第86話 横ハメ、縦ハメ
「いやぁ、途中寄り道するとは思ってたけど、最初っからするとは思わなかったよ……」
そう言って、光先輩は片足を上げる。今日はいつもと違ってSPDのビンディングシューズ。今回は乗船やパーク内等、多く歩く事を予想してペダルを換装してきた。前回思った事を、さっそく実行した訳だ。
「今回は変えててよかったよ、ホント」
「いつも光先輩だけロード用ですもんね」
「うん。まぁ、山さんに『山に登るなら軽い方がいいぞ!』って言われて使ってたからね。だから軽いアレを使ってたんだし」
光先輩が使っているのは、TIMEのペダル。軽量性と独特の機構による膝への優しさですぐれているペダルだ。クリートは「カフェクリート」と呼ばれるようにカフェにふらっと寄れるほどの歩きやすさをアピールしている。
ただ、ロード系で比較して、という話。
初代は歩きやすいが削れるのが異様に早く、二代目は削れにくくなって耐久性が倍になったものの、初代よりも滑りやすくなって歩きやすさはやや損なわれた。
耐久性が上がっても、他社よりは耐久性が低めと言われる。
クリートもペダルも。
各社ラバー製のクリートカバーが販売されているが、多少はマシ程度。クリート部分が出っ張るのでコンビニぐらいならいいが、それなりに歩くのには向かない。
「でも
シューズを履き替えたりする分、光先輩だけ遅れる事が多かった。それが無くなるだけでも、時短になる。
光は不意に肩に手を置かれて身体がビクッとなる。
振り返ると、手を置いたのは結理だった。
「……SPD友の会へようこそ」
「いや、会長誰よ」
三人はようやく、渡船場前から出発した。ここから島を左回りに半周して北側を目指す。三キロの短い走行だが、平地は三割。残り七割は登り坂になる。
順番はいつものように光先輩、愛紗、結理先輩の順。
が、出発してすぐの事だった。
「光先輩! 光先輩! あれ!」
愛紗は目に入ってきた物を指差した。
その指先に有ったのは、JA青年部の看板。農村地帯に行くと見かける、手描きで農産物をアピールしている看板である。たまに「これ、色々と大丈夫なのか?」と言いたくなるようなイラストが有ったりする、あれだ。
そこに有ったのは、頭部がミカンになっている人が二人。左の人が、右の人に能古産の野菜を届けようとしているシーンが描かれていた。
看板はミカンの部分に穴が開いている。
能古島の看板は「観光地なんだし」と、顔ハメ仕様になっているである。
「これは撮るしかないでしょ!」
「撮るのぉ?」
「当然です!」
「仕方ないなぁ……」
「はーい、撮るよぉ」
光先輩がスマホのシャッターボタンを押す。看板の顔部分には、結理先輩と愛紗の顔があった。
「あー、いい感じに撮れてる――――って、なんであたしが撮影係なのよ!」
「すみません、光先輩。この看板は二人用なんです」
「どっかの自慢したがりな金持ちか!」
「みっちゃんは穴が有ったらハメたくなる年頃」
「言い方ぁ!」
「え? 光先輩ハメたかったんですか?」
「い、いや……別にハメたいとか、そんなコトは……」
その言い方、本当はハメたかったようにも思える。
「というか、ユリってそんなに顔ハメ好きだった?」
「顔ハメ……嫌いじゃない。太宰府展示館にも撮りに行った」
太宰府展示館入口には男女それぞれ朝服を着た人物の顔ハメパネルが設置してある。
「意外だね」
光も結理がそんなにアクティブだとは思ってなかった。
改めて、三人は出発した。道路は北東へ向かっている。
堤防の向こうには博多湾が広がっていた。
その博多湾の向こうには、福岡タワーやドーム球場が見える。
ドームの左側に有る小さな山は西公園?
その横に白の四角で細く高い物が見える。斜張橋である荒津大橋の塔と思う。位置からして。
心地よい潮風を受けながら走っていると、北浦口バス停が見えてきた。その先の三差路から左に曲がると、バス道へ入る。
前はバス停の名前が「コーヒー園入口」だったらしい。コーヒーを自家栽培している所が近くに有ったのだそうだ。
バス道入口を過ぎると、ややキツめの左カーブで進路が北へと変わる。
このカーブの上は平安時代に築かれた説の有る北浦城の跡。発掘で堀も見つかったそうだ。ただ、城址として紹介されている事も有るが、荒れ放題の竹藪だと光先輩が言っていた。整備はされていない。
住宅が密集している北浦地区の途中で、Y字の分かれ道が現れた。真ん中に案内板が建っており、アイランドパークは海から分かれる左だと書いてある。海沿いの道は行き止まりなのだそうだ。
案内板に従ってその方向へと曲がると、坂道が始まった。
ここから二・二キロの登りが続く。
道路の左側は完全に山。木で覆われている。
道路の右側は家や樹木で遮られるが、時折開けて海が見える。その度に海面が遠くなっていく。
坂はキツくもないが、緩くもない程度。ペースを崩さなければ、登って行けそう。
この坂道は「桜道」の名前が付いているが、春には沿道に桜と菜の花が咲く綺麗な道だそうだ。
今の時期はそんな事も感じさせないが。
冬がオフシーズンで人が少ないのも、なんとなく理解出来た。もっと綺麗な時期に来てみたい。
やがて道路は分かれ道が見えてくる。登り坂は真っ直ぐで、右方向へ下り坂が分かれていく。白い破線が引いてあるので、真っ直ぐ登り坂の方へ進めばいいようだ。
右側のガードレールの向こうは開けていて、海面がだいぶ低い位置に見えた。最初は志賀島の坂道ですらやっとだったのに、今はこれだけの坂を登れるんだ、と自分を褒めてあげたい。
分かれ道の真ん中にはアイランドパークまで「1100m」の表記が有る。この分かれ道が丁度中間地点のようだ。海沿いを走ってきた八〇〇メートルの平地よりも非常に長い時間を感じたが、これなら登って行ける。
中間地点を過ぎても風景はあまり変わらなかった。
左は斜面と樹木。
右は樹木で遮られるが、時折海が見える。
どちらも防獣の為と思われるワイヤーメッシュが設置している場所がある。この辺りはどんな獣が出るのだろう。
古い住宅が建っている場所を過ぎて、左側から道路が合流してくる。これはバス道で、島の真ん中を通ってここで合流する。
ふと見ると「展望台 1300m」の案内板が有った。展望台まで結構な距離が有る。そしてバス道の勾配が、今登ってきた坂道よりもキツい。
後で来ると思うと、気分が落ち込みそうになる。
ん? バス道と合流って事は……。
「さぁ、ラストスパートだ!」
前を行く光先輩が叫んだ。
前方には木が覆い茂っている。
行き止まり……じゃない。左上の方に道が見える。木の前で左へ曲がって登るようだ。
ここで左上に道が見えてるって事は……角度エグいんじゃ?
うーん、ラスボス!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます