第16話 麻薬と魔物


 俺がレヴィアタンの頭を吹き飛ばしてから一時間後、予定よりも早くローゼスと不破が帰ってきた。

 ローゼスは部屋に入ってくるなり、肩に担いでいた何か・・をドスンと部屋の真ん中に雑に置いた。見ると、ロープで手足と体をぐるぐる巻きにされた、俺と同じくらいの年齢の男だった。口には布を咥えさせられており、『ぅぅぅぅぅ……』と小さく唸っている。

 しかし抵抗している様子はなく、男の目は虚ろで、ローゼスになかば叩きつけられるように降ろされたというのに、身じろぎひとつせず、ただじっと小さく唸りながら虚空を見つめていた。

 薬物中毒者。レヴィアタンから聞いた話と合致する。カイゼルフィールではたびたび見かけたことがあったけれど、こっちで見るのは初めてだ。


 今回の事件についてのあらまし……というよりも、レヴィアタンから聞いた話を簡単に要約すると、近頃ここらへんの区域で、とある薬物の中毒者が激増しているから、その取り締まりに協力してほしいという事。

『そんなもの、警察にでも任せておけよ』

 と反論したが、そう単純な事でもないらしい。


Arkアーク-MA・エムエー


 それが現在、俺の目の前にいる男の体を蝕んでいる麻薬の名前。既存の麻薬のどれとも当てはまらない新種の麻薬。聞き慣れない名前。

 だが、その効能は一時的な興奮作用や疲労の回復といった、従来の麻薬が有する効能と何ら変わらない。

 では何故、この麻薬が問題になっているかというと、肉体の大幅な強化および活性化を促すからである。ステロイドといった単純に筋力を増強するのではなく、腕力・・だけを増強させるのだ。これを服用した人間は、見た目こそ変わらないが、およそ人間では出しえないような力を出せるようになれるという。


 ──と、いうのが表向きに認められている効能だが、その本質は全く違ったもの。



「魔物転移装置……!」



 ローゼスが噛みしめるように呟く。それと同時に、男のズボンのポケットからスマートフォンがこぼれ落ちた。

 画面には『Arkアーク-MA・エムエー』の文字。これが麻薬なのに装置・・と不破たちに呼ばれる所以。

 つまり、電子麻薬ドラッグだ。それも、誰にでもダウンロード出来るようなアプリという形式。

 ちなみに、なぜ『魔物転移』と呼ばれているのかというと──



「ただいま、カイ、それにマコトクン」



 相変わらず奇怪な仮面をかぶっている不破が、気の抜けた声で話しかけてきた。俺はそれを無視したが、隣にいたレヴィアタンはきちんと礼儀正しく、不破に挨拶を返した。



「おかえりなさい、ボス」


「どうだい、マコトクンとは上手くいっているかい」


「ええ、二度殺されました」


「ふふ、それは重畳。なんならもう二回くらい殺されればよかったのに」


「ボス、仮面の下の顔が笑ってませんよ。冗談を言うのなら、まずは表情を綻ばせないと、とマコトクンが言っていました」


「うん。まあ、冗談じゃないからね。……ちなみに、マコトクンにはどこまで説明したんだい?」


「それは──」


「魔物転移装置の事について、簡単な事だけな」



 俺はレヴィアタンの言葉を遮って不破の質問に答えた。このまま、こいつらが軽口をたたき合っていたままでは、いつまで経っても話が進まなそうだったからだ。



「そっか。なら、改めて私のほうから説明するとしよう。『Arkアーク-MA・エムエー』という電子ドラッグがなぜ魔物転移装置と呼ばれているのかは、読んで字のごとく、魔物を異世界から転移させることが出来るからだ。だけど一般人が、それも魔法も使えない人間が、そんな簡単に魔物をこちらの世界に呼ぶ事なんて出来ない。それに、一般人が魔物を転移させるとなると、せめて何かしらの触媒が必要となってくる」


「そこで、『Arkアーク-MA・エムエー』の出番というわけだろ?」


「そそ。もうカイから聞いてるかもしれないけど、そのアプリには簡易的な催眠魔法がかかっている。私たちやマコトクンたちには効かないような、弱っちい魔法だけど、抵抗力のない一般人にはその効果は絶大だ。一瞬にして精神がやられてしまう。そして、その時点で完成・・してしまうんだ。魔物たちが入り込める格好の容器・・が」


「呼び出された魔物はすぐその人間の中に入ることで、転移が完成する。そして人間の皮をかぶった魔物が出来上がる。だから、何も知らない人から見ると突然腕力が上がったように見える……というわけか」


「そういう事。さらに、ここからが厄介なんだけど、その体に入った魔物がその人間自身に成り代われる事だね」


「見た目だけじゃなくて……か?」


「見た目ももちろん、記憶も人格も継承できる。だからやろうと思えば、寸分の狂いもなく、その人物になりきる事が出来ちゃうんだ。つまり、その魔物が周り人間にアプリを広めていったら……」


「何の疑いもなく、雪だるま式に使用者が増えていく」


「それが今の現状ね。だからこうして私たちが話してる間にも、犠牲者は増えてっているんだよ」


「ローゼスを挑発して、追いかけさせたのは説明する時間が惜しかったからか?」


「そうだね。マコトクンはともかく、ローゼスクンが聞く耳をもってくれるとは思ってなかったからね。実際に服用・・している現場を見せる事で、無理やり信じさせたんだよ」


「あ、あたしだって……!」



 ローゼスは不破に何か言おうとしたが、握りこぶしを固めたまま、黙ってしまった。



「ホント、ごめんね。マコトクンたちを騙すようで気が引けたけど、それほどまでに時間がなかったんだ」


「……いや、俺こそ頭に血が上ってレヴィアタンに酷い事をした。……悪かった」


「頭を上げてください、マコトクン。僕は気にしていませんよ」


「なんなら、息の根を止めてもよかったのにね」


「ですからボス、仮面の下の顔が笑っていません。冗談を言うのなら、まずは表情を綻ばせないと」


「え? 冗談じゃないけど? ……それにしてもサターンってば、我が部下ながらホントにえげつない事を考えるんだから。いや、部下だね」



 あまりにも飄々とした不破の物言いに、思わず質問を投げかける。



「……なあ、マジで、元凶はおまえらじゃないんだな?」


「ひどいなぁ、私たちを疑っているのかい?」


「魔物が絡んでるんだから、疑うのは当たり前だろ」


「うん、それもそうだね。……じゃあ断言しておこう。今回転移してきている魔物は全員、私の元を離れてサターンについていった魔物たちだ」


「証拠は?」


「この子たち、私の事を敬ってない!」


「……それ、証拠なのか?」


「うーん……ならここで、私たちの事を殺すかい?」



 不破の発言で、場の空気が一気に凍り付き、歪み始める。



「……なんて、冗談だよ、冗談。証拠というか、もし私が今回の事件の黒幕だったら、こうやってマコトクンたちに知らせる意味がないよね」


「まあ、それもそうだな……」


「それで納得してくれたかい?」


「全然」


「それはよかった」


「……なにが?」


「オイ、もう話はいいだろ……! このフザケた電子ドラッグとかいうのをばらまいてる大元、サターンを潰すぜ!」


「……ねね、マコトクン」



 不破がこそっと耳打ちしてきた。



「なんで彼女、あんなにキレてるの?」


「え、おまえ、それを知らないでローゼスを使用者に会わせたのか?」


「さっき言ったろ? 私は、自分の目で見ないと信用しない派だと思ったから、ローゼスクンを連れ出しただけなんだ」


「……なら、言うわけないだろ。個人情報なんだから」


「おや! ふふふ……意趣返しのつもりかい? まあいいさ。私も野暮じゃない。これ以上は何も訊かないよ」


「思考も読むなよ」


「大丈夫。それはもう止めたから」


「……ならいい」



 ローゼスの両親はどちらも、ローゼスが小さい時に麻薬関連の事件で命を落としている。それゆえ、ローゼスは人一倍麻薬というものを憎んでいるし、消し去りたいと思っている。それだけに今回の事件、適任といえば適任なんだろうけど、熱くなりすぎて周りが見えなくなってしまう可能性もある。

 上手く手綱を握らなければ、暴走して大惨事になりかねない。



「一旦待て、落ち着けローゼス。まずは情報を整理するのが先だろ」


「ここにいる五人全員でしらみつぶしに使用者をシメていったら、すぐサターンに辿り着くだろうが。こうしてる間にも麻薬の使用者が……魔物が増え続けてるんだろ? モタモタしてる暇なんてないぜ」


「あ、ごめんねローゼスクン、悪いけど上の階にいる子は頭数に入れないでほしいんだ」


「は? なんでだよ」


「彼女はその……こっちに来てから色々あってね。ワケあって、引きこもってるんだ。機会があれば紹介するから、今はそっとしてあげてほしいな」


「チッ……まあいいや。あたしとマコトがいりゃどうとでもなんだろ。いくぞ、マコト」


「いや、だから落ち着けってローゼス」


「ああ!?」


「……ローゼス」


「んだよ! ビビってんのかよ、マコト! らしくねェなァ!?」


「……あのなぁ、しょうもない挑発すんなって」


「誰が挑発なんて……! あたしはただ……!」


「ローゼスの気持ちはわかるよ。……けど、いま闇雲に動いても意味ないだろ。ローゼスが使用者を倒しても、そこに転がってる使用者は口を割らなかった。だから、ここに帰ってきたんじゃないのか?」


「そ、それは……」


「じゃあここはきちんと情報を整理するべきだ。それに、ローゼスの言う通り派手に動いて回って、相手にこっちの動きを察知されたらどうする?」


「作戦が長引く……かも」


「……てことは、頭に血が上ってるからって、事態を余計にややこしくさせてるのはどいつだ?」


「……すまん」



 ローゼスが握りこぶしを解いて、その場で俯く。よかった。とにかく、意気がほぼ消沈したのだろう。



「話し合いは終わったかい?」


「……悪かったな、時間を取らせた」


「いいさ。それが人間ってものなんだろ? ……さて、元締めの情報だけど、大体の事はわかった。だろ、カイ?」


「ええ、ボス。アプリの製造元の会社を特定する事が出来ました。ですが──」


「うん? どうかしたかい?」


「いえ、ここは実際に行ってみるべきですね。会社はここから遠くない場所にあります。おそらく、すぐに肉眼で確認できるようにするためでしょう」


「……でも、それってダミーじゃなくて、きちんとした会社なんだよな? 学生と身元不明の外国人に、仮面をかぶった変態で押し寄せたら面倒な事にならないか?」


「ふっふっふ、だいじょーぶ! なぜなら、カイはこれでも探偵だからね!」

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