第77話 ここでペダル全開、インド人を右に!
コンビニの有る交差点を過ぎると、住宅が並んでいた沿道の風景に田畑が混じりだした。住宅も個人宅や低層アパートが中心で、大きな建物は無い。
やがて緩い右カーブで、方角が東から南東へと変わる。
左側には、大きな若杉山が見えた。
そして正面にも山。山。山。
若杉山と奥の山とで稜線が続いている。
「正面の山ってどこですか?
「いやぁ、ポコッて出てるから、
聞いた事の無い山だが、戦国時代には山城が有って、堀の跡が残っているらしい。
カーブを曲がった辺りから風景に工場が混じりだした。町を東西に走るこの道路は、風景がコロコロ変わっていく。
中途半端な位置に有る押しボタン式の横断歩道信号を過ぎると、道路右側上空に大きな青い案内板が見えた。そこには『皿山公園』と書かれていて、赤い矢印が左を向いている。
「どう見ても分かると思うけど、ソコを左ね」
(いよいよ、この先に本格的な坂が……)
期待と不安、盆と正月――は違うな。何か色んな物が押し寄せて来る中、交差点を左へ曲がって北東へ向きを変える。
そこに見えたのは坂道――でもなんでもなく、中央線も無い平らな道路だった。
ちょっと少し拍子抜け。
先の方を見ると緩い左カーブで遠くの道路まで見えなかったが、正面の若杉山はよく見える。
あれを登ると思うと……いや、登るのはちょっとだけだし。前ほどでは無い。
少し進んでコミュニティバスのバス停辺りから、道路は緩く左へ曲がる。
そして、そいつは姿を現した。
これから若杉山を登って行きますという角度の坂道。
誰がどう見ても、緩いという勾配ではない。
「お、我々の業界ではご褒美な坂っぽいぞ?」
「どんな業界ですかぁー!」
やっぱり坂に悦ぶ山さんタイプだよ、
本人に自覚は無さそうだが。
拒否したくても、皿山公園への坂は迫ってくる。
須恵川に架かる橋を渡ると、坂道スタート!
まずは五十メートルほどの準備運動の為の激ゆる坂。そこから一気に勾配が増す。
坂の右側は住宅が並ぶ。
左側は段々畑で、奥の方には複数階の建物が見える。何の建物かよく分からない。
坂道は右カーブを描いていて、途中にはバス停が有った。バス停の先は沿道に住宅が建ち並ぶ。
(この辺に住む人は大変そうだなぁ)
そう思いながら先の方を見ていた時、光先輩とあまり離れてない事に気付いた。
あれ? 私、坂登れてる?
光先輩が遅いはずは無い。必死に着いていってる訳でも無い。
という事は、自分が早くなっているとしか考えられない。
なんだかんだで毎回のように坂を登っている気がする。
今までの自転車人生で獲得標高を一番稼いだのは、間違いなく夏休みの篠栗八十八箇所だが。
そうやって坂を登っているうちに、自然と鍛えられていたのだろうか。
坂に苦手意識を持っていたのでなるべく避けるようにしていたが、これなら少しは好きになれそうな気がする。
積極的に登ろうとは思わないが。
そんな前を行く坂が大好きかもしれない光先輩の方から、何か聞こえる。
「いい……この坂いいっ!」
「…………」
光先輩は恍惚の表情で、声を漏らす。
愛紗は自然と距離を取るようにスピードを落としていた。
このまま、本当に坂を好きになって良いのだろうか?
坂という名の禁断の世界に踏み入れたような気がしてきた。
(坂を理解するには……まだ早いかな?)
今はこの少しキツめの坂に集中したい。
左右に住宅の並ぶ坂道は左にカーブしていて、先が見えない。
進んでもまだ左カーブ。
左カーブ。
ひだ……。
「どこまでぇ!?」
カーブの途中で両車線にオレンジの減速帯が現れた所で、ようやくカーブの終わりが見えた。
というか、この登りの減速帯はいるのだろうか。
いや、その前にカーブの終わりだと、減速帯の意味があるのだろうか。ここで必要なのは加速だと思う。
最も、ここで加速出来るような脚は持っていないのだが。
だが、自転車はペース一定の方が良い。加速が必要なのはエンジン付の乗り物だ。
そんな不思議カーブを曲がり終えると、カーブ手前に有った家の屋根が下に見えた。それだけでも、この坂のキツさがよく分かる。それが分かっていたのなら、もう少し勾配が緩い中央寄りを走ったのに。
その先の減速帯がある右カーブを曲がると、勾配は少し緩くなったような気がした。もうゴールが近いのだろうか。
カーブの先に有ったのは、大きな交差点の三差路。左の方を見ると、ゴルフ練習場のグリーンネットが見える。
三差路を過ぎると、再び勾配が増した気がする。前に光先輩が見えるが、大きく離れていない。
光先輩も坂は堪能しただろう。いつもの光先輩に戻っているかもしれない。
速度を上げれば追いつけそうな気がしたが、ゴールまであとどれぐらいかが分からない。前を見れば、この先の坂もキツめに見える。体力を使い切ってしまう可能性を考えると、ペースを変えずに登る方が良さそうだ。
(自制……自制……)
はやる気持ちを抑えつつ、光先輩の背中を追いかける。
この辺りはもう住宅の数も減ってきていた。
固まって並ぶ住宅。
林の中に建つ住宅。
個人宅ばかりで、集合住宅は無い。
そのまま登っていると、先を行く光先輩が右カーブの所で停まった。そこから敷地の中へ入られるようになっている。
……なんだろう。
光先輩の所まで登ると、向こう側には車が何台か停まっているのが見えた。これは駐車場のようだ。
「はぁ……はぁ……到着ですか?」
「いや、まだ。もうちょっとなんだけど、ここの未舗装駐車場を突っ切って行くか、グルって回る舗装路か。どっちがいい?」
光先輩に聞かれて駐車場を見ると、石がゴロゴロした砂利の駐車場だった。ここを突っ切って下手に石を踏んでパンクすると面倒だと思った。それを迂回するように右側を回る道路を見ると、向こう側までの高低差がそんなに無いように見える。
これなら迂回しても問題無さそうだ。
「迂回の方向で」
「よっし! ラストスパートッ!」
光先輩は一気に加速していった。
速いっ!
「あっ、待って下さい!」
愛紗もすぐに全力で追いかける。
駐車場を回っていくと、未舗装の駐車場から道路を挟んで舗装された駐車場と建物が有った。建物の前にはSLが設置してある。右端にはバス停が有り、『皿山公園』と書かれているので、ここがゴールなのは間違いない。
ようやく着いたゴール。
途中の坂道よりも、最後のスパートの方がキツかった。
先に行っていた光先輩は未舗装の駐車場へと入る。
「そっちなんですか?」
「いや、そっち狭そうだからぶつけられそうだし」
確かに未舗装の方と比べると、舗装された方の駐車場は狭く感じる。建物や汽車がそう感じさせるのだろうか。
いや、鮮やかな黄色に彩られたイチョウの木の隙間から、須恵の町並みが見えている。
この開放感が、駐車場を広く感じさせているのだろう。さっき見たゴルフ練習場のネットが、下に見える。
随分と高いところまで来たものだ。
砂利敷きの駐車場に入ると、そこには一人のライダーが腰に手を当てて仁王立ちでいた。
なぜライダーと分かったかというと、バイクがそばに有ったとか服装がそうだったとかではない。ヘルメットを被っていたからだ。これでライダーじゃなかったら、ただの不審者である。
そのライダーを見て、光先輩も足を止めてしまった。
「あ、来た来た」
そのライダーの声は女だった。
仁王立ちと言えば前部長だが、背の高さが全然違う。愛紗より低く、光先輩より高いぐらい。という事は、一六〇センチぐらいかな?
ヘルメットはフルフェイスで、スモークのアウターバイザーを下ろしているので、顔は見えない。
誰だろう。
「出るのが遅れたから大丈夫かなと思ったけど、間に合ったみたいね」
そう言いながら、件の人物はヘルメットを脱いだ。
肩ぐらいまでの髪に、切れ長の目。すごく綺麗な人だった。
「会いたかった……」
いや、誰?
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