Hope is a waking slope.――アリストテレス

第82話 背ーがー

 試験も終わって十二月に入った。

 季節はすっかり冬だ。

 街はクリスマスに正月を添えて、状態。クリスマス一色に見えて、所々年末年始の香りがする。

 そしてクリスマスを過ぎれば、一瞬で正月ムードへと変わる、そんな不思議な時期。

 外がきらびやかな世界に変わるのは、今も戦前も変わらない。

 男女の――なんてクリスマスも、戦前戦後はカフェーやキャバレーの女給、ダンスホールの踊り子目当てで男が出かけていた。大切な人と過ごすのだから、形が変わっただけで中身は大きく変わらない。

 そして自転車愛好部の三人にはクリスマスに予定が――無かった。

 寂しくは……無い。


 ごく普通の年末年始を過ごして、冬休み明け。

 部室荘の部室には、いつもの三人が集まっていた。

 久々に集まった、いつもの三人。

 年が変わっても、いつもの三人は変わらない――ように見えた。

 しかし、

「あの……結理先輩」

「なに?」

 愛紗は年が変わったからとメンテナンスをしている結理先輩に違和感を感じていた。

「その……ですね」

 愛紗は聞くのをためらってしまう。

 聞いてはいけない事なのかもしれない。

 でも、気になる。気になって仕方ない。

 勇気を出して聞く事にした。

「正月の間に縮みました?」

「いや、正月太りはあっても、正月縮みはないでしょ! 多分。……あたしが知らないだけかもしれないけど」

 机に座る光先輩は変わっていない。このツッコミは、いつもの光先輩だ。良かった。

「……背は変わらない」

「でも、小っちゃく感じるんですよ」

 光先輩は足をバタバタさせながら考える。

 やがて、光先輩の足が止まると、机から下りて立ち上がった。愛紗の前に歩み寄って、顔を見上げる。

「――コレ、ユリが縮んだんじゃないよ。愛紗ちゃんが大きくなったんだよ」

「え?」

 愛紗は自分の身体を見下ろす。大きくなった気がしない。

「私、大きくなったようには……あれ?」

 愛紗の目には、光先輩も縮んだように見えた。

「光先輩も縮みました?」

「んなワケないでしょ! 変わってないよ」

 となると、やはり愛紗が大きくなったとしか考えられない。

 結理先輩は元々小さかったので、より小さく感じただけのようだ。

「なぁんか見上げてる感じが、うえパー姉さんに近い感じがするもん」

 うえパー姉さんとは前部長の事。光先輩だけがこう呼ぶ。

 前部長の身長は一七〇センチだった。それに近くなったのだろうか。

 背が伸びた、と言われると、思い当たる節は有る。

「最近、なんか服が小さくなったような気がしてたのですが」

「やっぱり成長してるんだよ」

 まだ伸びているとは思ったが、そんなに変わる物なのか。確かに身長が比較出来るような人が周りに居なかったので、分からなかったのだが。

「私も……最近服がキツく感じる。成長?」

 結理先輩がボソッと呟く。

((どこが成長しているんだろう……))

 二人は同時に思ったが、おなかまわり的な意味だといけないので、聞くのはやめた。


 冬は寒い!

 当然の話である。

 防寒対策しても寒い!

 当然の話である。完全防寒だと、途中で暑くなる。

 そんな理由も有って、あまり走ろうという気にならない。

 走っていれば暖かくはなるのだが、そこに至るまでの過程が寒い。

 しかし走らないと、身体もなまってしまう。

 そんな悩ましい時期。

 どこかへ行きたい。

「光先輩、どこかいい所無いですか?」

 そう思っていた愛紗が聞くと、

「山。暑くなりすぎないし」

 机に座っている光先輩は即答だった。

 が、

「でも、路面凍結してたら地獄」

 と続いた。路面凍結や雪は滑って走るどころでは無い。

「この時期、観光地とかは人が少なくてゆっくり出来る……オススメ」

「観光地かぁ……どこだろう」

 愛紗はスッと出て来ず、少し考える。

 そんな愛紗の言葉を聞いた光先輩と結理先輩が固まっていた。

「え? 私、なにかいけない事言いました?」

 明らかに空気が変わってしまった事に、愛紗は戸惑う。

「いや、福岡って『商業地はあっても観光地はない』って言われるぐらいに観光資源が乏しいから……」

「そんな事無いですよ………………マリンワールドとか」

 出てくるまでに少し時間がかかったが、観光スポットが全く無い訳では無い。

 マリンワールドは平成元年にオープンした海の中道に有る水族館。今では国内で貴重なラッコも飼育されている。

「マリンワールド……サメ肉のバーガーが美味しい」

 結理先輩の食に関する補足が入る。

「福岡タワーも、かな?」

 福岡タワーは平成元年に行われたアジア太平洋博覧会、通称よかトピアの時に建てられたタワー。現在も通りの愛称でよかトピアの名前だけ残る。

 タワーの一二三メートル地点に展望室が有り、福岡の町並みを見る事ができる。

「展望室の下に有るレストランには……福岡タワーを模した虹色ロールパフェ」

 なにそれ。面白そう。

「あとは………………は?」

 今度は愛紗が固まってしまった。

「ほら尽きた」

 意外と出てこない物である。

「検索で『福岡 観光地』って入れたらサジェストで『ない』と出る福岡をナメちゃいけない」

 恐るべし、福岡。

「ああ……私たちは福岡について全然知らなかったんだ」

 愛紗は頭を抱えた。どうやっても名前が出てこない。天神周辺や博多駅周辺は観光地というより商業地。冬だろうが人は多い。

「次、私たちはどこへ行けばいいんでしょう。福岡の新しい発見が出来る場所に行きたいです」

「新しい発見かぁ……」

 光先輩の足バタバタが始まった。考えている時の癖である。

「……どこがある?」

 光先輩も出て来ないようだ。

 二人が考えていると、その様子を見ていた結理先輩が、溜め息を吐いたあとに動き始めた。

「こんな時に役立つアイテムが有る」

 結理先輩が移動したのは、本が詰まったカラーボックスの前。

 そして、カラーボックスから何かを取り出した。

「ただの地図帳~」

 絶妙に似てないネコ型ロボットのマネをしながら持ち上げたのは、本当に普通の地図帳だった。

 このモノマネには、笑っていいのやら、笑ってはいけないのやら。

 笑ってはいけない方に賭けたが、結理先輩は少し寂しそうな表情に変わった。

 ハズレか!

 それはそうと、地図帳には福岡地区の地図が描かれており、細かい説明が載っている。目的が決まってない状態で眺めるには、スマートフォンやタブレットで見る地図よりも何が有るか視覚的に分かりやすい。

 こうやって福岡市を地図で眺めると、南側は本当に山しか無い。

 そして北側は海。海の中道と志賀島が博多湾と玄海灘にサンドされている。

 志賀島は自転車愛好部に入部して、初めて三人で行った思い出の地。

 初めて体験した西側の坂は、なかなかにキツかった。

 その後別の場所で、もっとキツい坂を体験する事になったのだが。

 今なら、あの坂も比較的軽く登れるような気がする。

 今のシーズンだと、海風が寒そうだが。

「あっ!」

 志賀島の南側に大きめの島が有った。

 これは金印公園から見えていた島だ。

能古島のこのしま、こんなに大きかったんだ」

 能古島は志賀島を細くしたような形をしている。島内の道路は志賀島と違って、ずっと海沿いを走っているという訳ではなさそうだ。

「能古島は前も言ったとおり姪浜から船で行けるけど、島は一周って言うよりも、島の奥にあるアイランドパークに行って戻るルートが多いね。あとは島の真ん中に有る展望台目指したり」

「シマノ……シマノ……」

 結理先輩がなんか反応しているが、スルー。

「標高なら志賀島の潮見公園の展望台より高いからね。眺めはいいよ」

 それを聞いて、愛紗は展望台が気になってきた。

「どれぐらいですか?」

「一九五メートル。潮見展望台は一七〇メートルね」

 この前行った花乱の滝や曲渕地区よりは、全然低い。

「まぁ、アイランドパークの入口が標高一二〇メートルぐらいだから……」

 と言った所で、光先輩が止まった。

 一度目線を外して再び愛紗の顔を見ると、にまーっと笑った。

「――って愛紗ちゃん、坂に興味持ち始めたのぉ?」

「いや……そういう訳じゃ……」

 少し恥ずかしくなって、愛紗の方が目線を外した。

「その……坂は苦手だけど、登るのは嫌いじゃない、ような気がします……」

 あんなに最初は否定していた。

 今は好き、とまではいかない。いってないと思う。

 でも嫌いじゃない。

 複雑な感情が、恥ずかしさを生んだ。

「そっかぁ。愛紗ちゃんも目覚めちゃったかぁ……」

「め、目覚めては……」

 顔が熱い。冷水に顔を浸けたい。そんな気分だ。

 光先輩の顔は見られないが、にやにやしているのは容易に想像出来る。

「よぉし行っちゃおうか、能古島。パークまでの坂は激坂でもないしね。ラスボスも弱いし」

「ラスボスぅ!?」

 愛紗は一気に現実へ戻された。

 坂道というのは、あらかたラスボスがいるものなのだろうか。

 はなはだ疑問である。

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