第71話 「あっ」「あ……」「蕎麦だ」

 三人は天端から管理事務所横まで歩いて戻ってきた。ここから再び自転車で曲渕地区へ向かう。

 ダム湖に沿って旧道が続く。旧道からは、金網フェンス一枚隔ててダム湖が見える。曲渕隧道側は当然、小高い山。高い壁が有る。ここを昭和五十二年に貫いて、トンネルは完成した。

 道路はカーブが多いがキツいという事も無く、ダム湖の開放感からか逆に気持ちよさすら感じる。

 進んでいくと、ちょっとした広場がダム湖沿いに有った。ベンチがいくつかとテーブルが一卓。道路沿いに有り、駐車場も無い。これでは徒歩か自転車の人しか利用出来ないだろう。

 ここに自転車で来る人なんて、よっぽどの物好き――私、物好き?

 そう思いながら走っていると、止まれの標識が見えてきた。前には片側一車線の車道。

 これが国道二六三号線。

 曲渕隧道を迂回して、再び国道へと戻ってきた。

 国道へ旧道が合流すると、今度は国道がダム湖沿いに走る。昔は旧道が国道だったのだから、昔は国道がずっとダム湖沿いを走っていたに違いない。

 ダム湖の反対側、左側は緑に包まれている――と思っていたら、バス停が有った。

 さっきのバス停はダムの近くだった。ここになぜバス停……と思ったら、奥の方に家が何軒か建っていた。意味も無く、ポツンと一停や状態では無いようだ。

「この先、旧道の方ねぇー」

 光先輩が左前を指差す。前方に見えるのは左カーブ。フェンスも中央線も左に曲がっている。どこだろうと思っていたら、その左カーブ手前で細い道が分かれていた。これが旧道なようだ。

 旧道へ曲がると、光先輩が左を指差した。

「これが曲渕城址の入口ね」

 その方向を見ると、山林の隅に石鳥居が建っていた。そこから山林の中へ続くように石階段がチラッと姿を見せている。

 これは――登ると脚にダメージが来る予感しかしない。この後引き返してしばらく下りで脚を休ませたとしても、家まで脚が持つか分からない。こういう細かいダメージが、後々響くのだ。

 城址入口を過ぎると小さな橋が架かっていた。ここから旧道は八丁川沿いを走る。

「着いたぁ!」

 光先輩がそう叫んだのは、公民館の前。いや、公民館分館前。

 市内百五十ほど有る公民館のうち、分館は三箇所しかない。他の二箇所は志賀島の奥地と、離島である。分館は通常の公民館より職員が少ない状態で運営している。

 愛紗は公民館の右隣に大きな建物が有るのに気付いた。

「隣は?」

「小学校だね。今は休校状態だけど」

 明治六年に開校した小学校は、自然の多い学校への通学を認める制度で区域外通学の児童を受け入れて児童数を確保していた。だが最後は区域外通学の児童しかいなくなった為、休校となった。廃校で無いのは、地域の子供が全くゼロでは無いからで有る。

 道路挟んで反対側にはバス停が有った。ここがバスの終点なのだそうだ。

 昔は別のバス会社が三瀬村まで走らせていたという。この上は三瀬峠……人が全く住んでないという事も無さそうだが、ここまでの路線が補助金でなんとか維持しているのを考えると、利用者は多くなかったのかもしれない。

 そしてそのバス停の向こう側に見えるが、目的のお店。左隣に有る駐車場の邪魔にならない位置に自転車を停める。この駐車場の左隣はバスの転回場になっていた。

 そして店の前に来ると、愛紗は自分の目を疑った。

「え? うどん?」

 建物の壁にはうどんと書かれていた。そばでは?

 いや、うどん店にそばが有る事だって。不自然な話では無い。

「ここはうどん店でも有り……蕎麦の店でも有る」

 と、結理先輩。

 元々は地域おこしの為にうどん店が開かれた。三瀬村の蕎麦に対抗したとか、福岡と言えばうどんだからという事では無い。

 水は昔、貴重な動力源だった。水の力で水車を動かし、様々な作業を行っていた。

 小麦の製粉も、その一つ。

 しかし明治期に入ると、蒸気や電気という新しい動力源が入ってきた。季節で水量が変わり、不安定な水車から置き換わっていった。

 水が豊富なこの地区でも製粉を行っていたが、大正期には消えたという。

 そんな繋がりから、蕎麦店がうどん店を開いた。

 なぜ蕎麦店が? と思うかもしれないが、ここのうどんは手打ち冷麦の技法を生かしている。今でこそ製法が素麺に近い冷麦だが、江戸時代まで主流だった手打ち冷麦の製法は蕎麦に近く、夏は冷麦、冬は熱麦を出す蕎麦店が有った。その名残か、今でも夏は冷麦を出す蕎麦店は多い。

 ここに関わる蕎麦店は地域おこしに積極的で、島おこしでうどんを作ったり、三瀬のそば一号店にも関わっている。

 そんなうどん店だが、のちに支店となって蕎麦も提供するようになった。これがうどん店でも有り蕎麦店でも有る理由。

 蕎麦店の建物は白い外壁に下の方だけレンガ調タイル貼り。よく木造でうどん店や蕎麦店が有るが、それとは違うレトロ調の建物だった。ここは集会所だった建物で、向かいの廃園になった市立幼稚園跡に公民館分館が出来たので、開いた建物に出店している。

 なるほど。バス停と一体化したような造りな訳だ。右隣は区役所の名前入で無料駐車場になっている。なぜこっちが店の駐車場じゃないのか分からないが、区役所の名前入なら、市の持ち物なのだろう。

 店内に入ると、左側が厨房。右側に有る縦長の店舗スペースにテーブルが縦に並ぶ。まぁ、当然だ。

 三人の注文。


 愛紗:とりセイロそば

 結理先輩:親子丼(小さなそば付)

 光先輩:けんちんうどん


「え? うどん?」

 愛紗がこの言葉を発するのは、本日二回目。

「いやぁ、この前来た時ソバだったから、今回はうどんにしてみようかと」

「私もうどんの方が……良かったかな」

「いや、ユリだとたらいうどんにしそうだし」

 たらいうどん。それは巨大な木桶で提供されるうどん。メニュー表には4~5人前と書かれていた。

 ――結理先輩なら一人で食べるかもしれない。

 今回は親子丼。小さなそばなら、まぁ……。

「いやいやいやいや……」

 やってきた親子丼には、結構しっかりした量のおろしそばが付いてきた。本当にこれで小さいのだろうか。

「多くないですか?」

「え……普通。寧ろ、抑えたつもり……」

「どこがですか?」

「私的に……」

 よく分からないんですが。

「後でお土産買うと全体的に重くなるから……量を控え目に」

 絶対控えてないと思う。

「普段のユリだったら追加でもりソバ注文して、その小さいソバはデザートだもんね」

 結理先輩は頷いた。

 控えてるぅー!!

 そんな結理先輩の食欲に驚く愛紗の前には、とりセイロそばが有る。セイロそばを鶏肉の入った温かいつけ汁で食べるもの。

 このセイロが、思ったよりも大きい。

 なるほど。あれは小さいそばだった。嘘偽りは無い。

 つけ汁には鶏肉がゴロゴロ。表面には鶏肉の脂が浮いていた。

 そんなキラキラ光る水面に、そばがダイブ! つけ汁をまとって、愛紗の口へと運ばれる。

 鶏って美味しいと思うと同時に、少し後悔した。

 つけ汁は三種類だった。けんちん、とりセイロ、鴨セイロ。

 愛紗は冒険せずに無難な選択肢を選んだが、上位で有ろう鴨セイロなら、もっと美味しかったのではないか。そう思ってしまった。

 しかし、もう遅い。鶏を味わう。

 そんな鶏の旨味は、存在感の有るそばと共にスッと喉を通る。確かに、これはいくらでも行けそうな気がする。

 さすがに結理先輩の量はムリかもしれないが。

 だが、これはそばが好きになりそうだ。

 そこからしばらくして、

「愛紗ちゃんって、そんなソバ好きだった?」

「え?」

 光先輩の言葉で、そばに夢中となっていた事に気付いた。

「あんなに普段はうどんって言ってたのに」

「うどんにはうどんの……蕎麦には蕎麦の良さが有る」

「それは実感しました。今回そばを選んで良かったです」

「なんかそう言われると、うどん選んだあたしがハズレみたいなんだけど」

 光先輩のうどんは手打ち冷麦の技法を使った細めながらもコシの有るうどん。

 博多のうどんと言えば「コシなんていらない!」と思われがちだが、重視するのは柔らかさというよりはもちもち感。だが、近年は北九州のうどん店で修行した人たちによる細めでコシの有るうどんチームが勢力を拡大している。牧のうどんでも、固めんを選ぶ人は増えている。

 福岡における人気店は麺どうこうよりも、ごぼう天うどんにかかっているような気がするが。


 三人はそば・うどんを完食し、店を出た。

「愛紗ちゃん、今日は滝、ダム、ソバと回ったけど、どうだった?」

「滝も良かったけど、ダムのスケールの大きさも凄かったです。もっとダムを見てみたいですね。私、ダムの人になりそうです」

「別所哲也か!」

「それは……ハムの人」

「それはいいとして、こっから上はどっちに行っても峠だから、帰りますかぁ」

「その前に……豆腐」

「おぉう、そうだった。がんも買わないとがんも」

「がんも、ですか?」

「そう、がんも。あたしは豆腐よりがんもを推したい! ところで、どっち行くか決まった?」

 光先輩に言われて、愛紗は気付いた。

「あっ……途中から考えて無かった」

「えぇーっ! じゃあ着くまでに考えて。下りだからすぐ着くけど」

「食べた後だから……重くて凄く速い」

「ユリ、下りって重さ関係あったっけ?」

「計算上は……実際は分からない」

「なら実験だっ!」

「どうやって通常と比較を……」

「うぅーん、肌感覚で」

「分からない……」

「とにかく行っくよぉー!」

 三人は曲渕を出発した。


 ――坂って、意外と行けるかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る