第3話

 露店のところまで戻ると、リーヴァイは複数の騎士と話していた。おそらく応援を呼んだのだろう。

 戻って来たエセルバートに気づくと、赤目の男が慌てて駆け寄ってくる。


「エセル、お前勝手に行くなよ。心配しただろう!」

「……すみません」


 いつもの軽い口調ではなく、真剣な声と眼差しで言われてしまい、素直に頭を下げた。

 普段ならからかい口調で柔らかな声が今は硬く、少し苛立っているのが分かる。他の上司であれば、頭ごなしに怒られていただろう。


「その様子だと逃げられたんだな」

「はい……」


 初めて上司が見せた本気の心配に、エセルバートの気持ちは萎んでしまう。


「そんなに落ち込むなよ。調子が狂うな」

「いえ、俺がリーヴァイさんの話を聞かなかったから」


 男は灰色の髪を撫でながらしばらく考えた後、何かを思いついたようだ。


「それなら、今度から俺のこと愛称で呼んでくれ。それで今回のことは帳消しだ」

「えーと……?」

「悪いと思うなら、言うことを聞いてろ」


 繋がりのない話題でしかないのだが、リーヴァイが少しでもエセルバートの心を和らげようと考えたのだ。その気持ちを無碍にすることはできなかった。


「……レヴィさん?」


 初めて愛称を呼ぶと、リーヴァイは鋭い視線を和らげて、微笑んだ。


「満足そうに笑わないでください。どうせただ呼ばせたかっただけでしょう?」


 いつも愛称で呼べと要求していたことを忘れたわけではない。


「いい機会だろ?」

「俺のためじゃなくて自分のためじゃないですか」


 大仰に溜め息を吐く。口でいう程、怒りは感じないのだが、上司の思い通りに動いているのは気に食わない。

 いつの間にか、気落ちしていた気持ちは浮上していた。リーヴァイの思い付きはいい方向に作用したようだ。


「じゃあ城に戻るぞ」

「……はい」


 狼のように釣り上がった眦が、笑むと優しく甘くなるのを初めて見た。

 今日は、初めて見るリーヴァイの表情が多い。新鮮だと思いながら、何かが心に引っかかる。

 けれど、それは時間が経つとともに薄れて行った。


 二人が手に入れた竜血の小瓶をもとに、さらに捜査は進められた。

 あれから何度か巡回したけれど、カフェオレ色の髪をした女は見かけていない。

 警戒されているのかもしれないし、別の思惑があるのかもしれない。


 しばらく何事もなく時間は過ぎて行った。


 このまま何も動きがないままではないのかと思われた矢先、総隊長から指令が下された。


 街外れにある倉庫に、竜血が保管されているという情報が入ったのだ。

 多くの黒騎士が現場へ向かう中、リーヴァイとエセルバートも急行した。


 倉庫の外には他の隊の騎士もいて、包囲網が敷かれていた。

 虫一匹も逃がすまいと、緊張感が張り詰める。

 総隊長の手振りで一斉に倉庫へ突入した。


 入り口から入ると、中は明かり一つなく暗闇に包まれていた。所狭しと荷箱が積まれていて、一見するとどこにでもある倉庫だった。


 周囲を警戒しながら進み、箱の中を確認する。

 箱は二段になっていたけれど、奥の一段が目立たないように隠されていた。底を外すと赤い液体が入った小瓶がぎっしりと詰まっていた。


 それをリーヴァイに視線で合図して知らせる。リーヴァイが指示を出すと、他の黒騎士が別の箱の中身を確認し始めた。


 歩けば埃が舞う中をさらに進む。

 一番奥の部屋まできたけれど、倉庫の中は沈黙が守られていて、人の気配がない。


「……もぬけの殻か」

「逃げられたんでしょうか」

「そうかもしれんな」


 エセルバートは他に不審な場所はないかと調べていると、ある場所で床に違和感を覚えて立ち止まる。


「どうした?」

「見てください。板の継ぎ目が不自然です」


 木の床は、一定の方向でそろえられているのが普通である。しかし、あるところで木目の向きが変わっていた。

 その木目を目で追うと、綺麗に四角形になっていた。人工的に作られたもので間違いない。


「床ってことは、地下があるのか?」

「そうかもしれません」


 屈んで床を指でなぞりながら調べていると、手触りが少し違う場所があった。そこを押してみると、かこんと音がして凹む。

 すると仕掛けが動いて床から階段が現れた。


「お手柄だな」


 何人か黒騎士を引き連れて、階下へと降りて行く。そこまでの深さはなく、すぐに地下室へと着いた。

 そこには男が何人か倒れていた。


「こいつは……」


 近づいて確認すると、男たちは息があり、気絶しているだけだった。後ろの騎士に男たちを任せて、周囲へと視線を向ける。

 そして奥で椅子に座っている人影に気づいた。


「まだいるのか」


 リーヴァイが警戒する声を上げたけれど、エセルバートは驚きで目を見開いていた。

 暗い部屋の中だが、はっきりと彼女の姿が目に映る。

 赤い髪をした少女が、瞼を閉じて眠っている。


「……エマ?」

「おい、エセル?」


 リーヴァイの声には無反応のまま、エセルバートはゆっくりと少女へと近づいていく。

 椅子の上で両手を縛られている少女の年齢は十七歳くらいで、赤いケープとクリーム色のブラウス、深紫のスカートを着ていた。


「どう見ても十代の娘、だよな」


 遅れてリーヴァイがやってきて、エマを確認している。

 不意に少女の瞼が震える。すぐに開かれると、エセルバートと同じ黄金の瞳が現れる。


 寝起きで意識がはっきりしていないのか、ぼんやりと周囲を見回したあと、エセルバートを見る。


「……エセル?」

「エマ、か?」

「久し振りね」


 疲れた様子のエマを見て、すぐに手首の縄を解こうとして手が止まる。動物が厄介ごとを運んでくると思ったのだ。


「どうしたの?」

「……いや、何でもない」


 早く解放してやりたくて、他のことを考えるのをやめた。何か起こったときはそのときだと、腹を括り縄を解いてやる。


 しかし、しばらく待っても何も起こらない。

 怪訝に思いながらも、今はエマのことを何とかする方が重要だ。


「お前、いったい今までどこにいたんだ?」


 意外と大きな声になってしまった。部屋に響いた己の声に驚いて、手で口を覆った。

 リーヴァイはそんなエセルバートの肩を叩く。


「事情を聞きたいだろうが、こんなところで話すのもな。一度王城に戻るぞ」


 渡された毛布を妹の肩にかけながら頷いた。


「平気か?」


 六年ぶりの再会に喜びはあったものの、今はただ妹の体調を気遣う。


「うん、ありがとう」


 短い会話をぽつりぽつり交わしながら、王城へと戻った。


 騎士団に常設された医務室にエマを置いてもらい、エセルバートたちは事後処理に追われた。

 時折、リーヴァイが気遣って声をかけてくることがあり、意外と繊細なことまで気づくのだなと感心していた。


 夕方になり、慌ただしい空気も落ち着いた頃に再び医務室へと向かった。

 ベッドが並ぶ部屋で一人ぼんやりと窓の外を眺めている妹のもとへ行く。


 エセルバートの隣にはリーヴァイもいる。

 六年間、妹を捜していたことは第二隊の人間に知られている。

 事情を知っている上司が、心配していたことも察していた。エマの容姿を見て疑問も持っているだろう。それなら、同席してもらった方がいいと判断したのだ。


 エマがこちらに気づいて満面の笑みを浮かべている。


「エセル、童貞を捨てたりしてないよね?」


 年頃の少女の口から語られた声に、黒騎士二人は一瞬硬直した。

 幼い頃に一度した会話を、エセルバートは懐かしく思う。


「面白いお嬢さんだな」


 我に返ったリーヴァイは大声を上げて笑い始めた。


「……レヴィさん」


 白い目を向けるエセルバートに気づくと、何とか笑いを堪えようとして、喉が引きつっているのが見えた。


「それで、エマ。六年振りだけど、どうして今更出てきたんだ? 見た感じだと元気そうだけど。それに……」


 理解していても、口にするのは憚られる。


「うん、私魔女になったよ」


 昔の姿と変わらない彼女を見て確信してはいたけれど、はっきりと肯定されて、エセルバートはぐっと眉根を寄せた。

 どこから話を聞けばいいのか。すべて話してくれるのか。そんなことが脳裏を過ぎる。

 硬く口を引き結んでしまったエセルバートの代わりに、リーヴァイが口を開く。


「お嬢さんは……」

「エマでいいよ」

「俺はリーヴァイだ。エマは、どうしてあんな地下に捕まっていたんだ?」

「あいつらに魔女だってバレちゃったんだよね。そうしたら捕まっちゃって閉じ込められてた」


 魔女というだけで、人は偏見と差別の冷たい視線を向ける。

 それを承知していたから、極力誰にも正体を気づかれないように注意していたけれど、魔法を使っているところを見られたのだという。


「魔女になってから王都に来たの初めてだから、少し疲れてたのかな、周囲への警戒が疎かになってたみたいで」

「無事でよかった」

「何も言わずに出て行ってごめんね。心配かけるのは分かってたんだけど……」


 表情を曇らせるエマの髪をおそるおそる撫でた。それでも周囲に変化はなく、静かなままだった。

 このとき、彼女の側では何も起こらないのだと確信した。

 エマの近くにいても動物が襲ってこないのは、彼女が妹だからかもしれない。それはエセルバートにとってとても都合がよかった。


「どうかした?」

「いや、なんでもない」


 一度頭を振り、話を続ける。


「魔女になってしまったのなら、事情を話すこともできなかっただろ」

「うん」

「つらかったな」

「……うん」


 震える声でたどたどしく返事をするエマを、ただ優しく撫で続けた。

 話しているうちに、太陽が傾いて、空には月が顔を出していた。


「レヴィさん。今日はもうこのまま帰って大丈夫ですか?」

「ああ。今日はもういいだろう」


 それを聞くと、三人で事務室に向かう。

 急なことでエマは宿がない。この時間だと、部屋はほとんど満室だ。

 それならば、騎士の独身寮で空いている部屋を借りられないか確認をすることにしたのだ。


 事務担当の文官は、同情したような顔であっさりと許可を出した。

 総隊長への報告は、リーヴァイがしてくれることになった。一度礼を言ってから分かれると、今日の宿へとエマを案内した。


「騎士団の寮に泊まるなんて、普通できないよね」

「今回は特別だ」


 はしゃぐエマを窘めているうちに空き部屋に着いた。

 部屋の中を覗くと、エマは嬉しそうにエセルバートを振り返った。


「エセルもこんな部屋に住んでるの?」

「造りは似たようなものだな。俺の部屋には面白いものなんて何もないけど」


 今まで妹を捜してばかりで、寝に帰るようなものだった。生活感のない部屋をエマに見せようとは思えない。


「取られていた荷物は明日渡しに担当の者が来るはずだ」

「分かった」

「食事は一階の食堂でできるから、朝またそこで会おう。それじゃあ、お休み」


 妹と別れると、エセルバートは真っすぐに自室へと向かった。

 殺風景で何もない部屋なのに、今夜は帰るのが待ち遠しかった。

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