第31話 懲りないいじめっ子
一限が始まる前の、いつもの教室。
いつも通りの相生先生の適当なホームルームが終わり、教室内は一限目の体育に向けて動き始めていた。なんら変わり映えのない、いつもの光景。
まるで昨日のことなどなかったかのように、皆いつも通り振舞っていた。
いくつかの(誰に対してはわからないが)言い訳を用意していたのだが、それはどうやら必要なかったらしい。どういうカラクリなのかはわからないけど、こうやって普段通り過ごせるのなら──
「おーう、高橋ー! はよーっす!」
思考を遮るように、背後から元気のよい男子の声が聞こえてきた。
この声は振り向かなくてもわかる。野茂瀬だ。レヴィアタンを前に固まっていた昨日とは打って変わって、いつも通り、底抜けに明るい声。
俺は机の横にかかっていた体操着の入っているナップザックを手に取り、おもむろに振り向いて挨拶を返した。
「ああ、野茂瀬おはよ──」
「昨日の黒服って、結局誰だったんだー?」
ピシッ──
教室内の空気が一瞬にして凍りついてしまったような感覚。
今までそれぞれ、思い思いに談笑していた生徒全員が、一斉に黙る。
「高橋の知り合いだったのか? なんつーか、随分おっかない感じの人だったな」
そんな教室内の空気を知ってか知らずか、野茂瀬が何食わぬ顔で続ける。教室内は依然、野茂瀬が発する声以外の音は聞こえてこない。皆、俺たちの会話に聞き耳を立てている状態だ。
──ゴクリ。
この空気に耐え切れず、たまらず意識的に嚥下してしまった唾が、喉元を大音量で通り過ぎる。この音さえも、教室中に反響しているんじゃないかと錯覚してしまうほど、今、俺の精神が研ぎ澄まされている。
「あー……えっと……」
あまりにも異質な空気。あまりにも突然の出来事に、直前まで用意していた言い訳が全て頭から飛んでいってしまう。こんなことならメモを用意すればよかった。
いや、メモを読みながら言ってもかえって頭のおかしいやつにしか思われない……って、そんなくだらない事を考えるよりも、今は何かそれっぽい言い訳を考えなければ──
〝ネットで知り合った友達〟……は昨日姉ちゃんにダメ出しされたからダメで……。
〝父親〟……と言ってしまうには、レヴィアタンの外見はあまりにも若すぎる。同じように〝兄〟だと言ってしまえば、そこから怒涛のように質問されるだろう。
俺からそこまで遠くなく、近くもない関係──ダメだ。何も思いつかない。
「もしかして、あれか? このまえ高橋が大島をボコったから、その仕返しでバックにいたヤバい人たちが仕返しにきたとか?」
「そ、そうそう俺が大島をボコったからで……って、はあ!?」
驚きのあまり、奇怪な声が俺の口をついて出る。まさかと思い、教室内を見回してみるも、誰も俺と目すら合わせてくれようとしない。
「……俺、大島をボコった事になってんの……!?」
「おいおい高橋、何言ってんだよ! 大島に呼び出されて、無傷で帰って来てたじゃねえか!」
「いや、それはただ……ちょっと世間話してただけだから……」
「ん? でもあの後、大島のやつ、病院に運ばれたって聞いてるぜ?」
「そ、そんな事になってたの!?」
あまりの展開に俺はもう一度教室内を見回してみるも、さきほどと同じように、誰も俺と目すら合わせてくれようとしない。どうやら本当の事らしい。
「き、急に腹でもくだして、病院に運ばれたんじゃない? ここ最近ずっと暑かったからさ、何か悪くなったものとか食べたとか……」
「いや、でもその場所に居たやつが、『高橋が大島を一発でノックアウトした』って言ってたけど……」
「な!? ……いや、たまたま強風で飛んでいったんじゃ……」
「なあ高橋、それはさすがに苦しいんじゃないのか?」
「で、ですよねー……」
「ちなみに、その日は人ひとりが飛んでってしまうほどの強風は起こっていないってみたいだぞ」
「えぇー……逃げ道ないじゃん……」
「で、どうなんだ?」
期待に満ちた目で俺を見てくる野茂瀬。
非常にめんどくさい……というか、はやくこの質問から解放されたいけど、ここで『ああうん、そんな感じ』みたいに適当にあしらったら、本当に俺が、『大島をボコボコにした後、怖い人達に連れていかれ、そこからさらに無傷で戻った』という事になってしまう。
そんな噂が広まってしまったら、今以上に、色々なところから目をつけられかねない。
ここは是が非でも否定しておかなければいけない……が、そうなってくると、今度は事の真相を話さなければならなくなってくる。
なら、ここは──
「き、昨日の黒服の人は……」
「黒服の人は?」
「じ、じつは……」
「じつは?」
「ね、ネットで知り合った友達……なんだよね」
「友達……」
しまった。やってしまった。
何をやってるんだ、俺は。この言い訳は、あれほどダメだと自分で言っていたのに──
「あ~! なるほど、ネットで知り合った友達だったんだな!」
ポン、とわかりやすく野茂瀬が手を叩く。それから少し遅れて、今まで静寂に包まれていた教室に再び活気が戻ってきた。皆、いまの俺と野茂瀬の問答なんてなかったかのように、普段通りに振舞っている。
え? こんな適当な言い訳でいいの?
そう呆気にとられている俺の視界に、なぜか蠅村の顔が飛び込んできた。蠅村は俺の視線に気が付くと、ニンマリと口角を上げ、意地悪そうに笑い、俺に向けてピースを送ってきた。
あの蠅村の感じ、絶対あいつが皆に何かしたのだろう。
普段なら『余計なことをするな』と怒るところだけど、今回ばかりは蠅村に助けられた。俺は一抹の罪悪感と、小さじ一杯ぶんの感謝を蠅村に感じながら、体育の支度にとりかかった。
──そして、その後の昼休憩時、また三柳たちがぞろぞろと教室に入ってきた。
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