第69話 零式滝技・花乱

 薄暗い山林に突入すると、いきなり急な右カーブと急な勾配がお出迎えしてくれた。

 実にありがたくない。

 なんとか気合いで急勾配カーブを過ぎたが、その先も勾配はキツめだった。路上には小石や葉っぱが散乱している。恐らく下の畑までは農作業でそれなりに車などが通っているが、ここからは通っていないのだろう。路面もガタガタで、振動がハンドルバーを通じて手に伝わってくる。林道らしい、フレンドリーでは無い走りにくさだ。

 左側は竹林、右側はガードレールも無いアスカーブだけの下り急斜面になっていた。登るのに必死で、斜面の下を見る余裕など無い。今は見たく無い。

 やがて、左の竹林は登りの急斜面へと変わる。この辺りになると、脚にも少し余裕が出てきた。

 ふと右側を見ると、道路端のアスカーブは無くなっていた。うっかり右の方へ行ってしまえば、ひっかかりも無く崖下へ一直線。下の方には川が流れているのがうっすら見える。

「あの……これ落ちたら……」

「うん、死ぬね。確実に」

 光先輩の言葉に震えが来た。なるべく左の斜面に近付くように走る。

 先の左カーブが近付いてくる頃には、右の下り斜面が無くなって同じぐらいの高さで林が続くようになる。

 一安心出来るが、勾配がキツめでそっちが安心出来ない。

 この林道は安らぎを与えてくれないらしい。

 しかし、S字カーブと左カーブの連続カーブを曲がった所で、

「その先のカーブの右側に停めよっか」

 と、光先輩が言い出した。

 先に見えるのは左カーブ。その右側辺りに停めるようだ。

「え? もうゴールですか?」

「ゴールだよ。拍子抜けした?」

 崖が気になっていたお蔭か、坂がそんなに長く感じなかった。

 なるほど。初心者でも来やすい――か?

 光先輩が言っていた場所は、ちょっとした広場になっていた。車なら一台しか停められ無さそうだが、自転車なら余裕を持って停める事が出来る。

 少し先に緑の案内板が有った。案内板は、花乱の滝が右下に有る事を矢印で差している。残りは一〇〇メートル。

「右下……?」

「うん。歩いて行くんだよ」

 自転車を停めて近付くと、階段が有った。初めだけは綺麗なコンクリートの階段だが、その先は普通の山道っぽい感じだった。ここをさっき下に見ていた川まで下りるのだろう。

「……行けます? これで」

 愛紗は足を上げながら聞いた。履いているのはSPDのビンディングシューズ。舗装されたり整備された所などは歩いたが、こういう場所は歩いた事が無い。

「まぁ、マウンテンバイクって未舗装の山道走るモンで、登れなければ下りて歩くんだから、大丈夫でしょ……多分」

 そう言う光先輩はロードバイク向けのビンディングシューズを履いている。靴底に大きなクリートが付いているのが特徴で、歩くのには向かない。いつものように持ち運びに便利なマリンシューズへ履き替えていた。

「歩けるって言っても、足元不安定だから気をつけてね。足首こきんってなったら、帰りツラくなるよ」

 三人は自転車で走る時と同じ並びで歩き始める。

 道は階段と坂の複合。足元は確かに安定していない。足元に気を付けつつ進むと、豪快な水の音が近付いてきた。木の間からうっすらと滝が見える。

 やがて、花乱の滝が全貌を見せた。

「うわぁ……おっきぃ……」

 落差十五メートルの滝は途中で岩に当たって散るように広がり、浅い滝壺に水が落ちていた。水しぶきは傍にいる三人の所まで飛んできている。これなら今ぐらいの時期までだろう。夏なら涼しいが、冬は確実に寒い。

 滝壺からの水は苔の生えた石の間を縫うように流れ、その美しさを引き立てていた。その水は、滝川たきがわ下流で室見川と交わる。

 花乱の滝の由来は、滝が乱舞する花のように美しい、もしくは火乱という山伏が修行していた、という二つの説が有る事が、近くの案内板に書かれていた。江戸中期の本が火乱瀑布、江戸後期の本が花瀾瀑と書いてあったのを考えると、花乱の滝という名前はその二つを合わせたようにも思える。

「篠栗で見た小さな滝でも大きいと思ったけど、大きい滝って本当に大きいんですね」

「滝はみんな違うから面白い、って山さんが言ってた」

「山さん、滝まで好きなんですか?」

「滝って、だいたい山にあるからね。近くまで道路があるコトも多いし、目的地にするには丁度いいみたい。山頂だと徒歩でしか行けないところとかもあるしね」

「へぇー」

「あたしも、山さんに付き合って早朝から滝行ったりしてたけどね。福岡周辺って滝が少ないから、どうしても遠くになっちゃう」

「今は行かないんですか?」

「んー……あたし、みんなで走るのが好きみたい。一人で走ってると、ふと寂しくなる瞬間が来るんだよ。特に山奥とかだとね」

 そう言われると、愛紗は山をそこまで走る事が出来ないので、あまり光先輩に付き合えないと思ってしまう。

(結理先輩は……?)

 と、結理先輩を見ると、

「私は……グルメが有るなら付き合う。でも、山のグルメって蕎麦や蒟蒻が多い。おいしいけど」

 ここに来る途中にもそば屋が何軒か有ったし、トンネルや峠を越えて佐賀に入るとそば屋が多く建つ。

「なぜ山ってそば屋とか、お土産にコンニャクが多いんですか?」

 素朴な疑問。うどんでも良さそうだが。

「蕎麦の実や蒟蒻芋は山間の痩せた土地、狭い土地、斜面でも育てられる」

 作物の問題かぁ。

「それと蕎麦は高地の方が夏でも気温が涼しめで、安定して打ちやすい……あとは水」

 使用するそばの実がご当地かどうかは分からないが、いい水というのは大きな理由になっていそうだ。途中の店も、コーヒーも多く出していた。

「あと、雰囲気の問題もあるんじゃない? 愛紗ちゃんは、うどんとソバがあったら、どっち注文する?」

 光先輩の質問に愛紗は、

「うどんです」

 と、即答。

「でしょ? なんとなーくでソバは頼まないでしょ? ソバが食べたい! って思わないと選ばないから。でも、こういう所でソバってなると、なんかおいしそう、食べてみたいって思えるじゃない?」

「うぅ……そう言われると、おそばが食べたくなってきました」

 口が……口がそばを欲している。こういう所で食べるそばは、特別に違いない。

「ソバ……はどこがいいの?」

 光先輩が結理先輩を見ると、

「登った……御褒美」

 と、帰ってきた。

「というコトで、曲渕まで登らないとね。あとちょっとだけど」

「曲渕……」

 登り切れたら「山行けるね!」ってなるんじゃあなかろうか。

「そこまでの道って、どんな感じですか?」

「えーっと……まず国道に戻ったら、橋渡って少しキツめの坂」

 やべぇな。やめようか。

「すぐに曲渕隧道トンネルに着くけど、中は登り基調だし、安全を考えて手前で右に曲がって旧道へ」

 上の三瀬トンネルも、近くの東脊振トンネルもそうだが、トンネルの有る所の旧道となると……

「旧道って、峠だったりは……」

 三瀬トンネルの旧道は三瀬峠、東脊振トンネルの旧道は坂本峠になっている。これらのトンネルは有料の為、無料で走りたい人、あえて峠道を選ぶ人だけが旧道を走る。ただ、坂本峠は近年路肩崩落が相次ぎ、通行止になっている期間の方が長い。

「いや、ダム湖ぞいだからね? 旧道。トンネル通るより少し遠回りなだけだし、車通りはほぼ無いよ」

 曲渕トンネルは無料なので、ダム湖を見たい人以外は旧道をほぼ通らないという。

 それより気になる事が。

「ダム湖? 近くにダム有るんですか?」

「有るよぉ。福岡市初の上水道ダム、曲渕ダムが」

「それは見てみたいです」

 ダムで唯一行った事の有る鳴淵ダムは、上の猫峠から下って来て天端に着いた。下からダムまで登るのは、これが初めてである。

「それで、ダム湖を過ぎて曲渕城址を過ぎれば、もう曲渕地区だね」

「お城まで有るんですか!?」

 福岡城は知っている。現在の舞鶴公園だ。だが、曲渕城は存在も知らなかった。

「戦国から江戸初期にかけては小さなお城がいっぱいあったからね。山は防衛面で有利だから、城も多かったよ。曲渕城址はダムに沈む神社を移転させたから、行っても城感はまーーったく無いけどね」

「それはちょっと残念な気がします」

「うん。まぁ、行ったら行ったで、急な階段でふともも死ぬよ」

「それは回避しましょう」

「その先、まっすぐ行けば三瀬峠、右に曲がれば糸島峠に登れるよ」

「いや、そこまで行く気は無いです」

 愛紗はキッパリ断る。

「んじゃあ、曲渕まで行きますかぁ」

 三人は新たな目的地、曲渕へ向かう事にした。

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