第75話 披露
「なんじゃ、ありゃああぁ!」
右前の少し高台の所には防球フェンスが張り巡らされている。このフェンスの向こうはグラウンドだと予想出来る。
その防球ネットの向こうには、灰色の四角い建造物が天高くそびえていた。
町役場周辺に有る建物よりも明らかに高いその建物は廃ビルのようにも見えたが、それにしては綺麗だ。
下の方は柱と梁しか無いように見えるが。
佐賀県唐津市寄りの海岸に廃業から四十年近く放置されたホテルが有ったが、あのホテルよりも明らかに綺麗な状態になっている点でも、この建造物は放置されているのでは無いと感じる。
「光先輩、あれはなんですか?」
「ん?
「竪坑……櫓?」
聞いた事が無い。
「そ。炭鉱のエレベーター用施設……あ、変わった」
信号が青になったので、光先輩は進み出した。
「え、あ、待って下さい」
愛紗も慌ててビンディングペダルにクリートを嵌めて、進み出す。
「炭鉱の施設、まだ残ってるんですか?」
坂は緩いので、坂が得意では無い愛紗でも登りながらでも喋る事が出来る。
「行く前に言ったじゃない。志免は炭鉱関連が残ってるって」
それが、あれなのか。
「近くまで行けるよ。行く?」
「行きます! 行きます!」
と、間髪入れず返事をする愛紗。
緩い坂を登って行くと、少しずつ竪坑櫓の下方が見えてくる。
下半分は柱と梁だけ、上半分は窓だろうか、四角い穴がぽつぽつと開いており、所々出っ張った部分の有る建造物だった。
坂を登り切る少し前に第四駐車場が有る。ここに入って自転車を停めた。
「うぉぉ……でっかい……」
クロスバイクを下りて竪坑櫓を見上げる。少し距離は有るが、それでも高く見える。周囲を見回しても、竪坑櫓より高い物は山ぐらいだ。
竪坑櫓の方へ歩いて行くと、周囲はフェンスで囲まれていて、すぐ下までは行く事が出来なかった。総合福祉施設の駐車場が分断されてフェンス内に取り残されている箇所が有るのを見るに、恐らく昔はもっと近くまで行けたのだろう。
今は国指定重要文化財になっているせいか、それとも老朽化のせいか分からないが、近付く事が出来ない。
見上げれば、コンクリートで出来た竪坑櫓の下方は柱と梁だけで壁も無いスカスカな構造。壊れた形跡も無いので、元からこの造りなのだろう。中には階段が有るのが見える。これを使って上まで行っていたのなら、中の人は大変だっただろう。
竪坑櫓の高さは四七・六メートル。十四階建てマンションより少し高いぐらいだ。
そんな高い竪坑櫓の屋上には、三角なタワー状の物が見える。
「あの屋上のタワーはアンテナですか?」
「んー……アレは避雷針だね」
「避雷針?」
よく見る避雷針は屋上にマストが立っている。これは明治時代に建てられた物でも、そのような形をしている。ただ、明治時代の避雷針はマスト部分に装飾が施されている事が多い。
だが、この竪坑櫓の避雷針は三角状のタワーの先にマストが付いていた。珍しい形である。
「海軍が建てているから、オシャレにこだわったのかもね」
その説が本当かどうかは分からない。
この竪坑櫓は海軍が昭和十六年に着工、昭和十八年に完成している。旧満州国龍鳳炭鉱で建てられたドイツのハンマーコプフ型竪坑櫓を日本でも、と大正時代に作られた三井三池炭鉱
ただ、肝心の竪坑は戦時中に間に合わず、戦後に完成して出炭を始めている。
機械室には東京芝浦電気製の千馬力モーターが設置されていて、地下四三〇メートルと地上をケージを上下させて繋いでいた。
この鉱業所周辺に有る斜坑で採掘された石炭は、筑前参宮鉄道、合併で西日本鉄道宇美線、のちの省線勝田線志免駅から旅石支線を通じて博多湾鉄道汽船、合併で西日本鉄道糟屋線、のちの省線香椎線の終点西戸崎駅まで鉄道で運び、西戸崎港から各海軍基地まで船で運んでいた。
戦後、炭鉱は国鉄所有となり蒸気機関車の燃料として石炭採掘が続いたが、エネルギー転換により需要が低下。民間払い下げも不調となり、一九六四年に閉山となった。
四山坑の竪坑櫓は三井三池炭鉱閉山時に爆破解体された為、戦前に作られたこのようなタワーマシン型の竪坑櫓は、ベルギー、中国(先ほど出てきた龍鳳炭鉱)、そしてこの志免の三箇所しか現存していないという話だ。全て閉山した炭鉱の物なので、貴重な建造物である。
タワーマシン型に限らなければ、国内には三井三池炭鉱
「よく残ってましたね、今まで」
「元々は保存に積極的じゃ無かったみたいだけどね。閉山後に保有していた特殊法人から町に渡す際に櫓をどうするかってなっていて、解体費用も捻出できないから長い間広い土地にポツンと竪坑櫓状態だったらしいよ。最終的に残す方向性で譲渡されて、周囲は整備されたけどね」
「運が良かったんですね」
「そうだね。向かいのボタ山もまだ、残ってるぐらいだからね」
「え? あれボタ山だったんですか?」
ボタ山は選炭で弾かれた土石などを積み上げた山。自然の山ではないので、土を道路や埋立に使用して、跡地を宅地や工業団地造成する事が多い。
道路挟んで向かいにそびえる山は、緑に覆われていて普通の低山にしか見えない。知らない人は、言われないとボタ山と思わないだろう。
「もう竪坑櫓って、遺構しかないんですか? 炭鉱って、もう無いですよね?」
「いや、有るよ。炭鉱まだ北海道に。海底掘ってるから竪坑櫓は無いけどね。炭鉱以外だと……あんまり竪坑櫓ってないよね。岡山にある陶磁器なんかの原料鉱山ではメインじゃないけど、メンテナンスとかで使ってるみたい。元は炭鉱で使っていた設備で修理する職人もなかなか……という状態らしいけど、国内最後かもしれないから頑張って残そうとしているって話」
「竪坑って少ないんですか」
「少ないっていうか、日本に今残ってる鉱山って、露天掘り多いからね。坑内作業してるのって、ほとんどなかったはず」
道路側の方、駐車場の近くには入口の塞がれた斜坑入口が残っていた。斜坑には竪坑のような大きな建造物は無い。遺構としては、ちょっと寂しい感じがする。
「なんていうか、この大きいけど小さな敷地には、色んな歴史が詰まってるんですね」
「でしょ? 歴史はヒモ解くと面白い。自治体が積極的なトコロなら、歴史があるモノなら解説看板もあるから、事前の知識がなくても知れるからね」
この竪坑櫓も解説看板が建っているし、花乱の滝なども看板は建っていた。説明が全く無いよりも、有った方がありがたい。
「炭鉱に興味持ったのなら、田川の石炭歴史博物館に行ってみるのもいいかもね。コレとは姿が違う鋼鉄製の竪坑櫓もあるし。あたしは行った」
ちょっと興味は湧くが、行くとなると大変そうだ。福岡市から粕屋町、篠栗町、飯塚市を越えていかないと行けない。行くだけならなんとかなりそうだが、帰りがどうなるか。
……自転車じゃなければいいのか?
「そろそろ行く?」
「行きます。まだ目的地にも着いてないですもんね」
「まぁ、ココに寄って丁度いい休憩になったかもね。行こっか」
二人は須恵町に向けて出発した。
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