第53話 ダイシドウゾウヘッディー

 そのまま県道六〇七号線を走っていると、次の札所であろうお寺の白い看板が、仏具店の名前入りで歩道に建っていた。看板には駐車場と左を向いた赤い矢印が描いてあるが、その方向は階段が有って上には山門が見える。

「駐車場……?」

「駐車場は、そこ曲がったトコね」

 すぐ先を左へ曲がった所に有るらしい。曲がると、ちょっとした坂が見えた。

 坂を登って左側が、六十二番札所の遍照院へんじょういんである。

 この地とお寺は、長い歴史を持つ。

 元々は江戸以前の安土桃山時代より十一面観世音菩薩が石原観音として信仰されていた土地で、江戸期に観音堂が建てられて粕屋郡中三十三観音霊場二十四番札所、そして篠栗四国八十八ヶ所霊場六十二番札所となった。

 しかし、明治期に入ると廃仏毀釈により、寺格の無いお堂は廃止と御触れが出てしまう。

 一方、遍照院は東長寺の末寺として櫛田神社内の、現在の櫛田会館辺りに建立されていた。十八世紀には神護寺や遍照院と書物に載っていた事から、創建はそれ以前と言われている。

 しかし、明治期に入ると神仏分離により神社と寺院は同居出来なくなる。遍照院は廃止か神社に移転かと命令されていた庚申尊天こうしんそんてんを御本尊として何とか存続はしたものの、衰退してしまう。

 そんな二者の思惑は一致。

 遍照院は札所の存続の為にこの地へと移転してきた。

 櫛田神社の奉納神事である博多祇園山笠が東長寺を回るのは、この遍照院が有ったからと言われている。

「でっか!」

 遍照院の駐車場へと入ってきてまず目に飛び込んできたのが、台座含めて高さ十一メートルの巨大大師像である。元々は日本一の大きさである銅像だったが、戦時中の金属供出で無くなってしまう。

 戦後に再び造ろうとするが、頭部だけで断念。大きすぎて胴体が作れそうも無かった。

 その後コンクリート製で、戦前よりやや小さめになって再建している。

 大師像の下は羅漢窟になっており、四国八十八ヶ所のお砂踏が出来るようになっている。

 また大師像の足元、台座の上の方には投上賽銭箱が有る。大体高さ五メートルぐらいで、山口県の元乃隅稲成神社もとのすみいなりじんじゃほど高くは無い。しかし賽銭箱が小さく、投げ入れるのは難しい。

「えいっ!」

 光先輩が投げた五円玉は、賽銭箱に入らず音を立てながら落ちてきた。

「それっ!」

 愛紗が投げた五円玉は、見事賽銭箱に入った。

「やった!」

「もう一回!」

 再び投げた光先輩の五円玉は、同じように音を立てながら落ちてきた。

「今度こそ!」

 その様子を見ていた愛紗。

「光先輩、絶対ギャンブルとかやったらハマるタイプですよね?」

「そんなコトないよ。もう一回」

 光先輩が何回投げたか分からないが、ようやく入ったので本堂へ向かう。

 堂前で献灯、献香を終わらせて堂内入ると、巨大な大師様の顔が見えた。これが頭部だけで断念した銅像だ。顔だけでもかなり大きい。全身はどれだけ大きかったのか。

 堂内で読経まで終わらせて墨書で御朱印をいただく。

「もうちょっと坂が続くよ」

「って事は、その道を上に行くんですか?」

「そうだよ」

 二人は遍照院を出発した。

 坂はキツすぎる訳でもないので、普通に登っていける。

 坂を登っていると、遍照院の第二駐車場が有った。ここには遍照院の大師堂が有る。

 もう少し進むと、民家に入るんじゃないかという砂利道が有る道路の所に、へんろ道のプレートが建っていた。矢印は右側を差しているが、奥を見ても民家しか見えない。

 砂利道を進んで突き当たりを左に曲がると、十八番札所の篠栗恩山寺ささぐりおんざんじに到着である。

 恩山寺は徳島十八番札所の恩山寺に由来。寺と付くが無人のお堂である。

 やや広めの境内は、正面に瓦屋根のお堂、そして左隣には不動明王の像が有る。

 いや、不動明王だけでなく、屋外には石像が多く祀られている。少し数が多い。

 愛紗は正面のお堂へ行こうとしたが、

「そっち大師堂だよ」

 と、光先輩が言う。

 光先輩に連れて行かれたのは、少し離れた所に建つスレート屋根の建物。白い壁と窓の建物は昭和の住宅感が有ったが、これが本堂である。中には御本尊の薬師如来像が祀られているので、間違いない。

「大師堂が入口から目立ちすぎじゃないですか? 本堂と間違えますよ」

「四国というか、お寺でもだいたい本堂が奥で大師堂が手前にあるコトが多いから、間違ってはないよ」

 南蔵院や三角寺はそうでも無かった気がするが、それを言うと話が長くなりそう。なので、そういう事にしておこう。

 お堂で読経まで終わらせた。

 『御納経印は下の家の玄関』と書いてある。

 光先輩につれられて、入口の方へと戻ってきた。来た時はまったく気にしていなかった民家の所に建つ黒い建物の柱に『第十八番札所 納経所』という手作りっぽい木の看板が取り付けられ、建物の壁には白い納経所プレートも付いていた。その白いプレートの上には『御安心所』と木の看板が取り付けられている。

「履いてますよ?」

「そういう安心じゃないと思うよ?」

 木のイスや机が有るので、ちょっとした休憩所なのだろう。

 セルフ御朱印を捺した。

「次は……ウラから行けば近いんだけど、狭いし生活道路みたいなモンだから、表のでっかい道路から行く。心の準備もできるしね」

 なんか最後の一言が不安になる。なんだろう。

 二人は篠栗恩山寺を出発する。

 遍照寺の駐車場に行く時に曲がった所へ戻ってきた。ここから国道六○七号線を西へ進む。

 小さな神社の有る信号を過ぎると県道は右斜めへのカーブとなっているが、光先輩はまっすぐ続くような狭い道の方へと進んだ。これは旧道なのだという。札所が旧道沿いに多いというのが、歴史の長さを物語っている。

 小学校入口を過ぎると、かなり古い木造の建物が有った。この辺りは篠栗宿の問屋場跡らしい。問屋場は宿場の中心となる場所で、宿場のまとめ役が居た場所。幕府の役人や諸国大名が移動する為の人馬を用意したり、飛脚等が持ってきた荷物を次の宿場へ運ぶ為の引き継ぎをしていた。この古い建物が問屋場だった建物かどうかは分からない。『篠栗宿駅問屋跡』と書かれた小さな石柱が建つだけで案内も無い。少し残念だ。

 その問屋跡の建物に沿うように左へ曲がって少し進むと、八十四番札所の中町屋島寺なかまちやしまじに到着である。

 屋島寺は香川八十四番札所屋島寺に由来。

 コンパクトな庭園のようになっており、外周に沿うように石仏の祀られたお堂が並び、整えられた木々や石灯籠が立ち並ぶ。守堂者は造園業だったとか。

 入口の石門の横には『第八十四番納経所』と書かれた白い看板が有る。この看板が有る建物は、御本尊では無い聖観世音菩薩が祀られているようだ。入口の上には『長生鈴 東照宮 元禄元年 鋳造』と書かれている。そばに有る古っぽい鈴がそれなんだろうか。分からない。

 札所の御本尊である十一面千手観世音菩薩は左奥のお堂に祀られていた。

 このお堂で読経まで終わらせて、聖観世音菩薩のお堂でセルフ御朱印を捺す。

「さ、お楽しみタイムがやってまいりました」

 坂だ。

 光先輩がこう言う時は坂だ。

 この先に坂が待っているんだ。

「裏道から行くと、いきなり出てくるからね。こっちから行ってもいきなりなんだけどさ」

「おんなじじゃないですか!」

「向こうだと、下り坂から登り坂になるんだよ。こっちだと準備運動のゆる坂から始まるから、まだ心の準備ができる。どっちがいい?」

「どっちもイヤです」

「まぁ、そう言わずに。田ノ浦の坂よりは短いし」

 でも、もうこの辺は中心部に近いはず。これが最後の坂だと思いたい。

 いや第二、第三の……。

 それ以上考えるのはやめて、中町屋島寺を出発した。

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