第54話 とりあえずまぁ、結願
二人は中町屋島寺から先へ進む。
すぐに大きな鳥居が見えてきた。近くに神社が有るのだろうか。道路は鳥居を避けるように路側帯の白いラインが引かれている。
この鳥居を過ぎると、緩い登り坂が始まる。
道路はお寺の前で左に、左に曲がると神社の前で右にとクランク状になっていた。神社の左側には細い道を挟んで小学校が見える。
神社の前で光先輩がシフトを落としたのが見えた。
ん……坂のスタートか。
動きで分かるようになってきた。成長の証かな?
神社の前のカーブを曲がると、一気に勾配の増した坂が現れた。
「――いや、いきなりだなっ!」
これがまたずっと走ってきた足にはキツい物で、普通には登れそうも無い。
短いという光先輩の言葉を信じて、全力で登る事にした。
先を行く光先輩は、坂の途中で右に曲がるのが見えた。街灯には次の札所と思われる場所の案内看板が付けられている。
愛紗も曲がる。坂は少し緩くなった。
左側は広いスペースになっていて、神社の駐車場と書かれている。
その先の丁字路は、案内に沿って左に曲がる。
まだ坂は緩いと思ったが、途中からまたキツくなってきた。
脚がキツい。
――本当にこの坂は田ノ浦より短いの? いや、まだ登られてるけど。
とりあえず坂を登って行くと、光先輩は右に百八十度回っていった。
あとに続くと、短い坂の上が駐車場になっていた。どうやら札所の駐車場に到着したようだ。
「はぁ……はぁ……長くなかったですか? ……はぁ……坂。田ノ浦よりは若干緩かったですが」
「ああ、ごめんごめん。二段目の坂忘れてた。一段目なら百メートルだから短いんだけど」
「ひどすぎます」
呼吸が正常に戻った所で、ここから歩いて奥に行くと、二十八番札所の
大日寺は高知二十八番札所に由来。ここは初代から代々尼僧が守堂者を勤める札所で、境内は非常に多くの草花が溢れている。
まず目に飛び込んできたのは、波切稲荷大明神の赤い鳥居。
「え? ここ神社?」
「お寺だね。これぐらいで驚いてたら、愛媛の
愛媛四十一番札所龍光寺は濃厚なほどに神仏習合が味わえるお寺。まず、山門が鳥居なのである。これは元々稲荷明神を御本尊としていた影響で、明治時代の神仏分離の際は本殿が神社の拝殿となっている。現在の御本尊は、本地仏だった十一面観世音菩薩になる。
奥に行くと、お堂が点在していた。淡島明神を祀る淡島堂。そして、閻魔大王を祀る大閻魔堂。ここの閻魔大王坐像は高さ三・三メートルで、日本最大だとか。
奥には御本尊を祀るお堂。中を覗くと、金剛界の大日如来坐像が見えた。
本堂で読経まで終わらせた。
納経箱は隣の建物に有る。セルフ御朱印を捺した。
「あとはもう、坂を下って旧道を突き進むだけ。
ああ、もうすぐ終わってしまうのか。この三日間、ずっと走りっぱなしだった気がするが、実際終わるとなると寂しい気持ちになってしまう。
だからと言って、ここで辞めてしまう訳にもいかない。永遠に終わらないだけだ。
ラストへ向けて、篠栗公園大日寺を出発した。
篠栗街道の旧道、篠栗宿駅問屋跡の所まで戻ってくる。ここを左へ曲がって西へ。
狭い旧道の道路は両側に水路が有った。旧道沿いの建物は古めの住宅が中心で、たまに個人経営であろう店舗が建っている。低層のマンションも建つが、数は少なめ。遠くに見えている茶色のマンションが目立つレベルだ。
旧道を進んでいると、光先輩は右側に建つ茶色のマンションの方へと寄っていった。このマンションが、旧道に戻ってきた時から見えていたマンションだ。
「到着!」
「え、ここ!?」
マンションの右端に幟が建っていた。
間違いない。五十四番札所
延命寺という名前だが、無人のお堂。名前は愛媛五十四番札所の延命寺に由来する。
マンション駐車場の端に建つ札所は、奥に縦長。両サイドに十三仏が並ぶ通路を抜けると、御本尊の不動明王が祀られた小さなお堂が有った。
ここは元々遍路宿だった場所。札所は宿の庭に有ったという。昔は栄えたそうだが、時代の流れで宿は廃業となりマンションへと変貌する。
守堂者が宿の経営者だった札所は多いが、宿が一番姿を変えているのはここだろう。
読経まで終えて、セルフ御朱印を捺した。
「札所はあと二つだけど、移動は次で最後。並んでるからね」
いよいよ最後かぁ……。
そう思いながら、中町延命寺を出発した。
旧道を走っていると、この三日間の事を思い出す。
楽しい事も有ったけど、大変な事も有った。
一日目は猫峠を登って。
二日目は
三日目は若杉山を登って……。
――いや、思い返しても山ばっかりだよ!
そりゃあ、光先輩も鍛えられるだろう。もうこれ登山だよ。
今走っているのは篠栗駅近くの旧道。さすがにもう坂は無いだろう。
そう思うと、今ではいい思い出。
最初はキツかった坂も、今は……やっぱりキツい。
そんな事を考えていると、光先輩が左を指差した。前方左側に赤いお店が見える。
光先輩はそのお店の手前を曲がった。赤い店、白い旅館と続き、旅館の前で駐車場が左と矢印が出ている。この駐車場にクロスバイクを停めた。
戻ってきて旅館の前から更に奥へ進んで、旅館横の土産物店前に有るのが、五十一番札所
元々は中町屋島寺と中町延命寺の間で医師の邸宅に建っていたのを周辺住民で守ってきたが、大変という事で守堂者が旅館の人に変わり移動してきた経緯を持つ。
非常に小さなお堂で堂前に献灯台と香炉が有り、堂の右面には十三仏を二重に並べている。
読経まで終えて、セルフ御朱印を捺した。
そしてこの下町薬師堂の右に建つのが、七十九番札所の
この一見読めなさそうなお寺の名前は、観音菩薩の浄土という意味。サンスクリットの読みを漢字に当てはめてこうなったという。この名前を持つお寺は京都、神奈川、和歌山など、各地に有る。
元々は御本尊の十一面観世音菩薩を祀るお堂だったが、昭和の終わりに寺格を得た時に、篠栗に無い名前と言う事で補陀落寺になったそうだ。
正面は大師堂で、左側に本堂。本堂は今まで見てきたお寺からすれば小さめだが、大きな向唐破風が目立っていて、そうは感じさせない。
本堂に行って献灯台に火をつけたローソクを立てる。
そのローソクで線香三本に火を付けて香炉に立てる。
納札入に納札を投入。
賽銭箱にお賽銭をそっと入れる。
一礼してから読経。
回向文まで終わると、再び一礼。
全てが終わった。
隣の納経所で御朱印をいただく。
これで打ち収め――
「終わったぁ!」
「いやぁ、愛紗ちゃんが行けるかどうか不安だったけど、行けたね」
「ちょっとは成長した感じ、しますか?」
「んー……分かんない」
「えーっ!」
こうして、光先輩と愛紗の篠栗四国八十八ヶ所霊場の旅は終わった。
二人はクロスバイクを停めた駐車場へと戻ってきた。
「また回りたくなったら一人で回ってもいいし、あたしを誘ってもいいから」
「何回も回っていいんですか?」
「四国もそうだけど、回った回数で納札の色が変わっていくんだよ。百回以上の錦とか、そりゃあもうありがたいモノだね。あたしは五十回以上で使える金の札を目指してるけど」
だから、なぜ金にこだわる。疑問だ。
「本当は、若杉山を登って奥の院に最後行くのがいいんだけどね」
「あの荒田高原の?」
「そう。登るトコ、別だけどね。五キロの緩急有る普通の山道を登った後、二キロほど楽園の向こうの地獄を体験」
「地獄って……どんな所ですか?」
「んー…………雷音寺参道の上位互換、かな?」
うん。どう考えても酷そうだ。地獄だな。
そもそも、あれの上位ってどういう事だ? コンクリート舗装なのは、間違いなさそうだ。
「で、駐車場から歩いて一キロ登山。計八キロの道のり」
「今の私には無理そうですね」
そんなに登り切る自信は無い。確実に、途中で力尽きるだろう。
「だからココで終わりにしたのよ。ま、三日間で身体も疲れてるだろうから、ゆっくり休めてね」
三日間一緒だった光先輩との別れは名残惜しいが、いつまでも居る訳にはいかない。愛紗は自宅を目指して西へと走りだした。
三日間の思い出を乗せて。
「ただいまー」
愛紗は家に帰ると、真っ先にお風呂場へ。篠栗町から福岡市へは下り基調なのでキツくは無かったのだが、三日間走りっぱなしで身体も疲れているし、汗も酷い。とにかく湯船に浸かりたい気分だった。
「あぁー……」
待望の湯船にゆっくりと浸かると、疲れが抜けていく感じがした。
「三日でいっぱい走った気がするなぁ……」
ふとももの表側に少し痛みを感じる。ただの筋肉痛だろうか。それとも、漕ぎ方が悪くて痛めた? よくは分からない。
「でも楽しかったなぁ。もっと色んな所行ってみたいなぁ……」
不意に手を湯面から出した所で気付いた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ……」
愛紗の声が浴室に響く。
愛紗の目に飛び込んできたのは、第二関節から先だけ真っ黒な指。
腕や顔などは日焼け対策をしていたが、指先は全く考えていなかったのだった。
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