第8話 厨二病
「マコト、いつまで寝てるの! 起きなさい!」
姉ちゃんのよく通る声が、浅い眠りについていた俺の意識を掬い上げる。
覚醒には未だ至らない
実家の、それも俺のベッドだ。
起きろと言われても、懐かしすぎて起きる気も失せるというものである。
「満足するまで寝かせてください」
「……たく、いつになったら満足するの?」
ため息をつき、呆れた声で姉ちゃんが続ける。
「明日くらいには……もう満足しているのかもしれない……」
「ローゼスさん、お願い」
「起きろォ! マコトォオオ!」
ローゼスの声が聞こえてきた途端、物凄い力で布団が引っ張られた。ガクンと体が揺さぶられる感覚。それでもなんとか布団にしがみついて抵抗していたら、体ごと持ち上げられ、ヨーヨーのように回転しながら、ベチャッとフローリングに叩き落とされた。
「ぐ……っ! なんてサイアクな目覚めだ……!」
「学校に行くんだろ。早く起きろよ」
「なんでローゼスまで来てるんだよ……!」
「ほら、マコトってば、学校行く前はいつもゴネるから、ローゼスさんに手伝ってもらおうと思って」
「ゴネ……てたっけ?」
昨日の事だけど、昔の事過ぎて覚えてない。
「ええ!? ゴネてたよー! 『学校なんて行ってもしょうがない』とか『このまま無くなればいいのに』って言ってたじゃない! というか、昨日も言ってたし」
「そうだっけ……」
なんとなく思い出してきた。
いじめられてたからな。行きたくないも無理はない。……いや、いじめられて『た』じゃなくて、今も絶賛いじめられ中だったっけ。三柳の件もあったし、昨日の今日でまた因縁つけられないといいけど……。
「……それにしても、なんか今日は起こし方が強引じゃない?」
「そう? 昨日までは……その、なんというか、マコトが学校で上手くいってないんじゃないかって思って、それで強くは言えなかったんだけど……」
姉ちゃんはそこまで言うと、俺の顔をまじまじと見たまま、固まってしまった。茶色の大きな瞳に、俺の困惑した顔が映っている。
「……なんだよ」
「昨日の夜から思ってたけど、マコト……あんた何か変わった?」
「変わ……え? な、なにが?」
図星をつかれ、思わず訊き返してしまう。
変わったと言われれば、力が強くなったり魔法が使えたりと、そりゃ変わったんだろうけど、見た目に関しては一切変わっていないと思う。
なのに、姉ちゃんがこう感じているという事は……雰囲気かなにかが以前とは違っているという事なのだろうか。自分ではまったくわからないけど。
「うーん、なんというか……顔がヘタレてないというか……」
「もしかして俺、悪口言われてる?」
「あ、ごめんごめん。とにかく、いまのマコトはなんかいい感じって事」
「へ、へぇ……そんなもんかぁ……」
今の俺はヘタレていない……という事は、以前までの俺はヘタレていたという事。
普段は出来るだけ、ヘタレている感じで生活したほうがいいかもしれないな。
「あ! いや! 違うから! マコトがいい感じって言ったのは、別に変な意味じゃないから!」
「え? わかってるけど……」
姉ちゃんは何を慌ててるんだ。
「なら、よし! さあ、さっさと学校行く準備をするように!」
姉ちゃんはそれだけ言うと、俺の部屋からそそくさと出ていった。……と、思ったら引き返して、俺をビシッと指さしてきた。
「今日、サプライズがあるからね! 楽しみにしておくように! 以上!」
今度こそ、姉ちゃんは足音を鳴らしながら出ていった。……サプライズ? 正直、嫌な予感しかしない。
「それよりローゼス……なんか、姉ちゃんと仲良くなってんな」
「ふふん、まあな」
そう言っているローゼスはどこか得意げだ。結局、昨日姉ちゃんの部屋で寝てたから、何か仲良くなるきっかけがあったんだろう。
「……まあ、いいか。それで、ローゼスはどうするんだ? 学校終わるまで暇だろ」
「そうだな……。それまで暇だし、おまえの学校に潜入してやろうか」
「どうやって?」
「ベルゼ……鈴だって潜入出来てるんだろ? なら、あたしだって出来るんじゃねえかなって」
「やめとけやめとけ。バレたら騒ぎになるし、かばえないぞ?」
「なんだよ冷てーな」
「冷たくないよ。
「んー、なら潜入は諦めっか」
「潔いな」
「義賊やってる頃から無茶だけはしなかったからな」
「あくまで義賊なんだな」
「当然だ。てことで、その辺ぶらついとくわ」
「……言っとくけど、勝手に不破のところに行くなよ」
「へ、わかってるよ」
ローゼスはそれだけ言い残すと、風のように俺の部屋から消えていった。
絶対行くよな、ローゼスのやつ。
まあ、昨日の不破の様子からして、ちょっとやそっとじゃ魔王軍とは敵対しないだろうけど、それでも、いつでも駆け付けられるように準備しておかないと。
主に、心の準備を。
「……さて、そろそろ学校に行く準備でもするか」
俺はのそのそと起き上がると、そのままの足で部屋を出て、洗面台へと向かった。
◇
じゃらじゃらじゃら……!
おびただしい数の
──俺は今、学校にいた。
私立
「……ふぅ」
おもわず行き場のないため息が、俺の口をついて出る。
別に俺を無視したり、いじめを黙認したりする事が悪だとは思っちゃいない。下手に俺に関わると、自分が標的になってしまう危険性もあるからな。自衛のためには仕方のない事だ。
……けど、それでも、ここまであからさまな態度で示されると、いくら頭ではわかっていても精神的にクるものがある。昨日の事があって、いくらか気持ちが軽くなっていたとしても、これだけは慣れそうにない。というか、慣れたらダメなんだろうな、きっと。
俺は仕方なく、その場にしゃがみ込み、散らばった画鋲を集めていると──
「くっくっく……、力が欲しいか、従者よ」
俺の背後から聞きなれた声が響く。そして俺はその声に対し「くれるならほしいです」と振り向かずに答えた。
「ほう、ならば受け取るがよい。これが我が権能……幾万と散らばりし星の欠片を一掃する魔具である」
ポン、と俺の手のひらに置かれたのはU字型のマグネットだった。
見上げてみると、少し小柄で髪をポニーテールのように後ろで縛っている、中性的な顔立ちの男が立っていた。そして左目には、いつものように白いガーゼを眼帯のようにつけている。
こいつの名前は
「結局権能なのか魔具なのかわかんないけど、これで集めやすくなったよ……。ありがとうな藤原」
「くっくっく……、礼には及ばぬ。さあ、間もなくホームルー……こほん、禊の刻だ。疾く片づけるぞ」
藤原はそう言うと、鞄の中からもうひとつのU字マグネットを取り出し、カチャカチャと画鋲を集め始めた。
「いやいや、いくつ持ってんだよ……」
「我は闇の眷属ぞ。このくらいは数のうちに入らぬ」
「そすか……。それよりさ、今日はちょっと学校に来るの遅かったんだな。家の手伝いでもしてたのか?」
『家の手伝い』といっても、一般家庭でいうところの家事全般という意味ではなく、藤原の場合は家業──すなわち神社の手伝いだ。
藤原の両親は二人とも神職に就いていて、親父さんに至っては神主さんなんだとか。したがって藤原はそこの跡取りで、一人息子。
触らぬ神に祟りなし。触らぬ神主の息子に祟りなし。
藤原はそう言った理由で周りから忌避され、俺と同じく浮いている。だからこうして、周りの目を気にせず、俺に手を差し伸べてくれているのだ。
「否。春眠暁を覚えず。……抗いがたし怪鳥共の抱擁を振り切る事が出来ず、まさに不覚を取った次第だ」
「つまり寝坊したと」
「応!」
「……自信満々で頷かれてもな」
そうこうしているうちに、藤原は散らばっていた画鋲を一か所に集めてくれた。
「ああ、悪い。ほとんどやってくれたんだな。助かった……よ……?」
あれ?
俺は改めて藤原に向き直ったのだが、ここである違和感に気が付いた。
それは昨日までの俺……つまり、カイゼルフィールへ行く前の俺では絶対に気付けなかった違和感だった。
「む? 如何した、我が従者よ?」
「……なんかここらへん、魔力を感じないか?」
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