第70話 最古堰堤(フルゥーイダム)
三人は曲渕地区へ向かう為に、花乱の滝から林道まで戻ってきた。ここまで来る時は登ってきた。帰りは当然下り坂である。
「いやああぁぁぁぁぁ……」
愛紗は叫んでいた。そこそこの勾配は、下りだとかなりのスピードが出る。左側にはガードレールも何も無い。もし林道から落ちてしまう事が有れば、遥か下の滝川まで真っ逆さまだろう。
ほぼ死、確定である。
「おごごごごごご」
路面の荒れ放題で、振動もスピードが出ている分、登りの時よりも酷く激しく感じる。
この坂、ジェットコースターに乗るより、よっぽど怖かった。
それでもなんとか下りてきたが、畑の手前には急カーブ。そこは冷静にスピードを落として曲がる。
畑が広がる地区へ着いて、やっと安心出来るゾーンに来たと実感した。下に降りるまで気は抜けないが。
林道は篠栗でも走ったので初めてでは無いが、今まで走った中では一番最凶の林道だった。
そんなに数は走ってないが。
岐阜に有る国道の様に『落ちたら死ぬ!!』と書くべきだと思ったが、林道は基本的に林業の人の為の道。国道とは違う。
廃ホテルの前を通って、なんとか国道二六三号線まで戻って来れた。気を抜きたい所だが、ここで左に曲がって登り坂が待っている。気合いを入れないといけない。
やや大きめな花乱橋で滝川を越えていくが、この橋辺りからもう坂がキツめに。
橋を渡ると左側に待避所のような場所が有ったが、ここにはバス停が有った。周囲には自然しか無い。どんな人が利用するんだろう。
バス停の名前は『水源地前』――ダムの関係者用?
バス停を過ぎると、緩い左カーブだった。
その途中で、
「もうすぐ旧道の入口だから、車に気をつけてぇー!」
前の光先輩が言う。右側に狭い道が分かれているのが見えた。国道の左カーブの奥には、トンネルの入口がぽっかりと口を開けている。
前後車が来ていないのを確認して、国道を右折。旧道へと入った。旧道は中央線も無い狭い道だったが、路面は比較的綺麗。恐らく、ダム職員などが通っているおかげだろう。さっきの林道とは大違いだ。
光先輩は旧道がダム湖沿いと言っていたが、右側のガードパイプやガードレールの向こうは木々が生い茂っており、ここからは何も見えなかった。もう少し進めばダム湖が見えるかもしれない。
曲がりくねった緩い登り坂を進むと道が広がり、中央線が現れて片側一車線になる。狭い道路よりも広い道路の方が走りやすいので、ありがたい。
そう思っていると、いきなり右側の木々が途切れて、黒っぽいの横長い物体が見えた。上の方は明るい灰色で、その灰色のソースがたれたかのように、所々黒い部分が白っぽくなっている。
あれは――ダムの堰堤だ。
「ダム! 光先輩、ダムですよ、ダム!」
いきなり見えたダムにテンションが上がる。愛紗はガードレール側に停まってダムを眺める。横に真っ直ぐなダムは、真ん中ぐらいに四角い物がちょこんと載っている。ダム関連施設だろう。
「あれが曲渕ダムですか?」
「そう」
愛紗の後ろに停まった結理先輩が言う。
「ここから見ても大きいですよね?」
「あれぇ? 停まったのぉ?」
先に進んでいた光先輩が反転して、二人の元に寄った。
「でもあのダム、なんか途中で色変わってません?」
天端の少し下で明るい灰色が黒っぽく変わっている。それは一目で分かる。ただ、途中からその黒い部分に白い縦筋が何本も入っている箇所が有る。それを区切るかのように、横のラインが入っているように見えた。
「アレ? 大正時代にダムが出来て、昭和初期にかさ上げ、平成に補修工事のついでで、さらに高してるのよ。その境目」
「大正!? そんな古くから有るんですか?」
「だから『福岡市初』って言ったじゃない」
「大正時代の物が現役って、凄いですねぇ」
ダムに気を取られていたが、下の方には川が有る。石がゴロゴロしているように見えたが、よく見れば整然と並んでいる。人工的に置かれた石だろう。
その川には橋が架かっていた。コンクリート製で、緩いアーチを描いている。それほど大きくも無く、道路に架けられた橋では無いようだ。
「あの橋は……?」
「アレは曲渕ダムパーク。堰堤の前の室見川両サイドに公園が有るんだけど、入口が微妙に分かりづらいみたい。花乱の滝入口のちょっと下らしいんだけど」
途中の道路も狭いので、車で行く人には辛いという。
「早くダムの上に行きましょうよ」
「うん。慌てなくてもダムは逃げないよ」
カーブの多い旧道を進んでいくと、コンクリート造りで二階建ての建物が見えてきた。
これは曲渕ダムの管理事務所。
立入禁止の看板が目立つが、管理事務所には入る事が出来ない。市営ダムなのでダムカードも無く、一般人が管理事務所に行く事は無いだろう。
そしてダムの天端は釣り人とペット連れた人が立入禁止。どちらにも当たらない三人は管理事務所の右横を通って天端へ行けるので、中の人の邪魔にならない位置に駐輪して天端に向かう。
「ふおおぉぉぉぉぉぉ……」
天端はイエローカラーの石が敷き詰められていた。高欄は御影石で出来ており、真っ直ぐ対岸の山林へと延びている。その天端には所々ガス灯を思わせるデザインをした紺色の街灯が建っており、レトロモダン調となっていた。
「綺麗ぇ……」
篠栗の鳴淵ダムは建物がメルヘン調で歩道部分も明るい色の石ブロックが敷き詰められていたが、真ん中の車道はアスファルト舗装だった。この曲渕ダムは車が通らないという事も有り、全て石ブロック敷になっている。
石が敷き詰められているのは、ここだけではない。堤高四十五メートル有る重力式コンクリートダムの表面は、御影石が積み上げられている。これは先ほど見た黒い部分だ。石は長い年月を経て黒ずんでいる。
近くで見ると、嵩上げした境部分に草が生えているのがよく分かる。あれから下が、大正時代に完成した部分。昭和の工事の際も、恐らく最初に作ったダムのデザインを引き継いで布積みの御影石を高くしたのだろう。
ダムの下には、ダムパークが見える。橋の架かった室見川を境に手前のダム側が芝生とダム関連の建物、奥側が木々の生えた場所になっていた。
「反対側は……」
ダムの内側の方へ移動した。目の前にはダム湖が広がる。真っ青なダム湖の向こうには山々が見え、緑に覆われていた。
「広ぉーい!」
「紅葉シーズンだと向こうの山の木に紅いのが混じってくるんだけど、まぁーだ早いね」
「紅葉かぁ……どっか行きたいですね」
「ココか、また別の場所か……それはまた考えるか」
「そうですね」
三人は対岸の方へと歩いて行く。真ん中を過ぎた辺りから、ダムの内側で水が石積の坂を流れているのが見えた。越流式の
対岸まで来ると、正面に大きな石碑が建っていた。なにやら毛筆で崩し気味に何か書かれた物が彫られているが、達筆すぎて読めない。
「冬……源…………百?」
正解は右から『天源豊』。昭和の嵩上げ工事竣工記念として当時の水道課長が書いた物で、水に感謝の意を込めた揮毫だそうだ。記念碑には揮毫を彫る、というのは今も昔も変わらない。
ダムをたっぷり体験した三人は、天端を通って戻る。
「いゃぁ、歴史の詰まったいいダムでした」
「もうすぐ百年のダムだからね」
「『福岡市初』って事は、県内だともっと古いダム有るんですか?」
「うーん、多分ね。あたしは知らないけど」
後で調べたら、北九州市の
「私たちは、この水を飲んでいるんですね」
「いや、この水は南区の浄水場送りだから、南区から早良区にかけての人だよ」
ダム完成当初は水を中央区の平尾浄水場に送っていた。浄水場の老朽化による閉鎖後は、南区に建てられた
「早良区にかけてという事は……この辺りの人は、この水を飲んでいるんですか?」
「いやぁ、この付近の水かもしれないけど、上水道無いから井戸だよ、多分」
「井戸……」
井戸と言われて、石積の丸い井戸に滑車が音を立てながら桶が落ちていく所を想像してしまう。
「いや、そんな古くないからね? 今の井戸って」
「え?」
思考読まれた?
「ま、上水道無いからって遅れてるワケじゃあないよ。水資源が豊富ってコト。上水道普及率ゼロの自治体っていくつもあったし。それこそ峠越えた三瀬村とか。でも平成の大合併で数を減らして、唯一残った熊本の町も大規模宅地開発した所に安定して供給する為ために水道事業始めるみたいだけど」
「時代の流れかぁ……」
「おいしい水の話をしているから……おなかすいた」
結理先輩がポツリ。
「えぇ? 水の話で!?」
これには、さすがの光先輩も驚いたようだ。
「愛紗ちゃん、先へ行こう。もうちょっとで着くから。ユリが空腹で倒れちゃう」
「そうですね」
寄り道してしまったが、三人は曲渕へ向かう事にした。
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