第5話
明くる日。この世の終わりともいえるくらい気落ちした姿を、リーヴァイに見せることになった。
珍しく気を遣って休日をくれたというのに、灰髪の上司に申し訳なく思う。しかし意識的に感情を抑えようとしてもできなかった。
「おいおい、どうしたんだ」
訓練場で汗を流していたエセルバートに、第二隊隊長が声をかける。
「いえ……」
空は雲一つない晴天だというのに、エセルバートの頭上だけ暗雲が立ち込めている。
周囲にも伝播しそうなくらい陰鬱としていては、相手をしてくれている騎士がかわいそうである。
エセルバートの類い稀なる身体能力に圧倒される騎士が多いというのに、感情が制御できていないのだから、手加減も難しくなる。
まだ訓練開始から時間が経っていないため、被害が出ていないのが救いである。
「エセル、ちょっとこっちこい」
リーヴァイに連れ出されて訓練場の隅に座る。
「昨日の今日でこれだと、分かりやすすぎて心配になってくるんだが」
「レヴィさんが俺の心配なんて珍しいですね」
「余計なことを言う口は、この口か?」
頬を引っ張られて好き放題に弄ばれる。騎士の握力を舐めてはいけない。これが意外と痛いのだ。
「いひゃいでふっ!」
腕を叩き落として睨みつけると、鼻で笑われてしまう。
「また明日から巡回するっていうのに、そんな腑抜けでいいわけないだろ」
「ああ、決定的な証拠がないんでしたっけ」
倉庫に倒れていた男たちを捕まえたけれど、有力な情報を得ることはできなかった。
捕らえた男たちは、皆どこかぼうっとしていて、目の焦点が定まっていないらしい。
何かの中毒症状か、薬でも使われたのか。そんな推測しかできないと上から報告があった。
「せっかく捕まえたのに、徒労でしたね」
「そうでもないだろ。お前の妹を助けることができた」
言葉だけ受け取れば、喜ばしいことだと言われているのだが、リーヴァイがそんな殊勝なことを言うはずがない。
「……まさか」
金の瞳を据わらせて鋭く赤い瞳を睨みつけると、男は肩を竦めた。
「上には彼女の正体について報告していない。俺としてはエマには協力してもらいたいんだけどな」
意外な返答に、呆けて見つめ返してしまった。
「報告しなかったんですか」
「ああ、どちらにせよ俺では限界がある。彼女のことを俺が勝手に判断していいものかどうか……」
そう言い置くと、男は覆い被さるようにして座っているエセルバートの顔を覗き込む。
「肝心のお兄ちゃんは何か落ち込んでるみたいだし?」
「それは……」
鋭い赤い目を正面から見据えることができずに、視線を落とす。
「仕方ねーな。今夜は飲みに行くぞ」
「は?」
「上司の命令だ。行くったら行くからな」
「なんですか、それ……」
勝手に決められてしまったものの、今のエセルバートでは使い物にならないことを、本人も自覚していた。
大人しく頷くのを確認すると、リーヴァイは赤毛を撫でる。
「子供扱いしないでください」
「似たようなものだろ」
子供のように笑うと、猛獣のような男でも無邪気にしか見えない。毒気が抜かれてしまい、好きなように撫でさせることにした。
しかし、判断を間違えただろうか。酒場に着いた瞬間に思った。
「待ってたのよ、リーヴァイ!」
「あたしが先に見つけたんだから!」
仕事が終わり、普段着に着替えて酒場に来たエセルバートとリーヴァイだが、入り口で立ち往生していた。
中にいた二人の女がリーヴァイに気づいて声をかけてきたのだ。
女は男を囲んで、両腕にしなだれかかっている。
「久しぶりだな。元気にしてたか?」
嬉しそうに笑う上司は鼻の下が伸びていた。
「……呆れた」
少しは隊長らしいことをするときもあるのだと感心していたというのに、これでは上がった株もがた落ちである。
金色の瞳を細めて睨みつけても、男はどこ吹く風のようだ。
リーヴァイの意識をこちらに向けさせようと一瞬思ったけれど、馬鹿馬鹿しくなって先に席に向かうことにした。
「おにーさん、あの人の連れ?」
酒場を歩き回っていた看板娘に声をかけられて、一瞬赤の他人の振りをしようかと考えてしまう。
一定の距離を保ちつつ返事をする。
「一応、仕事の上司だ」
「へぇ、大変だね。あの人、最近女遊びも大人しくなったと思ってたのに、どうしたんだろうね」
「大人しい? 嘘だろ」
驚いて娘の顔を見ると、きょとんとした後にけらけらと笑い出した。
「仕事でもズボラな感じなんだね。ここには十年くらい通ってるけど、ここ何年かは静かにしてたんだよ」
記憶を引っ張り出して今までのことを思い返してみても、女性をいつも口説いていたことしか覚えていない。
しかし、あの様子でも大人しくなったというのならば、今まではどれだけ爛れた生活をしていたのだろうか。
「……不潔」
「あはは、おにーさん女遊びしなさそうだもんね」
上司に比べれば堅い人間だと自覚はしている。一般的なテンプレートから外れることがなく、面白みがないところはあの男と正反対である。
「エールと、これとこれと、これを頼む。できれば男に運ばせてくれ」
「男の人? おにーさん男の人好きなの?」
「違う! ……お、女に慣れてないんだ!」
動物の災難が降ってくるなどと説明しても、普段から知っている人でなければ理解されない。
咄嗟に出た苦しい出まかせを、娘は信じたようだった。
「なるほど。りょーかい。これ一人で食べるの? すごいねー」
そう言い残して、奥へと戻って行く。
女性と満足に話したことがないのだから、完全な嘘ではないとはいえ、信じてもらえてよかった。
安堵で大きな息を吐き出すと、後ろから忍び笑いが聞こえてきた。
「男が好きなのか、お前」
「そんなわけないことくらい、あんたは知ってるだろ!」
振り返ると、リーヴァイが一人で背後から見下ろしていた。
「……あれ、さっきの人たちは?」
「ああ、帰った」
「帰ったって……」
この男が、女と早々に別れて帰したという。信じられない思いで男を見る。
彼が大好きな女である。未練も、後ろ髪を引かれることもないのだろうか。
リーヴァイが席に座っても思考は止まらない。
「何だよ、そんなに驚いた顔して。意外か?」
「はい。てっきりあの二人と飲むのかと」
「ばーか。俺はお前を誘ったんだぞ。放ってどこか行くわけねーだろ」
リーヴァイの裏表のない笑顔を見ると、失礼なことを考えていた自分が恥ずかしくなる。
「そうですね」
疑ってしまったことを申し訳なく感じた。しかし、そう考えたのは、普段の行いが悪いリーヴァイが原因である。
「疑われたくないなら、自分の行いをもう少し省みてください」
「はいはい」
適当に流されてしまう。エセルバートの言葉が少しでもこの男に響くときはあるのだろうか。
リーヴァイも注文を終えて、料理と酒が運ばれるとようやく本題に入った。
「それで、エマと何かあったのか?」
普段なら誰かに弱みを見せるような真似はしない。けれど、事情をある程度知っているリーヴァイが相手だから、話すことができる。
「……両親に会いに行ったんですが、エマが絶縁されてしまったんです」
「この国でも魔女は差別の対象だからな。彼女、落ち込んでるだろ」
「ええ、まあ。そうなんですけど」
手に持つエールを煽ると、リーヴァイが不思議そうに見る。
歯切れの悪い言葉に、何か別のことがあるのだと勘付いたようだ。
「俺も妹が魔女だと知ったとき、少し構えてしまって。だからといってエマはエマでしかないし、俺の妹なのは変わらない。それに気づいた切欠が、父の言葉だったんですよ」
人間ではない、もう家族ではないと言われた彼女は、悲しみと怯えで震えていた。
エマは昔から大人びた娘ではあったけれど、両親を大切にしていた。だからこそ、父の言葉が芯の強い彼女の柔らかい部分を傷つけた。
魔女になってもエマはエマである。別のものになるはずがないのだ。
「なんだか、兄貴なのに頼りないなと思ってしまって」
「戸惑わない方が珍しいと思うけどな。平気な顔して兄貴面する方が、却って怖いだろ」
「それもそうですね」
それでも、一歩退いていた自分が、彼女に寄り添うことを許されるだろうか。父の言葉で傷ついた妹が、自分の行動で傷ついていないだろうか。
それが気がかりでならなかった。
黙ってしまったエセルバートの横で、リーヴァイは黙々と食事を進める。
会話の途中で訪れた沈黙が痛くないのは、ここが酔うことを許された酒場であり、周囲の騒がしい声が沈んだ気持ちを和らげてくれるからだ。
「……きちんと話したらどうだ」
小さく声を漏らした男に金の瞳を向ける。
「話さないと伝わらないこともある。六年も会ってなかったんだから、誤解があってもおかしくないだろ」
最近よく見るようになった真摯な赤い瞳が、まっすぐとエセルバートを見る。意志の強い光が、そうすることが正しいのだと言っているようで、背中を押された気持ちになった。
「……また会って話してみます」
「そうしろ。きちんと相互理解しておかないと、後々大変なことになるかもしれないからな」
リーヴァイは空になったジョッキをテーブルに置くと、にやりと口角を上げた。
早めにエマと会って、話をしようと心に決める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。