第5話 元いじめられっ子、いじめっ子を一蹴
ぐらりと視界が波のように揺れ、真っ黒に暗転する。
気が付いた頃には、俺はすでに駄菓子屋の外にいた。陽はとっぷりと沈んでおり、道の端、等間隔に配置されている街灯群が淡く明滅している。
駄菓子屋に明かりはついておらず、月明かりに照らされた『駄菓子屋不破』という看板が一層不気味に見えた。
それにしても『駄菓子屋不破』って、あいつどれだけ自分が好きなんだ。
「(クイクイ)」
不意に袖を引っ張られる感覚。
見ると、ベルゼブブが俺の顔色を窺うように、俺を見上げてきていた。しばらく(といっても二秒ほどだけど)互いの視線が交錯したところで、ベルゼブブはニコッとはにかんできた。
「……もう帰ろうって?」
「(こくこく)」
ベルゼブブは何も言わず、小さく頷いた。
「何だマコト、蠅の言葉がわかるのか?」
「(ぷくー)」
どこからともなくローゼスが現れた。さきほどまで視界にいなかったという事は、やはり俺たちは強制的に駄菓子屋の外に転送させられたのだろう。
「ンだよ、なにキレてんだ……?」
「(ぷくー)」
ベルゼブブがこれでもかというほど、頬を膨らませている。何か怒っているのだろうけど……、なんでこいつはさっきから全く発声しないのだろうか。
「……名前で呼べって事じゃない?」
「名前って……ベルゼブブだよな?」
「(ふりふり)」
ベルゼブブが首を横に振る。
「……もしかして、『蠅村鈴』って呼んでほしいとか?」
「(こくこく)」
俺がそう言うと、ベルゼブブは満面の笑みで何度も頷いた。
「すげぇな、マコト。なんで蠅……鈴の言いたいことがわかるんだ?」
「……なんでだろう。無口だけど表情は無駄に豊かだからじゃないかな」
「つか、おまえもなんで何も喋らねンだよ」
ローゼスがそう言って軽く詰め寄ると、蠅村は口の前で人差し指と人差し指を交差し、小さくバツを作ってみせた。
「理由があるのかもな」
「……まあ、マコトが通訳してくれンなら別にいいけどよ……」
俺とローゼスが困惑していると、蠅村はテクテクと歩き始めた。どうやらついて来いという事なのだろう。
なんてマイペースなやつだ。
俺とローゼスと顔を見合わせると、渋々、蠅村の後をついて行った。
◇
俺たちが帰路に就いている道中、道路の向こう側から、すこしガラの悪い学生たちが歩いてきた。派手な髪色や、着崩した制服を着ている学生が、我が物顔で道の真ん中を、大声で駄弁りながら歩いている。
どこからどう見ても部活終わりとは思えない。
リア充たちはこんな時間まで、街をパトロールしてくれているのか。
そんな皮肉めいた事を考えてながら、道の端、なるべく視界に入らないように歩いていると──
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
あのリア充の集団、その中に見知った顔がいくつもあったからだ
というより、あれは──
「ン? ……おい、マコト……? マコトじゃねえか!」
学生のうちの一人が俺に声をかけてきた。名前は
その
「生きてたのかよ!」
「マジで死んだかと思ってたぜ!」
「しぶてーな、オメー!」
「ちょーウケる」
リア充たちの声を鮮明に聞き取れたのはそこまで。
俺の脈拍は次第に速くなり、口の中が乾燥し、頭が真っ白になった。今まで戦ってきたどの敵よりも弱いはずなのに、今まで戦ってきたどの敵よりも怖い。
トラウマ。
すっかり忘れて、克服しているものとばかり思っていたけど、いざこうして直面してみると、どうしようもなく二の足を踏んでしまう。顔も上げられない。
しばらくすると、じゃれるようにバシバシと頭や肩、背中を叩かれた。
俺はそれに対して何も出来ず、その場でただじっと、自分の足元を見る事しかできなかった。
「いやあ、それにしてもよかったぜ」
「ビビッて逃げちまったけど、戻ってみたらもういないんだもんな」
「死体が勝手に動くはずもねえし」
「てっきり警察に見つかったって思ってたけどな」
各々自分が言いたいことを、言いたいように話している。そしてそんな中──
「──で、この事は誰にも言わねえよな? マコト?」
一段と低いトーンで三柳が上から言ってきた。
他のやつらも肩を組んできたり、頭を手でガッと掴んできたり、ガシガシと足を蹴ってくる。
俺が何も言えず、しばらく黙っていると、三柳は俺の頬をガッと掴んでぐにぐにと動かしてきた。
「ぼ・く・は・だ・れ・に・も・い・い・ま・せーん!」
三柳が俺の頬を掴み、俺の口を疑似的に動かし、俺の声色を真似る。その茶番が終わると同時に、あたりが胸糞悪い笑い声に包まれた。
あまりの居心地の悪さに、度を越した不快感に、頭がクラクラしはじめる。
「はは……ははは……はは……」
気付くと、俺の口から乾いた笑いが漏れ出していた。
「あ! ホラホラ、この子も笑ってるよ! 見て見て!」
「ギャハハハハ! うわ、マジだ! きんもー!」
「マジきめー、もっと普通に笑えねーのかよー!」
いままで大して会話に参加してこなかった女子も、ここぞとばかりに俺をいじってくる。そうして粗方いじり終えたら、また爆笑。そのループ。
何も変わっていない。
あの頃と一緒だ。
こいつらも、俺も──
「なあ、その辺でもういンじゃねェの?」
ローゼスがため息交じりに声を上げる。
「あ? 誰だよ……て、ガイジンじゃん。すげー!」
「日本語うめー! スタイルすげー!」
「キャンユースピークジャパニーズ? ウェアーアーユーフローム? キャナイファックユー?」
「あ、それたしか授業で習ったわ。すげー、まじペラペラじゃん、おまえ」
「だろ? 俺、こう見えてネイティブだから。日本語の」
聞くに堪えないローゼスへの嗤笑に胸が痛くなる。
頭がカッと熱くなる。
怒りが腹の底からこみ上げてくる。
けど、その怒りの矛先は自分自身。仲間をこんなに言われてもなお棒立ちでいる俺自身に、俺は苛立ちを覚えた。
「あー……はいはい、またニホンゴってやつね。ちょっと悪いんだけど、あたしら今急いでっから、そいつ開放してくンね? 迷惑がってるし」
「んだよマコトー! こんなキレーなガイジンのねーちゃんと知り合いかよ!」
「いや、アレじゃね? セフレとか」
「マジかよー! 俺にもヤらせろよー! オラー!」
今度はボスボスと腹を殴られる。ローゼスの言葉など聞いちゃいない。
「せふれ……? なんだそれ。つか、マコトとは知り合いじゃねえよ。そいつとあたしは仲間だ」
静寂。
そして──
「ぷ」
「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
ひとりが噴き出したのを皮切りに、その場にいたリア充全員が、腹を抱えて笑い出す。
「仲間!? ナカマって、あの……仲間!?」
「なにこの子、変な日本語覚えちゃってるじゃん」
「あ! アレじゃね? 日本のアニメとか好きで日本に来るガイジンだろ。最近多いから」
「あー、オタクってやつか! ならマコトとお似合いじゃねえか」
「お、おま……! だ、誰がお似合いだ! コラァ!」
「こっわ! ガイジンがキレてるよ!」
「銃とか持ってんじゃねえの?」
「ま、でもそうなったら俺の股間の銃が火ィ噴くけどな!」
「また下ネタかよ!」
「なんか露出度高い格好してるし、どうせビッチなんだろ?」
「一緒にこいよ、ネーチャン。俺らが遊んでやっからよ!」
「マコトみたいな短小じゃ満足できねーだろ?」
「チ……、てめーらなぁ……! さっきからダマって聞いてりゃ──」
「訂正してくれ」
言った。
ついに言ってしまった。
たぶん声も震えてた。……けど、ムカついたんだ。
自分が言われてるだけならまだよかった。だけど、ローゼスがからかわれてると思ったら無理だった。黙っていられなかった。
そして、再び静寂。
「……ああ!? なんか言ったかよ、マコト」
「いま生意気なクチ聞いてなかったか、コラ」
今までニコニコしていたやつらが、声に怒りを込めて俺に詰め寄ってくる。
そして、そのうちの一人が俺の胸倉を強引に掴んできた。
怖い。すごく。
でも、引いてられない。俺は小さく息を吐くと、前を向き、顎を引いて目の前にいたやつを睨みつけた。
「……訂正してくれって言ったんだ」
「はあ?」
「聞こえてるだろ。ローゼスは俺の仲間だ。それ以上何か言ってみろ。……ブッ飛ばすぞ!」
言った。言ってやった。ついに普段、口にすらしない言葉を言ってしまった。
でも、なぜだろう。
怖いという気持ちは薄れ、ちょっとだけ清々しい感じが──
ずいっと俺の周りを取り囲むようにして、不良たちが立ち塞がってきた。そして、ブチギレ寸前の三柳が俺の髪の毛を掴んでくる。
やべえ。コエー。おっかねえ。
ひょっとしたらこいつ、今まで戦ってきたどの魔物よりも強いのかもしれない。
足が震えてきた。声も震えてる。今にもチビッてしまいそうだ。
でも、ここで何も言い返さなかったら、一生このままな気がする。
このまま何もしなかったら、俺の中の何かが崩れ去ってしまう気がする。
そして……そして何より──
仲間を侮辱されるのは、一番嫌だ。
「それ以上何か言ったら……なんだ? ちょっと聞こえなかったんだけどよ、何かすンのか? それとも、金でもくれンのか? いつもみてーによ? おい」
「……手を放せ」
俺は、俺の髪を鷲掴みにしていた三柳の手首を掴み返した。
「あ? ンだてめェ、許可も無しに何気安く触ってんだ……ああ!?」
「二度目だ。手を放せ」
「てめェ!!」
三柳の放った右のパンチが、俺の頬にクリーンヒットする。それに興奮したのか、周りにいたやつらから歓声が上がる。
「おおっとおおおお! リュウちゃん選手の殺人フックがはいってしまった! マコト選手、ダウンかああああ!?」
「ギャハハハハ! こいつ、もう一週間は顔から腫れ引かねえぞ!」
「おいおいリュウちゃんボクシングやってんだから、やりすぎだって。泣いちゃうぜ、このザコ」
相変わらず好き勝手言う連中だ。
でも、ダウンはしない。……そして、痛みもない。
なんだこれは。
なんて──
なんて弱いパンチなんだ。なぜかはわらないけど、自然と笑みも零れてくる。
「……な、なあ……こいつ……笑ってねえか……?」
「いいのもらって頭おかしくなってんだろ」
「キモ!? きもいきもい! なんで笑ってるの!? キモいんだけど!?」
「ムリムリ! キモすぎ!」
「なあ三柳」
「三柳……だと? もういっぺん言ってみろコラ!」
「三柳……いま、なんかしたか?」
全然痛くない。
あんなに痛くて、殴られるたびに涙目になっていた三柳のパンチとは思えないほど、痛くない。むしろ、下級の魔物に撫でられたほうが圧倒的に痛い。
なんだこれは。
「て、てンめェ……! 上等だよ! ぶっ殺してやる……!」
怒りで我を忘れているのか、三柳は拳を思い切り振りかぶってきた。
遅すぎる。
俺は三柳がその拳を振り下ろすよりもはやく、手に力をいれた。
「な!? がァ……ッ!? ぐ……!!」
三柳の拳から力が無くなり、だらんと垂れ下がる。そこからさらに力を加えると、三柳は膝から崩れ落ちた。
懇願するように屈している三柳の手首に、それでも俺は徐々に力を加えていく。
ミシミシと骨が鳴る。あまりの痛みに声もあげられないのか、三柳から断続的に息を吐くような音が聞こえてきた。
「て、テメェー!」
「この野郎!」
「放せコラ!」
「ぶっ殺すぞ!!」
今度は俺を囲っていた不良たちが、俺にパンチやキックで応戦してくる。しかし、そのどれもが蚊に刺された程度。強さでいうと、この三柳よりも弱い。
「や、やめ……ろ……ォ! オメー……ら……ァ!」
振り絞ったような三柳の声。そして──
「はな……はな……し……手を……はなし……手が……ッ!!」
情けない声。
見ると、三柳は半べそをかきながら、ブルブルと痙攣していた。そして俺が握っていた箇所は、手首から先は真っ青に変色している。
ツンと鼻をつくにおいに視線を落としてみると、三柳の股間は濡れ、地面には水溜まりができていた。
さきほどまで頭の先に昇っていた血が引いていく。冷静になり、冷酷になり、考える。
こいつは……こいつらは、俺がいくら訴えかけても止めてはくれなかった。なら、俺がここでやめる道理は──
「……もういいだろ、マコト」
ローゼスに言われ、ハッとなって我に返る。
「マコトの気持ちはわかる。事情も。……けど、こいつらは一般人だ。おまえがムキになってどうすんだ」
ローゼスの言う通りだ。これ以上は流石にやり過ぎになる。
「あ……ああ、そうだな……悪い……」
俺は三柳から手を放すと、リア充たちとは一切目を合わさずに歩きだした。
後ろのほうで何か吠えている気がするが、俺はそれを無視して、すこし遠くから静観していた蠅村と合流した。
「わるい、蠅村。……色々あった」
俺がそう言うと、蠅村はふるふると首を横に振って、再び歩き始めた。
「ローゼスも、巻き込んで悪かったな」
「……いや、あたしのほうこそ悪い」
「なにが?」
「マコトの問題に口出ししちまった。あれはマコトがひとりでケジメをつけるべき問題だったんだ。……だからなんつーか、うまく言えないけど、これは過去を清算して、前へ歩き始めるための機会だったんだよ。けど、あたしがそれを……」
ローゼスが言いにくそうに口ごもる。
「ありがとう」
「なっ!? ……なんで礼なんて言ってんだよ」
「いや、あそこでローゼスが助け舟を出してくれなかったら、結局何も変わらなかったと思う。たしかにアレは俺の問題だけど、俺一人で解決しなくてもいい問題だったんだ。ローゼスが助けてくれてそう思えた。だから、ありがとう」
「チ……、わ、わかったから、それ以上礼を言うんじゃねー! ……うざってーからな」
「ありがとう。ありがとな。マジでありがとう。サンキュー。本当にありがとうございました」
「ああっ!? てめー! 人をおちょくりやがって! こっち来い! 一発殴らせろ!」
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