第7話 家族の心配


 高橋 奏タカハシ カナデ。高橋家の長女であり、俺の実姉に当たる。

 教師になるという夢をかなえるため、教員免許の取得を目指している大学生。何回生かは……忘れたけど、普通に酒を飲める歳だったと思う。実際よく缶チューハイを飲んでるし。

 不出来な俺とは違い、高校生の時は生徒会長を任されていたり、大学では交換留学生に選ばれたりしている才女……と呼ぶのは悔しいが、限りなくそれに近い存在。



「あ、あいむふぁいんさんきゅー! いえあ!」



 もはや居た堪れなくなったのか、姉ちゃんは明らかにテンパりながら、ダブルピースを振りかざしながら、ワケの分からない事を言っている。

 これが本場で培ってきた英語力とコミュニケーション能力なのだろうか。勘弁してほしい。



「姉ちゃん、わかったからもう出てってくれ……」


「え、でも……」


「おいおいマコト、実の姉に向かってその言い草はねえだろ」


「むかっ! ろ、ローゼスさんと仰いましたよね!?」



 姉ちゃんが急に立ち上がり、ドスドスと足音を立てながらローゼスに詰め寄っていく。いまのどこにムカついたんだ、この姉は。



「あ、ああ……そうだ……、そうです……けど……」



 すげえ。あのローゼスが姉ちゃんの迫力に飲まれて敬語になってる。



「わたくし、マコトの姉のカナデと申します」


「ど、どうも……?」


「おふたりはいつからお付き合いなさっているのでしょうか!」


「……はあ!? 姉ちゃん、何言って──」


「マコトはすこし黙ってて」


「なんで?」


「……ツキアイ?」



 思い当たる単語がないのか、不意を突かれて混乱しているのか、ローゼスは持てる知識を総動員して頭を抱えている。



「ツキ……アイ……つきあい……付き合い……はあ!?」



 ようやくヒットしたのか、その途端にローゼスの顔が茹で蛸のように真っ赤になる。



「だ、だだ、誰が付き合ッてンだ! 誰が! 誰と誰が! 誰と誰で誰を!!」


「ローゼス。ちょっと落ち着──」


「マコトはすこし黙ってて」


「なんで?」


「……あれ? その反応……ローゼスさんはマコトとは付き合っていないの?」


「なんでコイツと付き合わなきゃなんねンだよ! ザッケンナ!」


「……という事は、もしかしてふたりは体だけの関係……!? なんてふしだらな! お、お姉ちゃん許しません! 許しておくべきか! なんと許されざる行為であろうか!」



 姉ちゃんの顔も茹で蛸の如く赤く染まっていく。言葉遣いもなんかおかしいし、これは完全に暴走してる感じのアレだ。ローゼスも収まる気配がないし……俺の部屋にはいま、頭の先まで茹で上がったタコが二匹いる。



「ば、バカか!? つ、付き合うならまだしも……体とか……そんなの……結婚してからだろうが!!」


マコト・・・なんて、馴れ馴れしく下の名前で呼んでおいて白々しい!」


「マコトがダメって……じゃあどう呼べばいいんだよ! 教えてくれよ! 変態とでも呼んでやろうか、あんたの弟を! この、ド変態!」


「……なんで俺が傷ついてるの?」


「ド変態は人の部屋で肌を晒しているローゼスさんのほうでしょうが!!」


「なッ!? い、いやこれは……! 食い過ぎて腹がちょっと窮屈だったからで……! ていうか、答えになッてねェだろ!」


「普通、この国で初対面の人に対しては呼ぶときはあなた・・・でしょうが!」


「……いや、アナタ・・・もダメじゃね?」



 冷静なツッコミをするローゼス。でもそれは多分悪手。なぜなら──



「……アナタはダメでしょうがァァアアア!!」



 こうなるからだ。もはや暴走している姉ちゃんの耳には何人の響かない。したがって、姉ちゃんを止めるには、もう、あの手段しかない。俺の記憶が正しければ、この部屋の冷蔵庫に──



「い、意味わかんねえよ! なんで勝手に訂正して、勝手にそれにキレてんだよ!」



 戦闘中でも聞いたことのない、情けない声をローゼスがあげる。これは相当追いつめられている証拠だ。

 だけど、もう準備は整った。冷蔵庫はすでに見つけている。

 俺たちの勝利は確定している。



「くらえ! 姉ちゃん! プッチソプリンだ!!」


「マコトはすこし黙──むぐっ!?」



 俺はすばやくプリンの蓋をビー……と剥がすと、備え付けのスプーンでプリンを豪快に掬い、姉ちゃんの口に放り込んだ。

 その瞬間、やかましかった姉ちゃんの動きが止まる。



「もむもむもむ……」



 しんと静まり返った俺の部屋に、ただ姉ちゃんがプリンを咀嚼する音だけが反響する。

 やがて咀嚼が終わったのか、姉ちゃんは口をパカッと開けてみせた。



「あ……」


「あ……?」


「あ……あ……あ……」


「……なあ、ド変態の姉ちゃん、壊れちまったんじゃ……?」


「しっ、静かに! あと、俺はド変態じゃない」


「あ……あ……あまいっ!」



 味の感想。

 姉ちゃんの口をついて出てきたのは、シンプルな味の感想だった。



「どう? もっといる? 姉ちゃん」


「うん、ちょうだい」



 そう言って姉ちゃんは、雛鳥みたいに口を開けた。



「……いや、自分で食えよ」



 俺は持っていたプリンを押し付けるように姉ちゃんに手渡した。姉ちゃんはなぜかまた顔を真っ赤にさせると、その場にちょこんと座って、不服そうにもぐもぐと食べ始めた。



「お、収まった……のか?」



 ローゼスが恐々といった様子で俺に尋ねてきた。



「たぶんな」


「……その、ローゼスさん?」


「あ、はい……なんスか……」


「あの……、お見苦しいところを見せてしまって申し訳ない……。マコトが初めて連れてきたお友達が、まさか女の人だったなんて、思いもよらなかったから……」



 姉ちゃんは食べながら目を伏せ、反省した時に見せる表情を浮かべていた。



「あー……まあ、なんつーかその……そういう時もあるんじゃねっスか?」


「フォロー下手か」


「うるせえよ」


「マコトはすこし黙ってて」


「なんで?」


「……色々言ってしまったけど、ローゼスさん、これからもマコトと仲良くしてあげてね。この子、今朝まではなんというか……いまにも死にそうな顔をしていたから……。それでお母さんもお父さんも、わたしも心配で……だから無事に帰ってきてホッとしてるんだと思う」



 どんな顔をしてたんだ、今朝の俺は。そこまでひどい顔だったのか。

 そう思うのと同時に、姉ちゃんの安堵している表情を見て、ここに戻って来れて本当に良かったとも思った。



「おお、さすがは血の繋がった家族ってやつだな。それ、半分正か──もごもごっ!?」



 俺は、とてつもない事を口走りかけたローゼスの口を咄嗟に塞いだ。

 アホかこいつは。なに余計な心配をかけようとしてるんだ。実際死にかけた……というよりも、死んだけど、こうして無事戻ってきたんだ。変なことを言って、これ以上心配させる必要はない。



「マコト! 何してるの、ローゼスさんの口から手を放しなさい!」


「い、いやあ! こいつには護身術を教わる予定だったんだよ! こういうご時世だろ? いざという時、自分の身は自分で守れるようにしないとなって……あははは……」


「ま、まさか……! そういうプレイ……?」


「なんですぐそういう発想になるの?」


「あ、あれでしょ? 何も知らないわたしを巻き込んで、楽しんで、興奮してるんだ! 二人で! 汚らわしい!」


「いや、違──」



 突然、グンと物凄い力で腕を引っ張られたと思ったら、視界が縦にグルンと一回転した。

 バシンという音とともに、背中を鈍痛が襲う。そして気が付くと、目の前には天井と照明と……ニヤケ面で俺を見下ろしているローゼスがいた。

 咄嗟に受け身はとったものの、下はフローリング。腕や手のひらが次第にビリビリと痺れてくる。



「ほらよ、護身術だぜ」


「か、加減しろって……」



 肺の空気をすべて出し尽くしたから、声がほとんど出ていない。

 間違いなくローゼスは、ローゼスなりに手加減はしてくれていたんだろうけど、痛いものは痛い。



「すごーい……ローゼスさんってもしかして、柔道とか合気道みたいなのやってるの?」


「ジュードー? アイキドー? なんだそりゃ」


「知らないのかー……じゃあ、ローゼスさんのオリジナルなのかな?」


「ね、姉ちゃん……弟の心配は……?」


「あ、そうだ。マコト、ちょっと涙出てるけど大丈夫?」


「これは涙じゃなくて、悲しくなったり悔しくなったりすると、目から分泌される体液だよ」


「マコト……もしかしたらだけど、人はそれを涙と呼ぶのかもしれない」


「そ、そうかもしれない」

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