 エマはまだ同じ宿屋に泊まっている。

 朝の内に用事を終わらせてから昼前に宿へ行くと、エマが入り口で待っていた。


「待たせたか?」

「ううん。私が楽しみで早く来ただけ」


 照れたように笑う彼女は、妹だと認識していても、かわいらしかった。

 巡回でよく歩いていた市場へ行くと、朝ほどではないけれど露店がいくつも並んでいた。


「市場に来るの初めて」

「朝はもっと人でごった返してるんだけど、この時間は人が少なくていいな」


 店を覗きながら、たまに気に入った小物を買ったり、腹を満たしたりしながら市場を歩く。


「こうやって買い物するの楽しいね」

「そうだな」


 エマは初めての市場が楽しくて仕方がないようだ。

 エセルバートも、先日リーヴァイのおかげでその楽しみを知った。


 嫌っていたはずの上司はいつの間にかそんな感情を抱かない存在に変わっていた。いけ好かない男であることは変わらない。けれど、今では嫌悪感はなかった。


「エセル、いいことでもあった? 嬉しそう」

「そうか?」


 何とも言えない不思議な表情をして、自身の顔を撫でる。

 リーヴァイの顔を思い浮かべただけで、そんなに嬉しそうにしていただろうか。複雑な感情が胸に沸き上がる。

 すぐに話題が変わり、もやもやした気分もそのうち消えた。


 話題はあちこちに飛び、エセルバートが黒騎士になってからの話や、エマの師匠の話など、様々なことを話した。

 楽しい時間は瞬く間に過ぎて行く。


 いつの間にか太陽が傾き始めていて、空にはグラデーションがかかっていた。

 そろそろ頃合いかと思ってエマを見ると、彼女も金色の瞳を見上げて双子の兄を見ていた。


「ねえ、何か聞きたいこととか、言いたいことがあったんでしょ?」


 考えることは同じだったようだ。

 市場を抜けて少し歩くと公園がある。エマを誘ってそこへと向かった。


 どこかの立派な貴族が作った公園で、一般人にも公開されている。広い土地を使って丁寧に整備された公園は、昔から皆に愛されている。

 中は薔薇や、百合など様々な花が植えられていた。


 ベンチを見つけると、二人はどちらからともなく座った。ようやく落ち着くことができて話を切り出す。


「エマ、昔言っただろ。俺に童貞は捨てるな、捨てるなら処女だって」

「そうだね。この前も似たような話したね」


 普段ならあまりしたくない話題だけれど、詳しく聞きたくても聞けなかった時間があるだけに、早々に尋ねる。


「いったい何を夢で見たんだ?」


 言葉に詰まったようにして、エマは視線を膝に向ける。


「私の先見の力、夢の中で見るから夢渡りっていうらしいの。師匠が教えてくれた。五歳くらいのとき、私が迷子になったことあるよね。そのときに師匠と初めて会ったの」


 幼い頃、両親と兄妹で森にピクニックへ行ったことがある。

 そのとき一瞬目を離した隙に、エマが迷子になってしまったのだ。あのときは二時間くらいで見つかったと記憶している。

 その間にエマは彼女の師匠と会っていたのだろう。


「そのとき魔女になることに決めたのか?」

「うん。魔女になればもっといろんなことができるようになるって言われて……」


 言葉を切ると、しばらく二人は黙り込んでしまう。

 公園の奥では子供たちがはしゃいで噴水の中で水を蹴飛ばしている。

 軽く運動すれば汗ばむくらいの陽気だ。子供たちが水遊びをしたくなるのも理解できる。


 昔、似たようなことをしたなと思い出していると、話す覚悟ができたのか、エマが顔を上げてエセルバートを見ていた。


「あの時見た夢は、悪い魔女がエセルの命を奪うところだった。そのときはびっくりして、すごく混乱して。どうやったら回避できるのかそればかり考えてた。気付いたら力が暴走したの」


 未来とは、木のように細かく枝分かれした道の先にあるものだ。人が何を選ぶかによって進む未来は変わる。


 夢渡りの能力は、名前通り他人の夢を覗くことができる。不安定な夢世界では、現実では見ることができない未来を見ることもできる。

 けれど、見られる未来は選ぶことができない。それが欠点でもある。


 その力が暴走すれば、能力者の意識が他人の夢に流されてしまい、戻ってこられなくなる可能性もある。

 けれど、エマは自らの強い意志で、自力で戻って来た。


 その結果、エセルバートの未来の道筋を何本も見ることになったのだ。


「なるほど。つまり、俺が辿るかもしれない未来を何個も見たってことか」

「そう。でもエセルの未来はほとんど結果が同じだったの。こういうのを運命っていうのかな」


 整った顔を歪めて、エマは苦々しく語る。

 大切な誰かの死ぬ未来を見るというのは、どれだけの苦痛だろう。避けられないと知ったときの衝撃は大きいはずだ。

 しかも、エマはまだ幼い頃に見たのだ。その衝撃は想像するのも難しい。


「でも、いくつも見たから回避できる道も見つけられたの」

「……それがあの発言か」


 想像したくはないけれど、エセルバートが救われる道は、男と交わることなのだろう。


「あのときは私も意味が分からなくて、説明できなかったんだけど。まあ、そういうことね」


 男なのに、尻の心配どころか使い道を考えなければならないとは、悲しいよりも虚しい気持ちになる。


「でも、安心して。ちゃんと好きな人とできるから」

「いや、安心しろって言われても……」

「童貞さえ守っていれば大丈夫!」


 エマは金色の瞳に希望を抱いて、きらきらと輝かせている。

 自分の命を考えるとそれがいいと分かっていても、素直に自分からそうしようとは思えない。


 本当に好きな相手がいれば、そういうことをしたいと思うのだろうか。

 まだ知らない未来を思うと希望を抱くことができない。

 しかし、あることに気づいた。


「魔女になったらいろんなことができるようになるって、もしかして俺のために魔女になったのか……」


 疑問ではなく、確認だった。あの頃のエマにとって、家族がすべてだったはずだ。エセルバートにとってもそうであったから分かる。

 両親よりもエマのことを優先し、彼女が傷つかないようにエセルバート以外には夢の話をしないよう諭したこともあった。


「約束したもの。エセルは私が守るって」


 たった四歳の女児が決めた覚悟は、固く重いものだった。

 魔女になると決めるほどに、切羽詰まっていたのだろう。


 親から絶縁を言い渡される覚悟もしていたに違いない。それでも、双子の兄を救うために決めたのだ。

 魔女になってしまうと、不死かどうかは分からないが不老になるという。


 そんな長い魔女の時間の中で、エセルバートが彼女と触れ合うことができるのはほんの一瞬だ。

 親から絶縁されたせいで他に親類もいない。エセルバートがいなくなれば彼女は一人になる。


 たった一人の兄のために、そんな長い年月を一人で過ごすことになるのだ。

 それは、どれだけ大きな孤独なのだろう。


 魔女になってしまったことで、エマはその運命に呑まれてしまったのだ。

 背筋を冷たい何かが這う。恐怖に近い何かだ。


 一人の人間に、これほど影響を与えることになるとは思いもしなかった。

 残される彼女のために、何ができるだろう。

 幼い頃に交わした約束は、今も双子を縛り続けている。エマをそれから解放してやりたい。


 けれど今はそのときではない。

 エマが安心してエセルバートから離れられるようにするには、彼の運命が変わる必要がある。

 それ以外に何ができるだろうか。


 表面では優しい兄の表情を貼り付けて、新たにできた悩みに頭を抱えていた。

 妹の人生がエセルバートのせいで歪んでしまったのだ。その事実が突き付けられて、足が竦んでいた。


 この後、何を話していたか覚えていない。気付けば寮に帰っていて、朝陽が寝不足の目を照らしていた。

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