第6話 勇者の帰宅


 家。

 俺が生まれるよりも前から建ってある、すこし古めの木造建築一戸建て。何年前かに行われた宅地開発に取り残され、周囲からかなり浮いている俺の実家。そんな時代の遺物とも思えるような家だが、いまは懐かしさを通り越して、感動すら覚えてくる。何だこの感情は。

 実際、家を空けた時間は数時間ほどだけど、俺の体感時間ではかなりの年月が経っている。

 だからこう……なんというか、目の前に改めて家があると──



「うわ!? マコト、おまえ……泣いてんのか!?」


「な、泣いてない!」


「やっぱ強く殴り過ぎたか? すまん」



 あの後──三柳たちを撃退? した後、ローゼスは照れ隠しという名目でマジで俺をボコボコにしてきた。お陰で若干、俺の可視領域が限定化されてる。



「……いや、たしかにまだ顔は腫れてるし、熱も持ってるけど、そうじゃない」


「いや、でも涙……」


「これは俺の目から分泌された体液だ……!」


「人はそれを涙と呼ぶんじゃないのか?」


「かもしれない……!」


「……気持ちはわからなくはねぇけどよ、いきなり泣くかね。おまえ相変わらず情緒不安定だな……」



 ローゼスに軽く引かれたところで、誰かに俺の肩をポンポンと叩かれる。振り向くと、俺の頬に蠅村の人差し指が突き刺さった。



「……なにこの茶目っ気」


「(バイバイ)」



 蠅村は俺のツッコミなど意に返さず、自分の役目は終わったと言わんばかりに、そそくさと夜の闇に紛れていった。



「ローゼス……あいつ蠅村ってあんなキャラだっけ?」


「いや……魔王軍のやつらとはじっくり話した事ねェからな。でも案外、根はああいう面倒くさい性格なのかもな」


「ルシファー……不破もかなり面倒くさかったからな」


「まあな……て、今はそれよりも気になることがあるだろーが」


「ああ。俺の実家の場所はすでに調査済みって事だな」


「……これをどう見る? マコト」


「普通に考えたら、『いつでもおまえの大事な家族を殺せるぞ』とか『協力しなかったらわかってるよな?』的なニュアンスだろうな」


「だよな」


「でも、とりあえず、今のところ・・・・・は魔王軍側に『敵意はない』という事がわかっただけでも収穫じゃないかな。少なくとも、明日までは」


「協力ねえ……。どうするんだ、マコト?」


「あいつらと協力するかって? まさか! そもそも、こちら側に協力するメリットなんてないだろ」


「まあな」


「だけど、話はまだ終わっていない。魔王は……不破はまだ駆け引きの席にすらついてないからな。あいつの手の内がわかれば、なんとか対処出来るかもしれないけど……それとは別に、俺たちを無条件で従わせるような切り札も持ってるのかもしれない。わからない尽くしだ。つまり、あいつらの出方次第だろうな。今のところ後手に回るってるけど、しょうがない」


「でも、『おまえの実家を知ってるぞ』ってカードは切ってきたよな」


「所詮盤外からの一手だ。それにこちらとしても、この問題については・・・・・・・・・どうとでも対処できる」


「問題は手段を選ばずに打って出るかもしれないって可能性か」


「うん。そうなってくると正直、かなり面倒な事になってくる。……でも、あっちも俺たちと表面上とはいえ、友好的に平和的に協定を結びたいはず。そんな大胆な手は使ってこないと思ってるんだけど……」


「どうした? なにか引っかかるのか?」


「……なあローゼス、おまえは本当に不破が……不破たちが、部下の後始末をつけるためだけに、この世界に来たと思うか?」


「そもそもの話か? 他にも目的あんのかな?」


「意図的に言ったのか、思わず口走ってしまったのかはわからないけど、不破のやつ『居場所がない』みたいな事言ってたよな」


「居場所がないって……まさか……こっちの世界を?」


「あくまで推測だ。それに──」



 ぐぅ~……。

 俺の腹ではない、つまり、ローゼスの腹がなったのだろう。見ると、ローゼスは何事もなかったように振舞っているが、その頬は真っ赤に紅潮していた。



「とりあえず、飯にするか」


「……いいのか、あがっていっても?」


「なんだ、ローゼスが遠慮するなんて珍しいな」


「いや、遠慮って言うか、どうせマコトのことだからな。いままで友達なんて家に呼んだことねンだろ? あたしがお邪魔したら両親の心臓がとまるんじゃねえかって思ってよ」


「どういう意味だよ! ……まあ、可能性はゼロじゃないけど……」


「だろ? よりにもよって、カイゼルフィールを救ってくださった勇者様の、そのご両親をはずみで死なせちまうなんて、バチ当たりだろ」


「おまえ、それ以上いじると目から体液だすぞ」


「……なんてのは冗談で、久しぶりの家族の再会だ。親御さんはそうでもないかもしれないけど、マコトには積もる話のひとつやふたつあるんだろ? さすがのあたしもそこまで無神経じゃないさ。だから、今日のところは適当にそこらへんで──」



 ガラッ。

 俺はローゼスが言い終えるよりも先に玄関の引き戸を開けた。

 その瞬間、中からカレースパイスの良い匂いが俺の嗅覚をくすぐってくる。カイゼルフィールではついに食べることが出来なかった、懐かしい香りだ。



「あ、おい、聞いてんのかマコト」


「そういうのはいいから入れって。腹減ってんだろ」



 俺はローゼスを一瞥すると、そのまま家の中に入っていった。





 結果から言うと、俺の家族はローゼスを快く……はなかったものの、受け入れてはくれた。そもそも、よく考えてみたら、友達を連れてくるならまだしも、こんな日本人離れした見た目の、それも女を俺がいきなり連れてきたら、家族が戸惑うのも当たり前だ。

 俺自身、無駄に長い時間をカイゼルフィールの皆と一緒にいたから、そういう感覚が薄れてきていた。さっきの三柳の時も目立ってたし、今後は気を付けるべきかも。

 でも、両親揃って目を丸くしていた光景はしばらく忘れそうにない。



「ぷはー! 食った食った!」



 米三合とカレーに、たまごサラダを山ほど平らげるという、高校球児並みの食いっぷりを発揮してみせたローゼスが、俺のベッドの上で満足そうに腹をさすっている。俺はというと、狭いベッドの上に二人も座れるはずがなく、なぜか勉強机の上に座っていた。



「いや食い過ぎだろ」


「腹減ってたし美味かったし、しょうがねえだろ。ていうか、それにしてもうめぇな『カレー』ってやつは」


「そんな事言って、最初に『うわ、なんだこれ汚物か!?』って狼狽えてたのはどこのどいつだよ」


「最初は本当にそう見えたんだよ。調子悪い時の汚物に」


「調子悪い時の汚物って……。自分は無神経じゃないって言ってた割りに、ダイレクト過ぎるだろ……」


「へへ、まあ正直者だからな、あたし」


「建て前ってやっぱ必要なんだな……」


「でも、マコトがこの味を再現したがってたのも、わかる気がするよ」


「だろ? カイゼルフィールの食べ物も悪くなかったけど、やっぱ生まれ故郷の食べ物がイチバン口に合うんだよ」


「ふうん、そんなもんかね。あたしは今まであっちこっちと行った事がなかったから、そういう感覚はまだわかんねえな……」


「……で、どうすんだ?」


「なにが?」


「おまえ、このまま俺のベッドで寝るつもりじゃないんだろ?」


「なんだ、ダメなのか?」


「ダメに決まってるだろ! なんで俺と一緒のベッドで寝れると思ってんだよ!」


「だ、だだ……だれが一緒のベッドで寝るんだよ! 妙な事考えてんじゃねえ! おまえはそこで寝てろよ!」


「ここ、勉強机なんですけど……」


「いいんじゃね、勉強机でも作業机でも。寝れりゃそれで」


「良くねーわ! 仮に寝れたとしても、起きたら体バッキバキだぞ!」


「……てかさ、ひとつ思ったこと言っていいか?」


「なんだよ」


「これ、一日交替制はキツくねェか!?」


「そうだよなぁ……転移するほうもそうだけど、されるほうもかなり体力消耗するからなぁ……」


「毎日入れ替わってりゃ、あたしもそうだけど、足手まとい増やすだけだぞ」


「だな。特にメイナとかはマジで泣くかもしれない」


「どうすっかな……」


「とりあえず、ここはブレンダに相談したほうがいいな」


「あたしは通信の魔法使えねェから、マコト頼めるか?」


「おう、任せとけ。……でも、その前に──」



 俺は勉強机から飛び降りると、部屋の扉の前まで歩いていき、ガバッと一気に扉を開けた。

 いままで扉を支えにして聞き耳を立てていたのだろう、父さんと母さんと姉ちゃんが一斉に俺の部屋になだれ込んできた。

 父さんと母さんはすぐさま回れ右して部屋から出ていったが、一番下にいた姉ちゃんは逃げ遅れてしまったようで、途方に暮れていた。



「……何してんの?」



 俺が問いかけると、姉ちゃんはバツが悪そうに俺を見上げ──「は、はろー! はーわーゆ!」と、胡散臭い英語を使って挨拶してきた。

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