第4話
次の日。普段通り目が覚めて、食堂へ向かおうと部屋から出ると、リーヴァイが扉の横で待っていた。
「……何かあったんですか?」
上司が朝から待ち伏せをするのは珍しい。
何か予測できなかった事態でも起こったのだろうか。
「久しぶりに妹に会ったんだから、今日は休んでじっくり話したらどうだ」
予想外の提案に、一瞬言葉が詰まる。嬉しい気遣いではあるものの、相手はこの男である。何か裏があるのではないかと疑ってしまう。
「いいんですか?」
「昨日の後片付けがまだ終わってないから、今日はまともな仕事にならんさ。隊長の俺が許可してるんだ。しっかり休め」
「……分かりました」
リーヴァイと別れた後、エセルバートは困惑していた。
最近の上司はエセルバートのことをよく見ている。以前からそうだったのかもしれないけれど、態度が軟化しているような気がする。その理由が思い当たらず、首を傾げた。
原因が思いつかないまま食堂の前へと着いた。
エマを待っていると、すぐに珍しそうに周囲を見回す妹がやってくる。
「おはよう」
「よく眠れたか?」
「久しぶりのベッドだったからぐっすり寝たよ」
他愛無い会話をしているだけだが、六年の空白はエセルバートを戸惑わせていた。
十七歳で成長が止まったエマと違い、彼は少年から青年に成長している。体つきや見た目も多少変わっていて、エマと並ぶと兄妹に見えはしても、双子には見えなくなっているはずだ。
妙に落ち着きのない気持ちになりながら、食堂へ案内する。
この食堂はセルフサービスで、頼んだ料理は自分で受け取って持っていく。二人も例にもれず料理を受け取ると、空いた席に着いた。
「エセル、ずいぶん食べるようになったんだね」
「騎士は体力勝負の職だからな。昔よりは食べるようになった」
彼女の食事量と比べると、二倍くらい違う。金色の瞳でまじまじと見つめられてしまい、食事の手が止まってしまう。
エマはサラダとライス、チキンソテーを頼んでいた。
ナイフで小さく切り分けて食べている様子を見ていると、小動物を彷彿させる。
エセルバートは量が多いわりに、食べ方は綺麗だ。それでも完食するのはエマと同時だった。
テーブルマナーに気を配り始めたのは、騎士になるために王立学園へと通い始めてからだ。
学園では身分は関係なく授業受けることができるけれど、特別な能力がなければ平民は入学できない。
エセルバートは突出した身体能力が認められて通うことになったのだが、やはり身分の壁は大きかった。
馬鹿にされないように身の回りに気を遣い、テーブルマナーも身に着けたのだ。
今ではそつなくこなしているけれど、入学当初はいろいろと大変だった。
「エマ……父さんと母さんに会うつもりはないか?」
「こんな姿だけど大丈夫かな」
「それはそうだが、これ以上心配させたくはないだろう?」
「あまりいい結果にならない気がするけど、生きているか、死んでいるかも分からないままだと、つらいもんね」
金の瞳を細めたエマは、昔を思い出しているのか少し大人びた表情をしている。肉体年齢は十七歳でも、精神は大人なのだとはっきりと分かる。
エセルバートが今のエマを受け入れるには時間がかかるかもしれないけれど、それはおそらく妹も同じはずだ。
ときどき不安そうに視線を泳がせている彼女を見ていると、自分だけではないのだとなんだか安心してしまう。
食事が終わり、準備を済ませると、両親が住む家へと向かった。
王都の端に位置する田園地帯の奥に、小さな小屋がある。その小屋が双子の生家であるハートネット家だ。
王都の中心から端までの距離はそれほど短くはなく、着く頃には昼近くになっていた。
家の側には水路が流れ、水車が設置されている。
その水車の側で、作業をしている女がいた。
「母さん、久しぶり」
作業の手を止めて振り返ったこの女性が、双子の母親である。
茶髪にはうっすら白髪が交じり、年とともに深くなった皺が顔には刻まれている。おっとりとした容姿は、気が弱そうに見えた。
「エセル、突然だね。来るなら連絡くれたらよかったのに」
エセルの姿を見ると頬に
「お母さん、元気にしてた?」
「エマ、なのかい? よく生きて……でも、その姿は……」
母親は震えながらエマに近付き、触れようと手を伸ばしたけれど、動きを止めた。
逡巡するようにしてから一度瞼を閉じ、細かく震える腕を力なく下ろした。
「そう……。姿を消したのはそういう理由があったんだね」
「お母さん」
「何も言わないでおくれ。でもあの人に見られたら……」
はっとして母親は小屋の方へと顔を向けた。
「母さん、声が聞こえたが何かあったのか?」
小屋の戸を開けて中年の男が顔を出した。
「あ、あなた……」
呆然と呟く女は諦めたように肩を落とした。
エセルバートとエマの父親である。白髪交じりの赤毛は二人とよく似ていた。
「エセル? ……それに、エマか?」
「久しぶり」
やはり母親と同じように固まって動けなくなっていた。ただ、違うのはその表情にはありありと嫌悪が滲んでいた。
「魔女か。なるほど。人間を辞めてしまったのなら、家にいられるわけがないな。なぜ戻って来た? もう、お前はハートネット家の人間ではないだろう?」
「父さん!」
娘に対して言っていい言葉ではない。エセルバートが厳しい声で制止するけれど、なおも続く。
「エセルは黙っていなさい。お前は黒騎士だ。魔女がどんなものか知っているだろう? それなら、なぜ連れてきた? その女はもう人間ではないんだぞ!」
これが、魔女に偏見を持つ人間の考え方なのだろう。世間で魔女がどう思われているか知っているはずだった。しかし、実際に家族がこんなふうに言っているのを見てしまうと、心臓が氷の手で握られるかのように、冷たく引き絞られた。
「あなた……」
母は知っていたのだ。父親が魔女に偏見を持っていると。もしかすると、母親もそうかもしれないけれど、実の娘にそこまで冷たくできない人だったのだ。
「エセル、私はいいから。先に行ってるね」
エマはいつも通りに無邪気に笑って、エセルの腕を軽く叩いた。
その手が震えていることに気づき、背中を向けた妹を追おうとする。
しかし父の恫喝で足が止まった。
「エセル、待ちなさい!」
ゆっくりと男に振り返る金の瞳は、殺気にも似た危うさが見え隠れしている。
妹を言葉の刃で切りつけた男に湧くのは、憎しみに似た怒りだった。
金色の瞳は瞳孔が開き、眉は釣り上がっている。握る拳は震えていて、騎士の正装で来なくてよかったと心底思った。剣を持っていれば切りかかっていたかもしれない。
男は息子の表情を見て顔を青くした。ここまで怒りを露わにするエセルバートを初めて見たのだ。
「……今日はもう戻る」
「気をつけてね」
母はエセルバートに怯えることなく笑みを浮かべた。
気が弱く、いつも父の背中に隠れていた母と同じ人間だとは思えなかった。息子が知らないだけで、意外と芯が強いのかもしれない。
父親には目も暮れず、母に軽く頷いたあと、エマを追いかけた。
麦畑の細道を走り、途中で道を逸れて林の中に入る。エマはすぐに見つかった。
水路から繋がる川の側に座り、空を見上げていた。
「もう話は終わったの?」
見上げてくる金の瞳は、恐怖や怯えはなく、素直にエセルバートを見ている。
「悪かった」
「ううん。こういうことになるのは分かってたから」
妹は川の水面に視線を移した。金の瞳は静かで、感情の起伏がまったく見えない。
けれど、先程震えていた手を知っているエセルバートは、感情を押し殺そうとしているのだと分かっていた。
考えが甘かった。魔女とはいえ、エマは両親の娘だ。きっと快く迎えてくれるはずだとどこかで考えていた。
けれど、魔女は畏怖される存在であり、同じ人間とは扱われない。
国に保護されている魔女たちも、どう扱われているのかエセルバートは知らない。
しかし、表面に悲しみや寂しさを浮かべないエマの前で、兄である自分が取り乱すわけにはいかない。
「帰るか」
「そうだね。ねえ、帰りに宿を見て回ってもいい?」
「寮は嫌か?」
「ちょっと居心地が悪いかな」
両親の話題には触れず、敢えて明るく振る舞う。無観客の席に向かって芸を見せている道化師は、こんな気持ちなのかもしれない。
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