第11話 リンチオンザリング
連れてこられたのはボクシング部の練習場。中央にはそれなりに立派なリング(といっても詳しくないからよくわからないけど)が備え付けられており、その周囲にはサンドバッグやらパンチングボールも置かれていた。
ここにいる全員で俺を袋叩きの
ここに来るまでにそれなりの数の生徒に見られているうえに、今は昼休憩中。それも始まったばかりじゃなく、すこし時間が経っているから時間の猶予もない。ただでさえ教師が来るかもしれない状況下で、次の授業にまで食い込んだらほぼ間違いなく大事になる。
わからない。こいつらは一体何がしたいん──
「オオシマさん! 連れてきました!」
俺の思考を遮るように、三柳が大声で『オオシマ』なる人物を呼ぶ。
『オオシマ』
決して珍しくはない名前だけど、すこし嫌な予感がする。
「……ん、おー……う、スマン。寝てたわ……」
リングの上からしゃがれた声が聞こえてくる。見ると、スキンヘッドでガタイの良い男が、リングのロープにもたれた状態でこちらを見下ろしていた。
「お、リュウ! そいつか! シメてほしいヤツって!」
たしか中学校の時にボクシングで全国制覇して、この学校に推薦で入学したけど、すぐに暴行事件を起こして出場停止になったヤバいやつ。
普通なら停学か退学処分になるはずだが、本人は何食わぬ顔で学校に通い続けている。噂では理事長を脅しているからだとか、学校側のメンツに関わるから事件自体を揉み消されたからだとか、挙句の果てに
「はい、こいつがそうです」
「へえ……こんな弱そうな野郎がリュウをね……」
大島が目を見開き、意外そうな顔で俺を見てくる。けど、それもほんの数秒だけ。
大島の目はすぐに他人を見下す時の、自分よりも生物として下のモノを見る時の目に変わった。
そういう目で見られるのは慣れている……とはいえ、決して堪えないわけじゃない。俺はその目から逃れるように視線を逸らすと、大島は勝ち誇るように鼻を『フン』と鳴らしてきた。
「おいおい、ほんとにこんなん負けたんかあ? リュウよお!」
「い、いや、負けてはないんスけど、こいつ武器かなんか隠してたみたいで……」
「へえ、卑怯モンってワケか……」
武器なんて持ってなかったが、ここでそれを弁明しても無駄なのだろう。
──ポスン。
そう考えていると、大島が何かを俺の足元に投げつけてきた。
ボクシングで使うようなヘッドギアとグローブ。
──なるほど、そういうことか。
これはあくまで、部活動という名の報復。俺はさしずめ体験に来た入部希望者といったところか。なら時間も場所もここが適切だ。
「おう、卑怯モン! 上がってこいよ! その根性、俺が叩き直してやるよ!」
こいつらの目的はわかったけど……、どうしたものか。
普段の戦闘と同じように戦えるのなら、ほぼ間違いなく俺が勝てると思う。だけど、それをやってしまうと、三柳と同じような事が起きてしまうのかもしれない。
つまり、三柳を倒したら大島を呼ばれたように、大島を倒せばまた大島よりも強い人が呼ばれるのではないか、という少年漫画のような展開になってしまう可能性。
そうなるともう付き合いきれないし、最終的に『トーナメントに参加』なんて事になったら目も当てられない。……それは冗談だけど、今回のような事が何度も起きると、さすがに面倒くさい。それに、さっきも言ったけど万が一
となると、選択肢はふたつ。
俺がここで相手の気が晴れるまでボコボコにされるか──有無を言わせず、圧倒的な力で、ここにいる全員にトラウマを植え付けるか。
……こっちはダメだな。いくら不良とはいえ、俺には今後の人生を左右するほどのトラウマを残す度胸も、その責任を負う覚悟もない。
だったら、俺のとれる手段はもうひとつしかない。
俺は足元に落ちていたヘッドギアとグローブを
相手が満足するまで、ボコボコにされるしかないだろう。それもなるべく、ワザとらしくない感じで。
「へへ……、おいリュウ! そいつにギア着けてやれ!」
「いや、そのままでも……」
「リュウ! 二度も言わせんな」
「……はい」
大島がそう怒鳴りつけると、三柳は俺の持っていたヘッドギアを半ば強引に取り上げてきた。その後、三柳はしばらく俺を睨みつけていたが、やがて観念したのか、ヘッドギアを力任せに、俺にかぶせてきた。
「……チ! グローブは適当に自分ではめとけ。どうせオマエのパンチ当たんねーからよ」
「あ、うん……」
「それと、昨日はどんなセコいカラクリ使ったか知らねえけどな、あの人は俺の何倍も強ェ。せいぜい派手に胃液ぶちまけてノックアウトされとけな」
三柳はそう言いながらも、負傷した手でテキパキとヘッドギアをはめてくれた。素人の俺には一見、装着しづらいように見えるが、三柳の手つきは慣れたもので、あっという間に頭部が固定されていった。手を負傷した状態で、これだけ出来るという事は、三柳もそれなりにボクシングに打ち込んでいたという事。三柳も三柳で、道を踏み外し──
「……て、くッさ!?」
あまりの悪臭に思わず声を漏らしてしまう。なんだこのヘッドギア。とてつもなく臭い。汗臭いというか、カビ臭いというか、とにかく不愉快な臭いがする。
例えるなら体育の授業でたまにはめる、年季の入った剣道の面と同じくらい臭い。鼻が曲がりそうだ。
「てめェ……黙ってることも出来ねえのか……?」
「クセーのはオメーなんだよ、ザコが!」
「リュウ、そいつの鼻折ってやったらいンじゃね?」
取り巻きたちが一斉に俺を非難してくる。
俺はただニオいの感想を言っただけなのに……。そう思っていると、大島が口を開いた。
「へへ、そりゃそうだよ。材質が材質だからな、洗濯出来ねンだわ、ソイツ。……悪ィけど、ニオいは我慢してもらうぜ。それとも、防具は無しのほうがいいか?」
「あ、いや……我慢します……」
「だよなァ! 下手したら殺しちまうからなァ!」
大島はそう言って『ケケケ』と楽しそうに笑った。
それにしても、さきほどから大島が何の準備もせずに俺を見下ろしているという事は、本人に防具をつける気はないという事なのだろう。多少はこちらからも反撃しないと、ワザらしくなると思ってたけど、防具をつけていないとなると、ちょっとしたはずみで怪我をさせかねない。
ここは大人しく、殴られるだけに徹したほうがよさそうだ。
「大島さん、ヘッドギアつけ終わりました」
「へへ、ご苦労さん。……オラ、卑怯モン、上がってこいよ!」
俺は大島に促されると、口をきゅっと一文字に結び、視線をキョロキョロさせて、なるべく怯えているような感じを装いながらリングへと上がっていった。
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