自転車を動かそうと思ったら、最初に自分自身を動かせ――ソクラテス

第73話 志気の秋空

 もう十一月。

 いや、まだ十一月と言うべきか。

 朝は大分寒くなってきた。昼はちょっと寒いかな? という日が増えてきた。

 冬は確実に近付いている。

 そう、寒さから逃れる事は出来ないのだ。

 冬支度として、部室の鉄扉内側にはエアーキャップが貼られた。見た目は確かに悪いが、三人いる部員でそれを気にする人はいない。

 やったのは光先輩。「DIYが得意だからまかせて!」なんて言っていて不安だったが、予想以上に綺麗な仕上がりとなっている。意外な特技だ。

「ふふぅーん! どうよ、この仕上がり。あたしって天才じゃない?」

 なーんて得意顔で語っていた。

 そんな光先輩に結理先輩は、

「勉強もそれぐらい……丁寧にやってくれたら」

 とキツい一発を浴びせていた。試験前は泣きつかれて苦労しているらしいので、言いたくなる気持ちも分かる。

 そんな光先輩は、この世の終わりでも見たかのような顔をしていた。

 体育と日本史以外も天才的能力を発揮してくれたら……と思う。


 寒さは悪い事ばかりではない。

「愛紗ちゃん、見て見て」

 いつものように机に座る光先輩がタブレットで見せてきたのは、紅くなったカエデや黄色になったイチョウの葉の写真。

 紅葉こうよう黄葉こうようのシーズン到来である。

 気温が下がり、枝の方まで栄養が行かなくなってアントシアニンが形成され、葉が紅くなる紅葉。

 気温が下がり、緑の成分クロロフィルが分解され、葉が黄色くなる黄葉。

 どちらも秋の終わりと冬の到来を告げる、季節イベントである。

「やっとこっちの方も色付いて来たよ」

 曲渕に行った時には、まだまだ緑で覆われていた。行きたいとは言ったが、ついにこのシーズンがやってきたのだ。

「紅葉を見に行こうようってですか?」


 部室に訪れる静寂。


「――――う、うん。秋を通り越して冬が来たって感じだよね」

 色の変わった葉が散る前に、愛紗が散ってしまったようだ。

「ところで……」

 気まずい愛紗は話題を変える事にする。

「紅葉見に行くなら、どこがいいですか?」

「行ける所になると……例えば夏に行った呑山観音寺・天王寺とか?」

 夏に行った篠栗の呑山観音寺は、分校を過ぎた辺りからのラストスパートが中々にキツかった。お寺は緑が多かったが、あれが真っ赤に染まるのだろうか。

「竈門神社もそうだね」

 秋に行った太宰府の竈門神社は、県道越えてからの坂道がややキツかった。その後歩いて登る階段は、もっとキツかった。

「あとは……雷山の千如寺せんにょじいかづち神社とか?」

 いや、もう山って言ってるじゃないですか。しかも千メートル近い雷山って……。上までは行かないとは思うけど。

「山の上のお寺や神社ばっかりですね」

「まぁ……標高高い方が気温下がるし、紅葉する木を植えようとすると、ある程度土地が必要だからじゃない?」

 そう言われると、なんか納得する。

西新にしじんの先にある紅葉もみじ八幡宮……も山の上にあるね」

 紅葉八幡宮は元々もう少し東側の西新パレス辺りにあった。すぐ前を路面電車が走るような発展をした為、紅葉山に遷座した歴史が有る。西新パレスのすぐ裏に有る神社は元々境内社で、その痕跡――というよりは、元々この地に有った神社が遷座してきた紅葉八幡宮に取り込まれ、さらに紅葉山へ遷座した際にとどまっただけとも言える。

「標高三十メートルぐらいの低山だけどね」

「ひくっ!」

 気になるのは標高が低いとかよりも、

「西新って、近いですよね?」

「西新ってか、高取たかとりだけどね」

 西新や高取の有る早良区は隣の区。学校から往復しても、十五キロは無いだろう。

「もうちょっと走りたい気がするんですよねぇ」

「せっかく行くならね。あとは、東区の筥崎宮はこざきぐうとか香椎宮かしいぐう、太宰府の観世音寺かんぜおんじとか……」

「というか、さっきから山じゃなくてもお寺とか神社ばっかりなんですけど」

「だって、あたしの得意分野だもん」

 そうだった。寺社仏閣好きだった。

「神社・お寺以外だと……公園? 油山とか。市民の森」

「また山ですか」

「坂からはあまり逃れられないと思うよ。友泉亭ゆうせんてい公園は平地だけど、鴻巣山こうのすやま丘陵越えないと行けないし」

 友泉亭公園も隣の城南区。近い。

「ここも低山だけど、西公園とかは」

 西公園は行った事が有る。

「なるべくなら、行った事が無い場所がいいです」

「注文多いなぁ」

 光先輩は足をバタバタさせながら考える。

「うーん……適度な距離があって、行ったコトがない場所…………」

 光先輩の足が止まった。

「短い坂は有ったと思うけど、あそこはどうだろう」

「どこですか?」

皿山さらやま公園」

 皿山と聞いて、愛紗はある地域を思い浮かべる。

「すぐそこじゃないですか? 野間のまの奥って」

「いや、南区じゃない。須恵町すえまちの方」

 福岡市周辺で皿山という地域は二ヶ所有る。

 福岡市南区の皿山。

 そして須恵町上須恵の皿山地区。

 二つの地区は、関わりが有る。

 須恵にはいい土が有る、という事で江戸中期に窯が開かれた。やがて窯は須恵皿山役所として福岡藩の窯となり、藩内利用品や贈答用の器が作られる。

 江戸末期、皿山役所が野間に窯を開いた。二つの窯は、明治に入るまで藩の窯として器を作り続けた。

 明治に入って野間の方は、野間焼となる。明治中期に静岡で産まれた汽車土瓶が全国に広まると、野間焼は九州で使われる汽車土瓶の生産地となった。やがて汽車土瓶がみんなに臭いという思い出を植え付けたポリ茶瓶に変わっても野間焼は続いたが、ポリ茶瓶や缶がペットボトルになる平成になって途絶えてしまう。

 一方、元の須恵の方は明治後期に閉窯している。が、百年以上経って須恵焼を甦らせようという人たちがいる。その陶工によって須恵焼は消えずにいる。

 この頃の須恵は変動の時代。

 海軍が良質の石炭が採れると、炭鉱を開いていた。

 その後江戸の頃より腕が良いと全国から集まる眼科患者の為の宿場町も、眼科が福岡市へ移転して衰退していく。

 そんな理由から、須恵は炭坑町へと変貌していった。

 現在、歴史の有った窯跡近く、若杉山に作られた町立の皿山公園は花と緑に溢れている。広さは福岡市の公園と比較すると、東公園の倍広くて、西公園よりやや狭い。

「皿山……」

 山と付くのが気になる。

「短い坂ってどれぐらいですか? 西公園ぐらい?」

「アレよりは長いかな? 多分ね。西公園より標高高いし。一〇〇メートルぐらいだけど」

 意外と長い気がするが、坂が有るから行きたくないなんて贅沢も言えない。

 いや、でもこの前は標高二一〇メートルの曲渕まで登ったじゃあないか。それを考えると、全然低い気がしてくる。

 それなら行けそうだ。

「光先輩、行ってみましょう」

「行く? 皿山公園」

「行きます!」

 愛紗の強い決意がこもった、力強い言葉だった。

「あたしも行ったコトないから、どんな感じの坂か分かんないけど、まぁ大丈夫でしょ。先のショウケ越近くにある佐谷さたに神社なら行ったんだけど」

 光先輩も行った事が無い場所――一緒に走った中では、これが初めてではないだろうか。

 雷山へ登るよりは行けそうな気がする。若杉山なら夏に経験しているのも大きい。

 ――若杉山、楽では無かったが。

 いや、でも今回は低い。行ける気がする……か?

 いや、もっと高い荒田高原まで登ったんだ。行けるはず。

 いつもライドは期待と不安が入り交じっているが、今回はいつも以上になりそうな予感がする愛紗であった。

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