第80話 MJ(まだ序盤)

「失敗したぁ……」

 駐車場まで戻ってトイレ休憩をした後、光先輩が呟いた。片足を上げている。

「太宰府の時も少し思ったけど、長時間普通に歩くのには不向きだ」

 足にはマリンシューズ。

 軽量なうえに速乾性の有る素材で出来ており、折りたためる物ならコンパクトに持ち運びが出来る。

 その名前からも分かるとおり、水辺や水中で使う事を想定している。普通の地上で普通の靴として使うには、ソールが心許ない。

「薄いソールを通して地面の感触が伝わってくるのは好きなんだけどね。素足みたいで」

「降りた時も履き替えたりして大変ですよね」

 ロード系のサイクリングシューズは自転車にほぼ特化している。歩くのには不向きなので、光先輩は履き替えている。

「そうなんだよねぇ……。今は別に走り重視ってワケじゃないから、SPDでもいいかなぁって思う時、あるんだよね」

 ロード系とSPD系のシューズは、性格が違う。

 ロード系のシューズは、ソール剛性が高めになっている。剛性が低いとグニッとソールがたわみ、パワーが一部だけに集中してしまううえに、たわむ事で力が逃げてパワー伝達の効率が落ちてしまう。広いクリートを通じて効率よくペダルにパワーを伝える為、剛性を高くしている。

 SPD系シューズは歩く事を前提としたソールの為に重量が増しており、ロード系と比べても五十グラム以上も重くなっている。

 が、この辺を気にするのはレースに出る人や、ログアプリでタイムを一秒でも縮めたい人であって、一グラムでも軽くしようと、よりロスが少ないようにしている。

 そうで無い人は歩きやすさ、足の痛み、好みなどを考慮しながら自由に選ぶといいだろう。基本的にどちらの系統でも低グレードは剛性が低めで重め、高グレードは剛性が高めで軽めとなっている。

「次、多く歩くのが予測出来るなら、SPDにペダル換装してこようかな? シューズ持ち歩かなくてもいいし」

 光先輩がマリンシューズを履いている時は、当然サイクリングシューズは袋に入れて持ち歩いている。持ち歩くのが面倒臭いからとシューズをブラケットにかけていけば、盗まれたり、投げられたり、鼻から吸ってキメたりと、何されるか分からない。

「今、部でロード系シューズ履いてるの、光先輩だけですもんね」

「そう、ソコだよ!」

 光先輩に指差された。指先が鼻に当たりそうで、当たらない。少しくすぐったい。

 愛紗も結理先輩もSPD系のシューズとクリートとペダルを使っている。光先輩だけがロード系の物を使っている。

「あたしだけ、なんかガチっぽい感出してる気がするんだよねぇ」

 まぁ、一人だけロードバイクだし。

「でも、みんなのリーダーって感じがしますよ?」

「いやぁ、そんなに誉められると、照れるなぁ」

 なんて、おだてに弱い先輩だ……。

「あと、もうちょっとスピード落としたいんだよね。あたしが二人より速いから、合わせようとするとタイヘンなんだよね」

 坂であまり離れてないと思ったが、光先輩がスピード落としていただけで、自分が早くなった訳じゃなかったのか?

 どうなんだろう。

「ま、そのヘンは次回までに考えるとして、先行こうよ」

「行きましょう」

 速度の件の真相やいかに?


 駐車場を出て左に進み、その先の三差路を左へと曲がる。下から来た道を真っ直ぐ行くような形だ。

 歴史民族資料館の右側を進んでいると、その先は林道を遮るようにチェーンが張られていた。

 左側には歴史民族資料館。

 右側には奥にアジサイ園が有る。アジサイは秋の終わりに落葉し、冬を越す準備に入る。

「え? もう終わりですか? みじかっ!」

 いくらなんでも早すぎる。公園、予想以上に狭かった。

 愛紗が戸惑っていると、

「いや、車は通行止だけど、人はいいみたい」

 と、光先輩はチェーンをまたいで進んだ。

 本当にいいのだろうか。

 光先輩はチェーンの向こうで身体を反転させてこっちを向くと、そっと右手を差し出した。

「来て」

「入っちゃって、いいんですよね?」

 念のための、最終確認。こんな不法侵入ことでニュースで読まれ、全国デビューしたくない。

「だいたい、本当にダメだったら、さっきの駐車場のトコロに案内図とか出さないよ」

 そんなの有ったかな? と思うが、光先輩が言うのなら、有ったのだろう。なんか地図みたいなのは有ったような気がする。

 自分の何でも物怖じしてしまう性格、変えていかないといけない。

「そう言うのなら」

 光先輩の手を握る。温かかった。

 温かい光先輩の手に包まれた自分の手を引っ張られ、チェーンをまたいだ。

「やっぱり、なんか悪い事している気が……」

 チェーンというのは、入ってはいけないからしてある物である。愛紗は今、罪悪感に襲われている気分になっていた。

「いや、大丈夫だから。信じて」

 その言葉を信じて、林道を進む。

 前に花乱の滝へ行く時に林道を走ったが、自転車で走ってもキツい坂道だった。

 そして今歩いている林道、歩きでもややキツい。これ、自転車で登れとか言われたら、心が折れていただろう。

 時折緑に混じる紅葉が、キツさを紛らわせてくれる。

 そんな様子を見て、ふと思った。

「なんていうか、この緑に紅が混じった感じって、サビ猫の模様っぽくないですか? あの黒に茶色の毛が混じったような」

「サビネコ……んー……」

 難しい顔をしている。

 光先輩には伝わらなかった模様。

「にゃんこ先生なら同意してくれるかもね」

 にゃんこ先生は、もういない。

 曲がりくねった林道を登っていると、上の方に檻のようなものが見えてきた。

「あれ、なんでしょう」

「小さな動物園が有るらしいから、ソレかもね」

「……見たいです!」

 目を輝かせている愛紗に、

「まぁ、言うと思ったよ」

 と光先輩は言う。

 二人が檻が有る所に行ってみると、その場所には三つの檻が有った。

 一番林道側に有る檻の中には、孔雀がいた。

 孔雀と言えば美しい羽根が有名だが、その羽根を持つのはオス。羽根を広げているイメージが有るが、あれはメスへのアピールなのだそうだ。茶色っぽい羽根を持つメスも、羽根を広げる事が有る。アピールなのかどうかは分からない。

 次の檻に居たのは……赤い頭と緑っぽい身体、そして真っ直ぐ伸びた長い尾の鳥。

「キジだね、コレ」

 キジと言えば桃太郎。というか、桃太郎でしか知らない。

 実物を見るのは初めてである。

「キジ猫って居ますけど、色全然違いますよね」

「それはアッチ」

 もう一羽居るキジは全体が薄茶っぽく、焦げ茶色のマダラ模様が有った。頭が赤い方はオスで、茶色はメスなのだそうだ。

「キジ猫っぽくないんですけど。色はそうかな? って思えるんですが」

「多分、身近にいた鳥がキジだったんだよ」

 キジが国鳥に選ばれたのも、親しまれていたという理由なのだそうだ。昔はその辺にいたと言う。

 最後の檻に居たのは……緑の頭に黄色いくちばし。胸を中心に茶色でお腹付近は白色の鳥。

 特徴的な頭なので、これは愛紗にも分かる。

「これは鴨ですよね!」

「いや、これアオクビアヒルじゃないかなぁ……」

「え?」

 もう一度鳥を見るが、頭が緑である。

「頭、緑ですよ?」

「アオクビアヒルも緑だよ」

 頭が混乱してきた。

 猪を家畜化したのが豚であるように、鴨を家畜化したのがアヒルで有る。漢字だと家鴨と書く。

 アオクビアヒルは、元のカモに近い種類。見分け方は、お尻がスタイリッシュなのが鴨で、ずんぐりしているのがアオクビアヒルらしい。あとは、オスもメスも鴨より白っぽいという。

 それを踏まえてもう一度アオクビアヒルらしき鳥を見てみるが、よく分からない。

「あたしも鳥はそこまで詳しいワケじゃないから、それで間違いないとも言い切れないけどね」

 結局結論が出なかったので、カモかアヒルかどっちかよく分からないまま、次へ向かう事にした。

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