第35話 緊急事態発生


 いつもの、もはや見飽きた玄関灯が視界に入ってくる。


 ──やっと家の前まで帰って来れた。


 道中、出来るだけ人に遭わないように、背中にいるブレンダを起こさないように、ゆっくりと回り道をしていたら、もうすっかり遅い時間になってしまっていた。両手が塞がっているため、正確な時間を知ることは出来ないけど、体感時間はおそらく夜の十時をまわっている頃だろう。

 また姉ちゃんに色々とどやされる未来が見える。

 昨日の今日で、何を言われるか想像したくないが、今回は問題ない……と思う。俺だって、考え無しに回り道をしていたわけではない。今回はきちんと〝言い訳〟を用意してあるのだ。


『山を歩いていたら、外国人の女の子が倒れていたから助けた』


 完璧だ。完璧じゃないか。一部の隙さえない、パーフェクトな言い訳だ。これにはさすがの姉ちゃんも納得せざるを得ないだろう。

 俺はいつの間にか軽やかになっていた足取りで、家のインターホンまで歩いていくと、無理やり頭突きでチャイムを押した。

 ──ピン……ポー……ン……。

 いつ聞いてもマヌケなチャイム音だ。子供の頃はもうすこしハッキリと聞こえていたはずだが、いつの間にやら、現在のようなセミの断末魔のような音になっていた。


 ──ドタドタドタ!

 チャイムが鳴り、そこからすぐに足音が聞こえてくる。古い木造建築だからか、こんなところまで音が届いてくるのだろうけど、姉ちゃんの足音にしては妙に大きい気がする。



「カナデか!?」



 玄関を開けて飛び出してきたのは父さんだった。居間から玄関まで全く距離などないのに、なぜか息を切らせている。



「……なんだ、マコトか」



 まさかのため息。この父親、息子の顔を見てため息をついてきた。



「その反応、地味に傷つくからやめてよ」


「いや、すまん。お帰りマコト」


「ただいま……て、さっき〝カナデ〟って叫んでたけど、姉ちゃんまだ帰ってないの?」


「そう。そうなんだよ。今日は職員室でみーちんぐ・・・・・が終わり次第、帰ってくると言ってたんだが……」


「……ミーティングって、そんなに時間がかかるもんでもないよな」


「数分で終わると言っていたんだが……」


「じゃあ、もう帰ってもおかしくない頃だよな……。それから連絡は?」


「ないんだよそれが。さっき父さんも学校まで見に行ったんだけど、真っ暗で誰もいなかったし」



 それで息が切れてたのか。



「たぶん教師に誘われたとか、教育実習生同士と打ち上げしてるとかじゃない?」


「いや、それだと連絡があるはずなんだ。少なくとも、サークルで飲み会がある時なんかは必ず事前に連絡があったし」


「……心配し過ぎなんじゃない? 姉ちゃんももういい年なんだし、そこまで縛られたくないんじゃないかな」


「そうかなぁ……そうだとしたら悲しいなぁ……て、そういえばマコト、どこへ行ってたんだ。こんな遅くまで」


「山」


「……とりあえず、そんなところにいないで、中に入ってきなさ……て、その背中にいるのはどなたさん!?」


「どなたって……えっと、山を歩いていたら、外国人の女の子が倒れていたから助けた」


「なるほど。さすが父さんの息子だ。見上げた博愛心だな」


「だ、だろ?」



 よし。やっぱりこの言い訳、使えるな。

 俺は確かな手ごたえを感じつつ、家の中へと入っていった。



「でも、病院に連れて行かなくて大丈夫なのか?」


「あー……ただの過労だから、寝てれば直るよ」


「ただの過労って……それこそ、病院に連れて行かなくちゃダメだろ。過労をアマく見たら危険だぞ。最悪の場合──」


「す、擦りむいただけだから、本当は。擦りむいて……急にパタッと……」


「……なるほどな。父さん、異国の人の体の事は良くわからんからな。そういう事もあるのだろう。知らんけど。でもどのみち、病院には連れてったほうがいいんじゃないか?」


「うん……、まあ……、でも……、海外ではこれが日常茶飯事なんだって。この子が言ってた」


「なにそれ、こわいな海外。絶対旅行とか行きたくないわ。……とりあえず、救急箱から絆創膏と消毒スプレーを──」



 ──ピン……ポー……ン……ピンポピンポピンポ……ピンポーン!

 何者かが家の、マヌケなインターホンを連打してくる。インターホンも連打されてるうちに覚醒したのか、途中から在りし日のチャイム音を雑音無しで垂れ流している。



「我が従者よっ!!」



 玄関扉の外から、家の中にまで響くほどの大声。聞き覚えのある声で、身に覚えのある呼び方だけど、俺が記憶しているあいつ・・・はこんな近所迷惑な大声を出さない。そんなことを考えていると──



 ガラリ。

 父さんがおもむろに玄関扉を開けた。



「あ、我が従……マコトくんのお父さんですか?」


「はい。私がマコトの父ですが」


「……あの、マコトくんはいらっしゃいますか? その、すごく、急ぎの内容でして……」


「なあマコト、あの和装の女の子、マコトの事を呼んでるみたいだけど……?」



 女の子……?

 怪訝に思い、父さんが指さす先を見てみると、そこにはこの間と同じ衣装を着て立っている藤原の姿があった。



「父さん、あいつ男だぞ」


「え? そうなの?」


「まあいいや。害はなさそうだし、俺ちょっと行ってくる」



 俺はそう断ると、ブレンダを背負ったまま、藤原のところまで歩いていった。藤原はなにやら興奮しているのか焦っているのか、汗をかきながら、その場で駆け足をしていた。

 ……それにしても、たしかに学校の制服を着てないと、女子にしか見えないな。



「た、大変だよ! 大変なんだって、我が従者!」


「落ち着け藤原。口調がバラバラだ。……それに、一体どうしたんだ、こんな時間に。そこまで常識のないやつじゃなかっただろ」


「お姉さんが……マコトくんのお姉さんの、カナデさんが攫われちゃったんだ!」


「……は?」



 一瞬、目の前が真っ白になる。時間が止まったような感覚に陥る。

 そのはずみで、ブレンダが背中からずり落ちた。



「ま、マコトくん!? その女の人……だいじょう……ていうか、誰!?」


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」



 俺はとりあえず冷静になると、足元に転がっていたブレンダを抱え上げ、父さんの元へと走っていった。



「父さん、こいつ……ブレンダって言うんだけど、俺の部屋で寝かしといて!」



 俺はそう言うと、ブレンダを父さんに押し付けた。父さんは戸惑いながらも、ブレンダを受け取ってくれると──



「お、おう……なんか物みたいだけど……わかった。けど……あの和装の子、なんて言ってたんだ? ちらっとカナデの名前が聞こえたような気がしたんだが……」


「大丈夫、あいつは同じ学校の友達で……ちょっと、今から姉ちゃんを迎えに行くから」


「父さん、ついていかなくて平気か?」


「うん、学校の中の事だから、逆についてこられると面倒になる」


「わかった。あまり遅くならないようにな」


「わかってる」



 俺はそれだけ言うと、玄関から出て扉を閉めた。つぎに俺は家の敷地から出ると、アスファルトに手をついて魔力を集中させた。

 ──ブゥン!

 薄い円形の膜が家全体を覆う。これである程度の魔物・・なら、触れただけで蒸発する。



「す、すごいよ、マコトくん! ここまでの結界術……見たことがないよ!」


「いや、それよりも……」


「そ、そうだったね! えっと……とにかく、ついて来て! 走りながら話すから!」


「ああ」



 藤原はそう言うと、そのまま走り出した。

 ──嫌な予感がする。

 藤原が警察ではなく、俺のところに来たという事は犯人は……いや、まだ断定するのは早い。俺は少し遅れで、藤原の後についていった。

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