第64話 時代が求めた16段変速

「ここが自転車愛好部のある旧部室棟だよ」

 山さんに連れてこられた旧部室棟はコンクリート製の二階建て。古いアパートを思わせる造りで、部室入口の鉄扉が古さを感じさせるのに加担している。

(これが新しいトビラ……)

 山さんの変態発言以降、この部にはヤバい臭いしか感じなかった。

 でも、もう逃げられそうもない。

 ダッシュで逃げても、山さんは自分の脚で走っても速そうだ。間違いなく追いつかれるだろう。一度逃げて捕まったとなると、余計逃げ辛くなる。

 そういえば、さっき小さな子が入っていったよね? まだ出てこないってコトは……。

 変な想像が頭でよぎるが、もうちょっと様子を見ようと思う。

 実は居心地がいいという可能性もあるし。

「さ、入って入って」

 山さんが鉄扉を開けた。この中には、新しい世界が待っている。


 ここは楽園か。

 それとも地獄か。


 若杉山の奥の院駐車場までの道は、楽園キャンプ場の上が地獄だった。スリップ防止の溝入コンクリート舗装はまだいい。水を流すためであろう少し広めの溝が途中で何カ所も出てくる。角でパンクしたらと思うと、怖すぎた。

 そして最後は、残った脚を完全に削りに来る奥の院駐車場手前の坂!

 いや、奥の院の後で行った米ノ山展望台手前の坂の方が勾配おかしかったけど。アッチはスピード出して登ってきた人を大空へ射出するためのワナじゃないかという角度だった。

 ――話が逸れた。

 向こうが楽園であることを祈る。

 光は踏み出した。


 中はそんなに広くない部室だった。整理整頓はされていてキレイで、手前の方に教室からパクってきたかのような学校机とイス。そこには、机を挟んで二人の女生徒がイスに座っていた。

 奥には作業場らしき場所。そこでは一人の女生徒が自転車をイジっている。

「あ、ランドナー」

 ランドナーは荷物を積んで長距離を走れるように作られた旅向けの自転車。近年はグラベルロードにその座を奪われそうになるが、クラシックな姿であるクロモリフレームと、その時代にレースに出ていた人なら膝でギアチェンジしていたと自慢しがちなダブルレバーというスタイルを貫いて、うまく棲み分けをしている。

「おや? お客さんかい?」

 ランドナーをイジっていた人は一瞬手を止めて一瞥し、再びランドナーをイジり始めた。

「まさか……まさか……」

 イスに座っていた方の一人が震えだした。イスがガタガタと音を立てる。

「入部希望かぁ!」

 そう叫びながら立ち上がったメガネの人は背が高かった。さっき外にいた人だろう。という事は、もう一人の方が背の低い人だろう。

「いや、入部希望じゃなくて入部だよ」

 光の後ろにいた山さんが言う。

「なぁにぃ? 私も連れてきたぞ! 連れてきたというか、ここに来たのだが」

 イスに座っていたもう一人の方が頭を下げた。何か書いているようだ。

「え? 澄代クンも連れてきたの? これで部員六人になるよ」

 六人?

 部室内にいたのはランドナーの人、メガネの人、多分背の低い人で三人。そしてあたしと山さんで五人。

「あの、あとひとりは……」

 実は見えない人が一人いるとか言いだしたら、全力で逃げる。自転車怪談部に入るつもりは一切無い。

「ああ、柳か? 柳は部室に来ないからな。暇さえあれば走ってる。それなら部に所属してなくてもいいんじゃ無いかと思うかもしれないが、もし走っててクロモリロードに乗った柳に出逢ったら、ツチノコを見つけた気分にでもなってくれ」

 メガネの人が言った。

 安心はしたが、なんていうかクセの強い人が多いなぁ、この部。

 やっていけるのだろうか……。

 でも、あの新入部員っぽい子は、まともそうに見える。

 ――違ったりして。

「……出来た」

 書いていたモノが出来上がったらしい。

「入部届を書いたな。よぉし、これで晴れて………」

 メガネの人が入部届を手にして、座っている人を見つめた。

「えぇっと……」

「江淵……結理です」

「そう、江淵は今から自転車愛好部の部員だ!」

 名前が分からなかったんかい!

 ていうか、入部届ならそこに名前書いてるでしょ。

「私は二年の上ノ原澄代である! 江淵はメカニック志望だそうだが、非常に助かる。私がやると、なぜか怒られるからな!」

「あんた、すぐ変なパーツ付ける」

 作業場の人がボソッと一言。

「だな。令子りょうこクンの言うとおりだ。ボクはヒルクライムやるから少しでも、数グラムでも出来るなら軽くしたいんだけど、澄代クンは重さ気にせずに目新しいパーツを付けるからね。メリットあるならいいかもしれないけど、あるなし関係無く付けるからね」

「むぅ……反論は出来ない」

 澄代先輩は肩をすぼめた。

「あ、そうそう、向こうにいるのが、ボクと同じ三年の野路のじ令子クンね」

 あのランドナーの先輩は三年生なのか。あの人だけはマトモそうに見えるが……。

 光が令子先輩を見ていると、ふと手を止めた。

 そして天井を見上げる。遠い目をしていた。

「あー……旅に行きたい」

「旅に出るのは長期の休みだけにしてよね。令子クンが休むと、すぐボクに『野路はまた流浪の旅に出たのか!』と先生から聞かれるんだよ」

 マトモじゃなかった!?


 カッコいいけど変態を自認する山さん。

 学校休んで旅に行こうとする令子先輩。

 自転車パーツが好きすぎて勝手に換装する澄代先輩。


 マトモなあたしって、この部でやっていけるのだろうか。

 でも、山さんが持ってたロードバイク、カッコよかったんだよなぁ。

 あたしも乗ってみたい。ロードバイクに。

 もう一人の新入部員、ユリちゃんはどうなんだろう。マトモそうに見えるが……。


 そうじゃないと分かるのは、まだ先の話。

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