自由に足を回して、颯爽と走って欲しい――ココ・シャネル

第66話 スリー滝と豆腐ッス

「どっか行きたーいっ!」

 部室でそう叫んだのは愛紗だった。

 季節は十月。さすがにもう激暑な日は無くなった。暑さというのは自然に体力を奪っていく。今は走るのには丁度良い気温の日が続く。

 どこかに行きたい欲は有る。だが、どこに行けばいいのか分からない。

 愛紗は悶々とした気持ちを、部室でぶちまけていた。

「どっか行きたいかぁ……。何が見たい?」

 部室でいつも話を聞いてくれるのは、いつものように机に座る光先輩。去年は山さんと山を中心に、山さん引退後は結理先輩と色んな場所へ行っているので、走るような場所には詳しい。

「見たいもの……紅葉はまだ早いし……」

「まだ早いねー。北海道とかならシーズンに入り出す頃だけど、こっちは一ヶ月ぐらい遅いねー」

「うーん……」

 いざ言われると、思いつかない。

「――そういえば」

 夏休み、篠栗を回っていた時に光先輩と話した事を思い出した。

「あの……夏休みに篠栗回ってた時、激坂の上のお寺で滝見ながら滝の話をしたじゃないですか」

「……ん、ああ、三角寺ね」

 滝の前で滝の話は何回かした記憶がある。激坂の上というワードから、場所を導き出した。三角寺と言えば、本堂と大師堂の間に有る清浄願之滝だ。

「私、大きな滝まで行けると思いますか?」

「滝ねぇ……」

 光先輩は天井を見上げながら考える。足をバタバタさせるのは、考える時のクセなのだろうか。

「白糸の滝はぁ……キツいかなぁ」

「キツい、ですか……」

 光先輩の言葉に、少し残念な気持ちになった。

「まず、伊都いと菜彩さいさいの近くまで行かなきゃならない」

 伊都菜彩はJA糸島の直売所。福岡市の隣の糸島市に有り、JAの直売所としては日本一の売上という場所。売場面積が広く、生産者の多い野菜だと品種違いで多種揃っている。広い駐車場を持つものの、年末などは埋まってしまい臨時駐車場が作られるほど、多くの人が集まる。

「そっから西九州道前原まえばるICの下まで進んで、左に曲がって段階的に勾配が増していく坂を八、九キロ登って行く。行ける?」

「……とんでもなく遠く感じるんですけど」

「うん。遠く感じるなら、オススメはしないね」

 平地なら多少距離が長くても走られそうだが、山を長い距離走った事は無い。愛紗はそこに不安を感じていた。

 光もまた、片道約三十キロほどの道を遠く感じるなら、辞めようと思っていた。走り込まない人にとっては、五十キロ以上というのは長距離に感じる。無理して選ばなくても、他に選択肢はある。

「坂にチャレンジしたいなら、まずは……五ヶ山ごかやまダムからかな? 比較的緩めな方だし。緩いとは言わないけど。山さんは五ヶ山と南畑みなみはたでダムカード手に入れてから、ダムカード集めにハマったとか」

 ダムカードは、ダムをもっと知ってもらおうと作られた、ダムまで来た人に配布するカード。ダムの写真とスペックが書かれており、福岡では県営ダムを中心に配布している。市営ダムは配布していない。ダムとカード配布場所が違う事もあり、事前に国土交通省のページで配布場所を確認しておいた方がいいだろう。前述の五ヶ山ダムと南畑ダムは、南畑ダムで配布している。

「あと……ホットドッグ」

 作業場から、結理先輩がなんか言ってる。

「うーん……じゃあ、坊主ヶ滝とか、花乱の滝はどうですか?」

「坊主ヶ滝はオススメしないなぁ。アソコ、基本的に激坂しかない地獄コースだから」

 もう選択肢は一つしか残っていない。

「なら……花乱の滝は」

「曲渕ダムの近くまで坂を登る必要はあるけど、曲渕までの勾配は緩めだね。まぁ、曲渕まで登る前に曲がるんだけど、その道から滝へ行く林道に入ると勾配は増す。だけど、坊主ヶ滝よりはよっぽどラクだと思う」

 楽だと言われても、レベルが分からない。キツいけど比較したら楽だという可能性もある。

「まぁ、曲渕まではそれなりの距離で勾配もそこそこだから、坂を登れるか初めにテストで走るのにも、丁度いいと思うよ? 最後に登り基調のトンネル有るけど、旧道のダム湖沿い走れば問題ないし」

 それを聞くと、なんだか行けそうな気がしてきた。

「曲渕方面行くなら……豆腐おすすめ」

 作業場にいた結理先輩が話に混じってくる。

「豆腐?」

 結理先輩は頷いた。

「あの周辺は脊振の水を使った豆腐屋や蕎麦屋が多い」

 国道二六三号線沿いのそばといえば、三瀬峠を越えて佐賀市側の旧三瀬村周辺が有名で、国道周辺にはそば店が多数並ぶ。福岡市側にも佐賀側よりは少ないものの、そば店が点在している。

 福岡側にはそば店が少ないが、有名な豆腐店が二つ。豆腐以外に野菜や水汲み等が有り、どちらも絶えず車が出入りしている。

「これにタケシゲ醤油の富をかけて食べると……おいしい」

 おかしいな。さっきまで滝の話をしていたのに、豆腐が食べたい気分になってきたぞ?

「豆腐もいいけどさ、豆乳プリンもおいしいよね、アソコ」

 光先輩まで……。ますます食べたくなってきた。

「私、行きたいです。豆腐屋さん!」

「いや、滝じゃないのかよ!」

「あ、滝でしたね、本来の目的は」

 豆腐でいっぱいで、滝の事はすっかり頭から抜け落ちていた。

「いや、まぁ、アッチの方に行ったら豆腐は大体買うけど」

「あと……魚」

「ああ、魚ね。魚もおいしいよね」

 ちょっと何言ってるか分からない。行くのは山の方である。海なんて遠い。

 魚……川魚とか? 滝が有るのは川だもんな。多分そうだろう。

「てか、ユリも行くの?」

「行きたい」

「じゃあ、あたしがルート作成して、にゃんこ先生に申請してくるよ」

 自好部の活動として走る時は、走行するルートを顧問の先生であるにゃんこ先生に届け出て許可を貰わないといけない。無茶な計画を立ててないか、何か有っても場所を導き出しやすいようにする為のチェックだそうで、姿を見た事は無いが完全放任主義という訳でもないようだ。

「もうちょっと冬が近づくと滝のそばとかサムいし、行くなら今ぐらいが限界かもね。逆の真夏なら人も多いしね」

 そうか。寒い中滝を見に行くとか、余計寒く感じるよな。滝とか夏に涼を求めて行くぐらいだし。


 かくして、三人は滝を求めて脊振山系をほんのちょっとだけ登る事になってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る