第15話 至高の生物 嫉妬の蛇


 昨日となんら変わり映えのない、駄菓子屋奥にある四畳半一間の部屋。

 その中央にあるちゃぶ台には、『マコトクン』と書かれた湯呑みと『バカ』と書かれた湯呑が、ユラユラと白い湯気を立てながらちょこんと置かれていた。

 俺はそのまま部屋の奥まで歩いていくと、壁を背にして座り、入り口のほうを睨みつけた。



「……で、何か事か?」


「ふふふ。さすがですね、バレてましたか」


「バカ言うな。せめて、気配を消す努力をしろ」



 現れたのはひどく胡散臭い印象の男だった。グレーのスーツベストに同じ色のパンツスーツを合わせており、かっちりとした格好はしているものの、髪はボサボサのクルクルで整えられておらず、室内なのになぜか丸ぶちのサングラスをかけていた。

 男はフラフラとした足取りで部屋に入ってくると、そのままちゃぶ台の前で胡坐をかいた。



「自己紹介の前に……すみません、まずはお茶を飲んでもいいですか? 昨日からずっと何も飲んでいなくて、喉が渇いて仕方ないんですよね」



 俺は特に何も答えなかったが、男はそれを許可ととったのか『バカ』と書かれた湯呑みにを掴むと、ほぼ熱湯と呼べる温度のお茶をグイっと一息に飲み干した。



「……うん、やはりお茶は良い。沁みますね」


「知らんがな。……それより、大丈夫なのか?」


「はい? なにがですか?」



 男に熱がっている様子もない。これ以上お茶の話をしても意味ないな。



「……まあいいや、この部屋に入って来てるって事は、おまえも蠅村と同じく魔王軍の誰かって事だよな?」


「おや、さすがの慧眼ですね。魔力はうまく消したと思っていたのですが……」



 男は右手の中指と親指でサングラスの端を持つと、クイっと上へ上げた。



「その見た目で一般人は無理があるだろ」


「なるほど、この格好もダメでしたか。それでは裸に戻るしかありませんね」


「待て待て脱ぐな! 気色悪い! 裸よりその格好のほうが万倍もマシだよ」


「ふむ」


「……俺も最初は、その見た目から大島の……うちの学校の不良と繋がりのある、アッチ系の怖い人かと思ったけど、……あんた、微妙に魔力の残り香・・・があるんだよ。それも蠅村と同じような系統の。だから、仲間と思った」


「はい、マコトクンのおっしゃる通り、僕は不破ボスの部下です。名前はバカ……ではなくて、蛇山 海ヘビヤマ カイと申します。もちろん偽名ですが、これでもいちおうマコトクンとは面識があるんですよ」


「……心当たりはないけど」


「レヴィアタン、と申し上げればよいでしょうか」


「あ~……、あいつか」



 思い出した。レヴィアタン。バカデカいウミヘビ。蠅村と同じく不破の部下で、魔王軍の一体。不破の本拠地に向かう時、船に乗って一度だけ戦った事がったけど──



「……俺、あの時きちんとトドメを刺したよな」


「ええ、それはもちろん」


「じゃあ、なんでまだ生きてんだ?」


「あのとき死んだのは僕ではなく、兄ですから」


「……その仇討か?」


「冗談です。僕に兄なんていません」


「サングラスしてるんだから、目が見えないんだから、冗談を言う時はせめて口角は上げろ」



 俺がそう言うと、レヴィアタンはニィッと、ゆっくりと不自然に口角を上げてきた。



「マジで、気色悪いな……」


「おや、気分を害してしまわれましたか。申し訳ありません、なにぶん笑顔は苦手なもので」


「さっき普通に笑ってたろうが。……ていうかあれだな、バカにしてんだろ。俺のこと」


「まさか。殺された腹いせに、せめてからかい殺してやろう。……なんて、微塵も思っておりませんとも」



 相変わらずの真顔。口角もあげない。何を考えてるのかもわからない。こういう輩は相手にするだけ無駄だ。



「……それで、俺たちが倒したはずのあんたが、どうしてまだ生きてるんだ?」


「それは……申し上げられません」


「そうか……えっとな、おまえんとこのボスは、俺への情報は出来るだけ開示してくれるって言ってたけど……、おまえは俺たちに協力的じゃないのか?」



 これはもちろんブラフ。不破はそんな事は言ってないし、俺が仲間にならない限りは言わないだろうけど、のちに敵となる可能性のあるヤツの情報は、とりあえず知っておいて損はない。

 とりわけ、このレヴィアタンに至っては俺は一度殺しているはず。俺の攻撃が通用しないのか、殺すには何か手順が必要なのか、それとも考えにくいけど、不死身なのか……とにかく、何を置いても、その秘密を知っておきたい。



「さようでございますか。……なら、ボスから聞いている通りだと思いますが」


「あ、そう? そういえば聞いてたような、そうでもないような……」



 徹底してるな。レヴィアタンのこの発言、おそらく不用意に部下から情報を引き出されないよう、大事なことはすべて不破自身の口から発言することにしているのだろう。

 したがって、部下が自分たちの事について話す事はない。これ以上訊いても無駄。

 という事は、この状況は──



「宣戦布告って事でいいんだよな」



 ちゃぶ台には俺とレヴィアタンの湯呑みが二つだけ。ローゼスと不破の茶飲みはない。これはすなわち、ローゼスがここには来ないという暗示。

 だとすれば、直前の不破とローゼスのあれは追いかけっこではなく、俺と引き離すための作戦。

 おそらく、俺の顔を見て安心させたところで、不破がローゼスを挑発し、誘導する手はずだったのだろう。そして、いつの間にか蠅村が消えていたのは、誘導されたローゼスを不破と挟み撃ちをするため。

 俺のところへレヴィアタンを回したのは……さっき言った通り、俺が何らかの理由でレヴィアタンを仕留められないから。


 ……いつかはやってくると思ったが、こんなにも早く仕掛けてくるとは思わなかった。もしかしたら本当に、こいつらは俺たちと敵対するつもりがないんじゃないか、と考えていた俺が甘かった。


 多少派手な攻撃になるけど、ここで速やかに目前のレヴィアタンを排除、もしくは無力化しなければローゼスが危ない。

 俺は素早く立ち上がると、レヴィアタンの首根っこを掴まえて、折──



「落ち着いてください、マコトクン」



 首を折られる寸前だというのに、あくまで落ち着いた声色。油断を誘っているのかそれとも──




「十秒だ。この状況……せめて俺が納得する言い訳を言え」


「僕は──」



 ゴキ……ッ! メキ……ッ!

 手心を加える慈悲も逃れる隙もなく、首を折る。

 呼吸の手段を、血液の巡りを即座に断つ。



「──チッ!」



 慣れない。この手に残る嫌な感覚。魔物のは何度もやっているが、人型になると話は変わってくる。今夜の夢にも出てきそうだ。



「マコトクン、落ち着いてくださ──」



 背後からレヴィアタンの声が聞こえた瞬間──

 ゴロン……!

 俺は振り向きざまに、背後に立っていたレヴィアタンの首を手刀で落とした。

 畳の上に、重い石が落ちたような音。手で首切落した、という感触はあるが、切断面から血液が噴出する気配はない。

 幻覚か、分身か……、今の俺にはそれを判断できる材料はない。そして、こんなことをしている間にもローゼスは──



「分身ですよ」



 三人目のレヴィアタンが部屋の入り口から、頭の後ろに手を組みながら現れた。おそらく投降の意思表示なのだろうが──



「……は? 分身……?」


「はい。これらは僕の分身です。マコトクンがカイゼルフィールで僕を殺した時も、今の一瞬で息の根をとめたその二体も、全て僕の分身です」


「だから、感触が……いや、でもなんで今更……」


「急を要するからです。やむを得なかった。僕がこうして、自身の弱点を晒さないと、マコトクンが話を聞いてくれないと思ったからです。事実、あなたはいま、先刻よりも戦意が減りつつある。違いますか?」



 俺は何も答えない。



「……正確に言うと、分身とはいえ、これらは僕の本体から切り離したモノです。この世界風に表現するなら、残機……と表現したほうが適切でしょうか。ですから、実態はあるし、痛覚もあります。殺され続ければいずれ残機もなくなります。ですから、どうか、僕をこれ以上殺さないでいただけますか」


「……ローゼスは無事なんだろうな」


「はい、ローゼスさんは無事です。決して、マコトクンが考えているようなことは起こっていません。今は、ボスのほうから今回の事についての説明を受けている頃でしょうか」


「証拠は?」


「証拠はありません。ですが、あと二時間してローゼスさんが帰ってこなければ、僕を含め、ここに住んでいる魔物を全員殺してもらって構いません」



 レヴィアタンがそう言うと、駄菓子屋の上階からガタゴトと大きな物音がした。おそらく、レヴィアタンが今言った、魔物なのだろう。



「……少なくとも、僕は抵抗しません」



 さて、どうしたものか。すぐに結論を出さなければ。


 この問答自体が時間稼ぎという可能性もある。レヴィアタンの言っていることが本当なら、あと数体機能停止させれば、完全にレヴィアタンは消滅する。

 たしかに、会ったばかりの頃と比べると、レヴィアタン自身の生命力が弱まっている気がする。けど、こいつが命を懸けて俺を足止めしているという可能性も勿論ある。

 そうなってくると、考えるべきは、こいつらがそうまでしてローゼスを殺そうとする理由だ。

 ……ない。少なくとも、俺には考えつかない。なら不破はなんのために俺とレヴィアタンを二人きりにした?



「……わかった。信じる」


「よかった」


「不破がローゼスに、俺とローゼスを分断した理由を話しているって事は、おまえから俺にこの理由を話してくれるって事でいいんだよな?」


「はい」


「……いいか、知っていることは全部話してもらう。嘘だと感じたり、誤魔化そうとしたら、すぐにおまえを殺してローゼスのところへ行く。それでいいな」


「はい。無論です」

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