第87話 三輪くろちゃん
バス道と合流した道路をさらに進んで、カーブが近付いてきた。カーブまでの坂は緩やかにキツくなっていく。
カーブはほぼ直角。左にカクッと折れ曲がっている。
カーブ付近は平らで、真っ直ぐに細い道が続く。ルートが真っ直ぐでなく左なのは、正面に有る『アイランドパーク 150m』の案内板が示している。
残りの距離は短い。
この距離が「まだ」なのか、「もう」なのか、曲がった先の道路による。
左へ曲がると、沿道を樹木で覆われた道路は今までよりキツい勾配で続き、先の方は右に曲がっていて見えなかった。
「『まだ』だよ!」
先が見えるのと見えないのとでは、気の持ちようが違う。ゴールが見えないのは辛い。
先を行く光先輩はいい感じの坂にテンションが上がったのか、スピードが増して離されてしまった。
でも、案内板を信じるならもうゴールは近いんだ。離されても良い。ゴールで追いつける。
重要なのは、完走出来るかどうか。
他人に負けても、自分に負けるな。
幸い、登り切れない勾配ではないので、まだ走って行ける。
坂を進む愛紗の耳には、自分の息遣いだけが飛び込んできていた。
喧噪とは無縁の世界が広がっている。
右カーブを曲がると、道路はさらにゆるーい右カーブを描いていた。左側には何軒か家が建っていて、右側は樹木が続く。
少し緩くなった坂を登って行くと、先の方が開けて瓦葺きの建物が見えた。
距離的にはゴールのような……?
開けた所まで行くと、坂は終わりだった。
瓦葺きの建物は腰壁部分が斜め格子な四半貼りのなまこ壁。その他の壁は白く、壁以外はガラス戸やガラス窓。すぐ前にバス停が有った。バス停の待合室? 随分と和風な。
その前は広場になっていて、光先輩がロードバイクを下りていた。
「おめでとう」
ゴールのようだ。
「着ぃ……たぁ……」
それは、心の底から漏れ出た言葉だった。もはや全身で喜ぶ気力も無い。
「……到着」
一番最後を走っていた結理先輩も着いた。呼吸は全く乱れていない。メカニックの結理先輩は私寄りだと思っていたが、体力的には光先輩寄りだったようだ。
やっぱり課題は体力面……なのか?
目的地に着いたので、三人は駐輪場に自転車を停めた。駐輪場はなまこ壁の前に有り、自転車が三十台近く停められるようになっている。
島外から来た人の島内の移動手段は徒歩、バス、自転車のいずれか。移動の自由度が高まる自転車を選ぶ人も、少なくはない。
入園料を払って中へ入ると、黒い車が有った。車と言っても、前が一輪の三輪車。
日本内燃機製造のくろがね、オート三輪である。
オート三輪は戦前に自動二輪の後方を荷台にした所から発展した乗り物。安価、悪路に強くて小回りの利く機動性、過積載にも耐える頑丈さから、戦後にかけて普及していった。
しかし、大型化が進み価格面で四輪トラックと大差が無くなり、道路の整備が進むとオート三輪は不利になった。一九六〇年代に入ると完全に四輪トラックの方が優勢になり、市場は急速にしぼんでいったのちに三輪免許も四輪と統合されてオート三輪の時代は終わった。
オート三輪のメーカーには四輪にシフトしていった所も有るが、自動車の部品メーカーに転身した会社もある。
三大メーカーの一つだった日本内燃機製造もまた、戦後に破綻した自動車会社と合併して部品メーカーに転身した一社である。
「私、オート三輪初めて見たかも」
「まぁ、滅多に走ってないしね」
運転席を見ると、車のような丸ハンドルではなく、絞られたバーハンドル。古いハーレーダビッドソンを思い出させる形だ。
「ハンドルだけ見ると、私にも運転出来そうなんですが」
「四輪免許いるけどね」
三輪自動車免許が存在した頃は十六歳で免許が取れ、オマケに軽自動車免許が付いてきた時期も有る。
三輪以上は昭和四十年代に今の区分へ整理統合、二輪は昭和五十年に今の区分に整理分割されている。
「さらに言えばマニュアル車」
「マニュアル車……自信無いですね」
「……楽しそう」
なんか結理先輩が興味を持っていた。こういうの、好きなのかな?
近くに案内図が有ったので、見てみる。パークは左右に広がっていて、両端にお花畑が有る。右側の方は動物の居るゾーンや店などが並ぶゾーンも有るようだ。
「この時期って、何が咲いているんでしょう」
「なんだろう……今は春に向けた準備シーズンのはず。確実に咲いてると言えそうなのは、コッチ」
光先輩が指差したのは、案内図の右下。水仙の所だった。
日本水仙は冬に咲く花。寒くなると花が開く。ラッパスイセンなどの西洋系は冬ではなく、春に花が開く。
「じゃあそっちはあとに行くとして、こっちに行ってみます?」
愛紗が指差したのは、看板左側のお花畑。方角で言えば南側になる。今居る場所からは近い。
「そうだね。水仙は咲いてる確率高いけど、今の時期にお花畑が咲いてるかどうか分かんないもんね」
三人は南側のお花畑の方へ行ってみた。
「これは……」
南側のお花畑は授乳室等の有る建物から坂を下った所に有る。高台になるこの場所からお花畑が見えていた。
そこに広がっていたのは……
「茶色いですね」
「緑ない? 緑。ちょろっと見える気がする」
「どうみても……花の色じゃない」
土だった。春にカラフルなデージーで彩られるお花畑も、冬は準備期間となっている。
「まぁ、期待はしてなかったけどね」
「それより、こっちが気になります」
愛紗のそばに有ったのは、水色のオート三輪。
東洋工業のT2000だった。フロントの『MAZDA』の文字が表わすとおり、のちのマツダである。
2000cc81馬力のパワフルなエンジンを搭載した車両は、悪路で狭い道を走る林業で特に重宝された。それゆえ、比較的遅い時期まで製造が続けられた名車である。
「オート三輪でも、さっきのと全然違いますね。ハンドルも丸いし」
T2000はオート三輪の最終到着点とも言われた。三輪では、これ以上の進化が望めなかったのである。この技術は四輪トラックのE2000シリーズやTITANへと継がれていった。
「もうちょっと離れて見……あっ!」
離れてオート三輪を見ようと坂を少し下りた愛紗は気付いた。
「光先輩! 顔ハメ有りますよ! しかも三人用!」
看板は野菜たちがヒーローのように並び、ポーズを取っている。端のナスやピーマンは普通だが、中央に居るビワ、みかん、サツマイモの三人は、顔部分に穴が開いていた。
「今回はハメられますよ。よかったですね、光先輩」
「ハメるハメないはどうでもいいんだけど、誰が撮るのよ。他のお客さんもいない状況なのに」
オフシーズンのパークに来園者は少ない。花が少ないというのも、理由の一つかもしれない。
逆に言えば、誰もいないのでゆっくり出来る。
「こんな事もあろうかと……いいアイテムが有る」
そう言って結理先輩がサイクルバッグから取り出したのは、細長い物だった。
「スマホ用の三脚」
「――ねぇ、あたしがさっき撮影係したイミって……」
光先輩の問いかけに、結理先輩は何も答えなかった。
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