第12話 宙を舞ういじめっ子


 俺は上履きでリングに上がり、床の材質を確かめるように何度も、キュッキュと踏み鳴らしてみる。それなりに反発はしてくるものの、足を取られるほどではない。

 よし、問題ない。いつものように動けそうだ。

 あとは構えだな。テレビとかでもちょこっと見たことはあるけど、たしか両腕を曲げて、頭を防御するように──


 あれ?


 俺はここで、違和感に気がついた。

 リング上、目の前にいる大島が目を丸くして俺を見ている。そしてそれに気づいた直後、周囲から笑い声が上がった。



「ギャハハハハハハハ! おいおい、あいつマジかよ!」

「ちょ、あのオオシマさんとマジで打ち合おうとしてんのか? 正気かよ」

「頭おかしいんじゃねェの?」

「オオシマさん! その身の程知らず、やっちゃってください!」



 なんだろう。そんなに構えがおかしかったかな。俺が疑問に思っていると、大島が面白いものを見るような顔で口を開いた。



「へへ、悪い悪い。いや、なんつーかさ、今までもこんな感じで、気に入らないヤツをリングに上げたことはあるんだけど……、どいつもこいつも腰抜けでよ、戦うどころか、隅っこで丸くなってるやつばっかなのよ。だけどオマエは、直前までブルッてたのにリングに上がった途端、床の感触を確かめたり、ファイティングポーズをとったりしてきたら、ちょっと面食らっちまってな」



 そうか、なるほど。これで大島が防具をつけていない事に合点がいった。

 俺のように、ここに上げられたやつらは基本、大島の名前を知っている。それゆえ、こいつがどれほど狂暴なのかも知っている。そして、そういうやつらがとる行動──それはなるべく戦闘の意思を見せず、リングの隅で小さく丸くなっている事なんだ。ぶるぶる震えて、殴られ終わるのをひたすら待つ。それが答え。

 要するに、俺の演技が甘かったという事。

 図らずも大島に、ここに居る全員に、戦闘の意思があるという事を見せてしまったのだ。



「ところでオマエ、リュウをボコボコにしたんだってな?」


「いや、ボコボコ……にはしてない……ですけど……」


「……アイツはアイツで、俺には敵わねえけどそれなりにいいモン持ってンだよ。だから、不意打ちとかじゃなく、道具を使ったとはいえ、トーシローのオマエがリュウをあんなにしたって聞いた時はビビったぜ」


「は、はあ……」


「なあおい……なんでさっき、道具を使ったオマエをリングに上げる時、持ち物検査しなかったかわかるか?」


「道具を使って来ても勝てる自信があったから、です──」


「ブブー! ちげェよボケ!」



 大島は俺が言い終えるよりも前に、姿勢を低くしたまま距離を詰めてきた。

ダッキングだったっけ、ボクシングの事はよくわからないけど、前傾姿勢でスッスッス──と、流れるようなステップから、右ストレートを繰り出してきた。

 決して一朝一夕では身につかない動き。それほどまでに流麗で、思わず顎を殴られるまで見惚れてしまうほどだった。



「この世の中にはなァ、どんな道具を使っても勝てない相手がいるって事を刷り込ませるためだ!」



 痛くはない。ダメージもない。しかしそのパンチは重く、鋭く、咄嗟に衝撃を逃がしていなければ、それなりに効いてはいただろう。……あくまでもノーガード下での話だけど。


 さすがは元中学生チャンプといったところだろうか。ブレイダッド領の酒場にいる酔っ払いよりは断然強い。けど、こんなモノじゃ俺はおろか、魔物すら狩れない。

つまり、いくら打ってきても俺は倒せない。


 俺は自然に、なるべく相手の拳の『殴った』という感触は消さずに、「ひ、ひえ~」と情けない声を上げながら、尻もちをついた。

 それと同時に周囲から『うおー!』といった野太い歓声が上がる。聞くに堪えない汚い声だけど、今の俺にとってはむしろ追い風になる。観客の声援は闘士のボルテージを上げ、より高い興奮状態へと引き上げてくれる。興奮状態になるという事は、細かい事なんか気にならなくなるという事。

 つまり俺をボコボコにする事に集中してくれる。

 俺はすかさず顔を両腕で防御すると、あえて腹部をがら空きにした。

 標的の流動。

 大島ほどのボクサーになると、ノータイムでガードの薄い箇所を殴ってくる。その習性を利用して、俺は腹筋に力を込めてそれを真正面から受けようとした。


 ──ボスッ! ボスッ! ボスッ!


 案の定、大島は倒れた俺の腹部を殴打してきた。鈍い音が部屋に響き渡るが、さきほどよりもダメージはない。

 倒れている人間にで追い打ちをかけるという事は、膝をついて殴るか、上半身をかなり前へ倒さなければならない。そうなってくると、今度は下半身で踏ん張ることが出来なくなってしまうため、威力がかなり減衰してしまうのだ。

 つまり、元々効いていなかった大島のパンチが、さらに半減するという事。

 だからといってノーリアクションでいると、いくらボルテージが最高潮の大島でも疑問に思ってしまう。

 そんな訳で俺は、時折嗚咽と、嘔吐えずくような声を混ぜながら、「すみません、すみません」と繰り返し呟いた。


 ここにメイナがいれば、大島の体力を自然に吸い取ってくれるから、すぐ終わるんだろうけど、今は大島の体力が切れるか、満足するまで耐えなくてはならない。

 退屈な時間だけど、それもあと、もう数分くらいだと思う。


 ……それにしても何だこの時間は。

 ヒヨって何も反撃しない俺もアレだけど、こいつらもこいつらだ。大島は楽しそうに俺を殴り続け、周りも興奮しながらそれを眺めている。まるでこの行為自体を娯楽として消費しているような、そんな感じ。

 いや、実際楽しんでいるのか。

 こいつらにとって俺は三柳を怪我させた悪者で、大島はそんな悪者を制裁する、謂わば正義のヒーロー。ここでは今、そんなヒーローショーが開催されているのだ。

 ……なんて卑屈な事を考えている自分が情けなくなってくる。少なくともこんな姿、姉ちゃんには見せられな──



「ちょっと! あなたそこで何してるの!」


「な、なんだ!? このアマァ!?」



 部屋の外からとても聞き覚えのある声が聞こえてきた。というか、姉ちゃんの声が聞こえてきた。その声が聞こえるや否や──

 バァン!!

 と部屋の扉が勢いよく開く。



「マコト!」



 物凄い形相で部屋に飛び込んできたのは、紛れもなく姉ちゃん、その人だった。姉ちゃんは俺と目が合うと、その場でフリーズしてしまった。

 空気を読んでいるのか、姉ちゃんの登場に面食らっているのか、大島も三柳も取り巻きも、水を打ったように静まり返っている。

 まずい。非常にまずい。

 何がまずいって、昨日の今日で死にかけの顔・・・・・・をしていた弟が、今まさに、その原因と思しき男子生徒たちにボコボコにされているからだ。

 このままでは昨日よりさらに激しく発狂するか、最悪ショックで失神しかねない。



「……マコト、その人たち、だれ?」



 リング外からの問い。目も体も一切動かさず、口だけを動かしての問い。ここで答えを間違えると色々な意味で終わる。しかし、俺にはこの状況で上手い言い訳なんて考えられるはずもなく、気が付けば──


 気が付けば俺は、大島をそれなりの力で殴り飛ばしていた。


 ドシャア……!

 赤コーナーから青のコーナーへ、大島の体は綺麗な放物線を描きながら、声を上げることなく叩きつけられた。

 やってしまった。……でも今はとにかく、弁明が先だ。



「ご、ごめん姉ちゃん! これはほら、アレだから! ふざけてただけだから!」


「いや、でも一方的に殴られてたよね……」


「あー……見て! いま飛んでいったやつ! 普通殴っただけで、人が五メートルくらい吹っ飛ぶはずないじゃん! ふざけ合ってただけだから! ほんとに!」


「それはそうだけど……練習場貸し切ってまでやる事?」


「だ、だれにも邪魔されたくなくてさ! 秘密の特訓? みたいな? て、ていうか姉ちゃん、出てってよ! 練習の邪魔だから!」



 俺はそう言うと、慌ててリングから降りて、姉ちゃんのところへ向かおうとした──が、そんな俺の肩を取り巻きの生徒が掴む。



「て、てめェ! リングから勝手に降りてんじゃ──」


「消えろ……!」


「……ひィッ!?」



 俺が凄むと、その男子は顔を強張らせ、腰を抜かして尻もちをついた。

 これは一種の催眠魔法の類。

 相手の本能、心の奥底に働きかけ、恐怖・・という感情を無理やり揺り起こして増幅させる。かなり初歩的な魔法だが、こいつにはこれで十分だろう。(というか、これ以上やると耐性がない場合後遺症が残る)


 俺は姉ちゃんのところまで足早に歩いていくと、そのまま姉ちゃんを押して、部屋を後にした。

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