第67話 ひっ、ひものか。それともかにか・・。

 花乱の滝へ行く日がやってきた。

 もう夏のような暑さは無い。もう少し季節が進んだら、今度は寒さへの対応を考えないといけないだろう。夏は安い物でも速乾性高い物ならどうとでもなるが、冬は防寒と汗を逃す方法を考えないといけないという話だった。安い物は防寒も完璧だが汗が逃げないので蒸れるし、脱いだり外したりすると汗が冷えて再装着時に寒いという。防寒性と透湿性を持つウェアは、いいお値段がするのだそうだ。

 まずはグローブから考えよう。今の指ぬきグローブとか、冬は絶対死ぬ!

 でも、指先まで覆われると、ブレーキやシフトレバーの操作はどうなるんだろう。

 グローブが気になりつつも、愛紗は待ち合わせ場所の学校へ向かった。

 

 学校に着くと、いつものように結理先輩が先に来ており、乗車前の点検をしていた。

「おはようございます」

「おはよう……」

 結理先輩はいつも前日までには自転車を万全な状態に仕上げている。当日は最終チェックと、空気圧のチェック。空気圧に関しては、前日に入れても一晩で下がってしまうので、当日でないと出来ない。

 愛紗は家を出る前にそれらのチェックを済ませていた。

 結理先輩は部室で自分のクロスバイクと光先輩のロードバイク、二台をチェックしている。

 愛紗は、その様子を見て思う。

「二台分チェックするって、大変じゃないですか?」

「別に……みっちゃん、来るの遅いし」

 そう言われると、光先輩はいつも来るのが最後だと気付く。

 三人の中で一番学校まで来るのが大変なので仕方無い。愛紗は徒歩通学レベルで家が近いし、結理先輩は駅が学校に近い西鉄電車を使っている。JRとバスを使う結理先輩が一番不利となる。

 自宅からロードバイクで……という選択肢も有るが、その為には前日に学校から自宅まで乗って帰らないといけない。

 それをやらないという訳ではない。長期休みの時は自宅へ持って帰る。

 ただ、その姿が、

(あまり美しくない……)

 ということもあり、あまり選択はしたくないらしい。

「さて……そろそろ来る」

 ロードバイクのチェックを終えた結理先輩が呟いた。

 校舎側を見ると、光先輩が小走りで近付いてくるのが見える。結理先輩は時間ピッタリにチェックを終えたのだった。

「凄い……」

「みっちゃんが来る時間に合わせて仕上げてるから」

 出発準備を終わらせて、三人は学校を出発した。


 ルートとしては、学校から西の方へ走って、国道二六三号線の早良さわら街道を南下していけばいい。外環状道路と交差する野芥のけ交差点から南は道路愛称が早良街道ではないのだが、普通に早良街道と呼ばれている事が多い。

 道路は南行きが一車線、北行きが二車線になっており、沿道はロードサイド店舗、個人商店、低層マンションが入り交じる。交通量はそこそこ多く、バスも複数路線が走っている為、本数は多めだ。

 外環状線を越えても、南行きは一車線、北行きは二車線のまま。交通量はやや減ったようにも思えるが、多分気のせいだろう。ロードサイド店舗の割合が増えてきている。交差する道路からの流入も有る。車はまだまだ多い。

 南に進んでいると、北行きの道路が一車線になった。ここからどちらも片側一車線の道路になる。

 そしてここが、旧早良町との境。

 さらに南進して牧のうどんを過ぎると、建物の密度が減ってきたように思える。沿道は一軒家が目立ち始めた。店の方も、ロードサイド店舗より個人商店の方が多く感じる。

 やがて、愛紗の目に信じられない物が飛び込んできた。

 そこには『ひもの』の文字。工場直営店らしいが、ここから海までは十キロほど離れている。

「え? ひもの?」

 見間違いかと思ってもう一度見たが、やっぱり『ひもの』と書いてある。しかも長崎のひもの。

「なぜここに干物が?」

「いやぁ……分かんないけど、ここはまだ海に近い方」

「ここで驚いていたら……この先でもっと驚く」

 前後の先輩たちがなんだか怖い……。何が有るんだろう。

 聞けば、ここのワインを使ったサバは魚の臭さが少なく、美味しいらしい。

 先輩たちが言ってた魚ってこれだったのか……と思ったが、まだ海に近いってどういうことだろう。

 この長崎の干物店の場所は以前佐賀の衣料品店だったようで、県外の企業を惹き付ける何かがあるのかもしれない。

 三人は、さらに南下を続ける。

 バスの営業所を過ぎてしばらく走ると、醤油メーカーが営む食堂が見えてきた。ここでは自社製品を生かした料理を提供している。

 福岡県には醤油メーカーが多数有る。年々数は減っているものの、全国には約千社ほど醤油メーカーが有る。その約十分の一が福岡県に有るという。くばら、ニビシ、ジョーキュウのような広く知られたメーカーは極一部。大半は知る人ぞ知るというというような小さな所。その分、使う人の愛着が非常に強い。

 食堂を過ぎると、右手にJAの直売所が見えてきた。

 JA福岡市も直売所を市内各地に設けている。直売所は道の駅に有るような物産館ぐらいの大きさでJA糸島の巨大すぎる直売所と比べると小さいが、野菜を中心に多種販売をしている。

 直売所の手前にある信号交差点にさしかかる所で、

「ここを曲がって川を越えると……からあげが美味しい」

 と、結理先輩。

 どこ? 山しか見えない! 川も見えないんですが?

 からあげが気になりつつ進むと、愛紗の目に再び信じられない物が飛び込んできた。

「……カニ?」

 そこに有ったのは、カニの卸直売店。

 ここはカニの加工工場が営む直売所。カニ加工卸が販売しているだけあって、カニが比較的安価で手に入る。

「……海遠くないですか? むしろ山に近いですよ?」

「いやぁ、ここはまだ海に近い方だよ。あたしんから山越えた飯塚にも、カニ加工工場の直売所あるもん」

 飯塚は完全に内陸。それと比較すれば……まぁ、海には近い。

「ここで驚いていたら……この先でもっと驚く」

 と、結理先輩。

 え? まだ有るの?

 今度は何だろうと思いつつ進むと、三人は早良平尾さわらひらお交差点に着いた。

 道路はここから県道一三六号線が左に分かれていく。その先は小笠木おかさぎ峠か板屋峠を通って那珂川なかがわ市に抜ける。

 三人は早良平尾交差点を直進した。室見川むろみがわを渡ると、ここまで平坦か緩い登り坂だった道路も、ハッキリ分かるぐらいの登り坂になってきた。

 だが、まだまだ緩い登り坂。問題無く進める。

 この辺りからは建物より歩道に植えられた街路樹や建てられた電柱の方が高い。正面には脊振山系の高い山々がよく見える。その三分の一も登らないとはいえ、山に向かっていると思うと期待と不安が入り交じる。

 しばらく進むと、内野交差点に着いた。

 ここから南は旧早良街道。この交差点から分かれて北へ進み、福岡拘置所の入口である早良口さわらぐち交差点までの県道五五八号線も旧早良街道になる。旧早良街道の大半は江戸時代に整備された旧三瀬街道で、旧三瀬街道は金武かなたけ宿から飯場いいば峠を通って、飯場宿から三瀬峠に向かっていた。そのルートは県道五六二号線になっているが、一部は未舗装状態で徒歩でないと進むのは厳しい。

 現在の三瀬峠へ向かう道路の大半は、曲渕ダムから旧平尾浄水場までの水道管を埋設した水道道路である。

 この内野から少し南へ進んだ所が陽光台。ここまではバスの本数も多いが、ここから曲渕までは本数が減ってしまう。その少ないバスも、補助金でなんとか維持している状態だ。

 この辺りから住宅も減って集落が点在する形になる。その間は山林か畑かという状態で、一気にのどかな風景になった。しかし坂はまだ緩い。周囲は山に囲まれているが、本当に山に向かっているのだろうか。

 大きな右カーブを曲がると、光先輩が左を指差した。

「そこ曲がると、坊主ヶ滝に行けるよ。即、激坂がお出迎えしてくれるけどね」

「激坂って……どれぐらいですか?」

 光先輩は少しの間黙る。

「――んー、田ノ浦の坂あったでしょ? 八木山バイパスの横の」

「はい」

 あの坂は短いながらも、体験した事の無い勾配だった。心が折れて足をついたのはハッキリと覚えている。

「アレの前後ぐらいの勾配だと思う」

「それ、もう壁じゃないですか?」

「いや、あたしと山さんで登ったから! 途中本当に反り立つ壁があったけど」

「やっぱり壁じゃないですか!」

 いつかは行ってみたいと思いつつも、そうなってくると山さんと同じ道を歩む事になるんじゃ無いかと危惧する愛紗であった。

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