第65話 エディメルクス・ブルース

「よっし、部員が六人になったことだし、記念に山に行こうぜ山」

 山さんが言い出した。

 相当な山好きだな。だから山さんって呼ばれてるんだな。

「私はパスだね。ゴールデンウィークに旅に行く時の用具事前チェックも兼ねて、キャンプに行く」

 と、令子先輩。

「私は坂が駄目でなぁ……」

 と、澄代先輩。

「私……この系の自転車持ってない」

 と、ユリちゃん。

「え? 持ってないの?」

 山さんが驚いていた。

 メカニック志望だし、持っていなくても――持っていないのに志望?

「姉はロードバイク持っているけど……私には合わないサイズ。というか、私に合うサイズが無い……」

 そういうコトか。

「ちょっと立ってみて」

 山さんに言われて、ユリちゃんは立ち上がった。平均身長ぐらいである光よりも、かなり小さい。おそらく、百五十センチも無いだろう。

 だが、出るところは出てる。縦方向には成長出来なかった模様。

「……小さい。ボクでも、一番小さいフレームから選択しているぐらいなのに」

 山さんは光と同じか、やや低いぐらい。山さんとユリちゃんが並ぶと、ユリちゃんの小ささがよく分かる。

「サイズ、あるのかぁ?」

 ユリちゃんの小ささを見て、山さんは困っていた。

「だから……持ってない」

「まぁ待て。今は身長一四五センチぐらいからでも乗られるのが有るからな」

 と、澄代先輩。

「有るんですか?」

 腕を組んで話し出した澄代先輩の言葉に結理は反応して、澄代先輩を見あげた。

 澄代先輩は逆に大きい。光でも見上げるレベル。自転車選びにはあまり困らないだろう。

「有るぞー。フレームが小さい分、トップチューブも低めだからな。ボトルケージを付けるなら、サイドからボトルを取り出せるタイプが有る。それを付けるといいぞ。普通の上から取り出すタイプだと、少し取り出しにくい。横から取るタイプはうちに転がってるはずだ。入部祝にプレゼントしよう」

 ボトルケージが転がってる家って、どんな家だよ! 使用済みパーツとかかな? 壊れて交換とかならあるが、ボトルケージが余るなんて状況、そうそうない。

「私も……乗られる」

 ユリちやんの目が輝いている。今まで乗りたくても乗れなかったんだろうというのが分かる。だからメカニック志望になったとか?

「小さいサイズのラインナップは、通常の物とは別に用意されているぞ。江淵サイズを用意しているメーカーも少ないし、選択肢も多くないから、後は予算と相談してランクを決めるぐらいだな。小さいロードの一番上のランクを買っても、六、七十万ぐらいだったはずだ」

 高っ! 意外とするなぁ。

「デュラとかアルテクラスは……いらない。ソラやクラリスレベルでもいい。なんならアルタスでも……。私より、姉のロードバイクを万全にしたい」

「――いい話じゃあないか!」

 澄代先輩が目を腕に当てて号泣しているが、そこまで感動する要素があったか? あたしには分からない。

「ところで、光クンは? ヒルクライムしたいって話だけど」

「なにぃ? 山さん二世だと? そいつぁ変人だな」

 いや、あたし変人になっちゃったよ!

 変態の方がまだ……どっちもどっちか。

「あたしは今、クロスバイクです。コレでも奥の院行くのに若杉山・米ノ山に登ったりはしましたが、山さんみたいなカッコいいロードバイクだと、もっと行動範囲が広がるかな、と思って。あたしん、周りが山なので」

「なるほど。それでヒルクライムか」

 澄代先輩は少し考える。

「ヒルクライムは、基本的に軽い方が有利だな。世の中には、ママチャリでヒルクライムをする剛の者がいるが」

 そこまで行くと、もう変人で変態だ。

「軽いって言っても、限度あるからね。自転車は軽くなるほど、財布も軽量化される。一番上なんて、それこそ自動車学校行って免許取って、原二とか250ccバイク買ってもお釣りが来るレベルの値段するぜ」

 そんなにするんだ……。自転車って恐ろしい世界だ。さっきの六、七十万って安い方だったのか……。

「ボクは最初に買ったコイツと、山に挑戦してるけどね」

 山さんがサドルをポンと叩いたのは、ジャイアントのアルミロードバイク。アルミ製フレームでありながら、カーボンロードのエントリー寄りクラス並の軽さを誇る。

 コンポーネントはシマノの105を採用しており、あちらこちらに105の文字が見える。

(105……)

 この時の出逢いが、のちに光がロードバイクを購入する時、選んだ車種に影響を与えた。一番の決め手は金の差し色だったらしいが

「よしっ、自転車問題も解決したし、買ったら山に行こうぜ、山に」

「やっぱり行くんですか? 山」

「当然! 光クンは米ノ山登ったって話だから……英彦山ひこさん……脊振山せふりさん……」

 なんか一〇〇〇メートル級の恐ろしい名前の山が出てきてるんですけど?

 福岡県は高い山が少ない。一〇〇〇メートル越えは、もう高い山だ。一二三〇メートルの釈迦岳が最高峰と言われがちだが、上まで登られる悪路で有名な観測所は大分県である。

「……まずは板屋いたや峠かな?」

 板屋峠は標高六五三メートルの峠。県道一三六号線を走る形になる。前後に集落は有るが、早良側の椎原しいば地区まではなんとかバスが来ている状況。那珂川市寄りの板屋地区に至っては、事前予約制の乗合タクシーしか公共交通機関が無いという状況になっている。

 カーブも多く、福岡市周辺における初心者の壁的存在となっている。

「まぁ、待て。山さん」

 あれ? 澄代先輩が止めに入った?

「江淵も居るんだ。もうちょっと易しい坂にしよう」

 止めねぇ! いや、坂登るの嫌いじゃないからいいけども。

「易しい坂って言っても……片江展望台?」

「距離は短いけど、工業高校前の勾配が初心者向けじゃあないだろう」

「えー、練習向けの易しい坂だと思うけどな」

「慣れている人には優しいかもしれないがなぁ……」

 山さんと澄代先輩の言い合いが始まった。

 自好部の人たちは方向性がアレなだけで、自転車が好きなのには変わりないようだ。

 これならやっていけそうな気がする。

 光は入部して良かったと、自信が持てた。

 ――でも、どこへ行くのだろう。

 どこへでも行ける気がする。

 この部なら……。


「とまぁ、こんな感じだったのよ」

「部ちょ……前部長は全然変わってないですね。結理先輩も。光先輩は……染まったんですね」

 どうも前部長を部長と言ってしまう。この癖は抜けそうも無い。

「まぁ……染まったんだろうなぁ。最初はココに来た時の愛紗ちゃんみたいだったのになぁ」

「え? 私、変わりました?」

「かなり変わったと思うよ?」

 愛紗は自分は変わったとは思っていない。気付かないうちに変わったのだろうか。

「所で、話聞いてて思ったんですけど……」

「なに?」

「今年部員が来なかった理由って、ポスターに活動場所書いてなかったとかだったりしませんか?」

 光先輩はハッとなってポスターを見た。確かに書かれていない。

「こっちも……書いてない」

 と、結理先輩が光先輩の描いたポスターをひらひらさせながら言う。

「そっかぁ、それが原因だったかぁ!」

「来年は……書こう」

「そうだね。来年は目標二人! もっと多ければ、再来年はラクに!」

「頑張ろう……みっちゃん」

 愛紗は『活動場所』と言いだした当人だが、問題はそこじゃない気がしていた。

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