第56話 YURIちゃんを救え!
夏休みが終わった。
そう、終わったのだ!
長い休みも、いざ終わると短く感じてしまう。
そんな事を、毎年言っているような気がした。
久しぶりの学校は、篠栗を回った時よりも疲労感を覚えた。
しかし、学校には数少ない楽しみがある。
そう、自転車愛好部。
部長や光先輩(と柳先輩)には夏休み期間にも逢ったが、結理先輩とは久しぶりに逢う事になる。
だがグラウンドの端にある部室荘に来てみると、明かりも点いていない部室には重い空気が漂っていた。
「えっと……なんです? この空気」
明らかにいつもとは違う空気に、愛紗は戸惑っていた。
「ちょっと来て」
愛紗は光先輩に手を引っ張られて、外に連れ出された。
「原因、なんです?」
「アレだよ」
光先輩は親指で部室の中を差した。
その指の先を見ると、イスに座って机に両肘をついてうなだれる結理先輩の姿。負のオーラが全身から出ているのを感じる。
珍しい姿だ。
「……何があったんですか?」
「夏休み中、ユリはお姉ちゃんのレースにメカニックとしてついていったんだけど、途中メカトラでリタイヤして『私のせい……』と落ち込んで、あんなコトに」
「そんな事が……」
愛紗は扉が開け放たれている部室の中をもう一度覗いた。
「でも、部室に来る元気は有るんですね」
「いや、まぁ……一緒に住んでたら家で顔合わせちゃうワケだし、いづらいとかあるんじゃない?」
「かと言って、この状態だと私たちが部室に居づらいんですけど」
「んー……まぁ、そうだよね」
部室内の空気はよどんでいる。
これは良くない。確実に居心地は悪い。
「私がなんとかします」
「できるの? 普段でも難しいのに。シマノ絡みだとすぐ反応はするんだけど」
光先輩でも結理先輩をそう思っていたのか。そこは意外だった。
「――やってみせます」
これは難しい事かもしれないが、やらなければずっと部室がこんな感じになってしまう可能性が有る。
楽しい部活の為にも、この状況を変えられるなら変えたい。
「で、どうする?」
「私にいい考えがあります」
「大空から飛び落ちるつもりで任せるよ」
それは大きな決断……なのか?
任されてしまった以上、やるしかない。
愛紗は暗い部室内へと入っていった。
重い空気をかき分けながら、そっと冷蔵庫に近付く。
準備が終わると、その後結理先輩の前へ。
しゃがんで結理先輩と目線が合う高さに合わせた。
「結理先輩、結理先輩」
結理先輩は愛紗の呼びかけに反応して、目線をくれた。この世が終わったかのような表情をしていた。
この結理先輩を変えて見せる!
愛紗が打った手は、
「角天カードマァーン!」
――――。
愛紗は角天を両目に当てているので結理先輩の様子が見えないが、ただでさえ重い空気が更に重くなってしまったのを感じた。
静寂が流れる。
シーンという音さえ聞こえる気がした。
「…………いいです。責任取って、この角天食べますから」
「いや…………私の角天なんだけど」
愛紗が角天をかじると、魚の風味が鼻を抜けていった。
「意外とおいしいな、角天」
「いや……だから私の……」
と、愛紗が角天を食べていると、
「落ち込んでる場合じゃないぞぉ、江淵ぃ!」
突然響く部長の声に、身体がビクッとなってしまった。長い夏休みで忘れていた感覚だ。
「失敗なんて、誰にでも有る! 前回がどうだったからダメだ、じゃない! 次回どうするか考えろ!」
結理先輩はハッと顔を上げた。
「大体、こんな状態じゃ私も安心して引退が出来んぞ。こんな状態じゃ、自転車愛好部が潰れてしまうじゃないか」
部長はそう言いながら、部室内に入ってきた。
「え? 部長引退するんですか?」
その言葉に一番驚いたのが愛紗だった。
「私は三年生だぞ? そりゃあ引退はするさ。去年は山さんや流浪先輩も秋には引退していたからな。引退しても、山さんは山に登っていたし、流浪先輩は流浪の旅に出ていたがな」
「えー、さみしくなるなぁ……」
まだ自転車愛好部と出会って半年。もう部長が引退してしまうなんて。
「別に自転車を辞める訳じゃない。進学に備えるだけだし、どこかで逢えるかもしれん」
そうか。そうだよな。
「しかし悩んでいるのが、うちの部は試合とか無いという事だ。引退の区切りを付けるのが難しくてな」
「去年はどうだったんですか?」
「山さんは『
愛紗は少し考えた。
「……じゃあ、みんあでどこかへ行きませんか?」
「どこかって……どこだ?」
愛紗は再び考える。
「……部長、進学ですよね?」
「そうだ」
「じゃあ、
太宰府天満宮は学問の神様、文化の神様である
元々は菅原道真が左遷された太宰府で亡くなった後、平安京では不幸が続いた為「道真の呪いじゃあ!」と鎮める為に社を建てたのが始まりで、千年以上の歴史が有る。
「太宰府かぁ……」
部長はいつもの腕組みスタイルで考える。
「それなら行ってみたい場所がある。
坂本八幡宮は太宰府市坂本地区の神社。鎮守、そして勝運・出世開運の神とされる
元号が令和になった時、元となった歌を詠んだ大伴旅人の家が有ったかも説の有る場所の一つに建っており、発表以降は令和ゆかりの神社として、注目を集めている神社だ。
「だったらあたし、
外にいた光先輩が、いつの間にか部室内にいた。
光先輩はタンブラースイッチを押して、部室内の明かりを点ける。
「下郷、登山か?」
「いや、下宮までで」
竈門神社は
「え? 山?」
これに反応したのは愛紗。夏休みに篠栗で何度も登ったとはいえ、まだ苦手意識が強い。
「ま、山って言っても、極端な勾配の坂は無いし、途中に休憩ゾーンも有るから、ミニ猫峠みたいなものかな? 道は曲がりくねってないけどね」
「猫峠……」
それなら行けそうな気がする。キツめの勾配は有ったが、登れない、心が折れる、なんて事は無かった。
「なんか……太宰府の予定が、太宰府天満宮、坂本八幡宮、竈門神社と三社参りになっちゃいましたね」
「いや……
そう言うのは、結理先輩。
「天開稲荷社?」
聞いた事がない。
「どこですか?」
「天満宮の……裏」
天開稲荷社は太宰府天満宮の末社にあたる。鎌倉末期に伏見稲荷大社より
「あと、途中の茶屋が……おいしい」
そっちかい! 結理先輩ならそっちがメインだろう。
「しかし、四社参りか……行けるのか?」
部長の疑問は、
「坂本八幡宮は政庁跡の横だし、残り三つも固まってるから行けると思う。後半ほぼ歩きだけど」
寺社仏閣に詳しい光先輩の一言で片付いた。
「なら、行けるな。柳は来ないだろうから、四人で行くか」
「でも……一番の問題が有る」
そう言いだしたのは、結理先輩。
「なんだ?」
「どこのお店で梅ヶ枝餅を買うか」
梅ヶ枝餅は太宰府の名物の焼き餅。菅原道真由来のもので、差し入れをしていた、亡くなった後にお供えしていたなど、説はいくつか有る。江戸時代の文献には出てくるので、誕生はそれ以前とみられる。
三十を超える店舗が提供しており、共通しているのは名前と使用する粉と値段だけ。食感や中の餡(粒あんかこしあんか粒残し気味か、甘めか甘さ控えめか)は店舗で違いが出る。
それ故、人によってどの店舗が一番か、意見が分かれる。
「あたしは――」
梅ヶ枝餅談義で話が盛り上がる。
重い空気はいつの間にか吹き飛んで、いつもの部室に戻っていた。
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