第51話 山王遊撃隊

 二人は丸尾観音堂を出発した。

 下ってきた道を少し戻るように登ると、左へ曲がる道が有った。ここは広めの丁字路になっている。中途半端な位置にガードレールが有るが、恐らく公道との境なんだろう。

 右側には荒田旅館街や切幡寺の案内看板がブロック積擁壁に取り付けてあり、矢印は左を向いている。下はどこから登ってくるのかは知らないが、こっちから登る人もいるのだろう。

 左へ曲がると、また下り道が続く。やがて雑木林を抜けていくつづら折りも終わり少し直線が長くなる。

 辺りは雑木林から畑が広がる風景に変わってきた。住宅もちらほら見かけるようになって、先ほどまでと景色が明らかに違う。山もかなり下りてきたのだろう。

 つづら折りというよりは曲がりくねった道が続く道を下っていると、前を行く光先輩が左手で斜め前を指差した。

「ん?」

 と思うと、緩い左カーブが終わって次に見える右の急カーブの所で、左前に延びる道が見えた。

「そこ?」

 細い道に入ると、ちょっとした登り坂になる。登っていくと、納経所の看板が建った家が見えてきた。多分、ここに納経箱が有るんだろう。

 更に坂を登っていくと、今度は右側に小さな駐車場が設置されていた。ここに自転車を停める。

 この駐車場の向かい側が、四十一番札所の平原観音堂ひらばるかんのんどうになる。

 ここも元遍路宿の庭園となっており、整えられた庭園の中に、赤い屋根の小ぶりなお堂が建っている。

 岩の台座と合わせて屋根より高いんじゃないかという高さのある大師像は、皇紀二千六百年記念で建てられた。これは和暦だと昭和十五年になる。

 すぐ隣には龍光ノ滝が有り、コンパクトな滝は不動明王に見守られている。

「滝多いですねー」

「改めて思ったけど、多いねー」

「なんか、滝を一生分見た気がしますよ」

「一生で見る滝、少ないなぁ。もっと見るでしょ」

「そんなに見ます?」

「見るよ。見る見る」

 本当かなぁ……と怪しみつつ、お堂で読経まで終わらせた。納経箱は先ほど見た看板の建つ民家の前。

 セルフ御朱印を捺した。

「次は、戻って少し下りたトコね。ノボリですぐ分かると思う」

 平原観音堂を出発して、元の道に戻ってきた。少し下ると、駐車スペースのようで民家へ登る坂の入口のような砂利のスペースが左側に見え、壁には札所のプレートが貼ってあった。篠栗八十八ヶ所の幟も建っている。

「これか」

 プレートの所には階段が有るが、見上げても民家しか無いように見える。

 クロスバイクを停めて階段を登ると、右側に二十三番札所山王薬師堂さんのうやくしどうが見えた。

 この山王薬師堂という名前、実は三ヶ所も有る。全て御本尊が薬師如来。ただ『山王薬師堂』と言ってもどこか分からないが、あまり困ったという話は聞かない気がする。

 ここは本堂と別に、小さな大師堂が有る。無人のお堂だと御本尊と一緒に大師像も祀られている事が多いので、珍しい。

 二人は本堂で読経まで終わらせた。

 愛紗が堂内を見回すが、黒い納経箱が見当たらない。

「あれ? 納経箱は……」

「アッチだよ」

 光先輩が指差したのは、登ってきた階段の方。

(途中に何も無かったけどなぁ……)

 そう思いながら階段の方へ戻ってくると、階段の横に小さな案内板が建っていた。案内に沿って歩いていくと、家の前に納経箱が置いてあるのが見える。

 セルフ御朱印を捺した。

 二人は元の階段の所まで戻ってくる。

「次は……うっかり見逃しがちなんだよね。住宅街に次の次のお寺の案内があるんだけど」

「そんなに分かりにくいんですか?」

「いや、こっから走りやすいから、調子に乗って通り過ぎちゃうんだよ」

 階段を下りてきて、その理由が分かった。この辺りから道路が片側一車線の広めの道路になる。今までの中央線のない道路から比べれば、快適すぎるぐらいだ。

 山王薬師堂を出発して、坂道を下りていく。

 住宅が増え始めると、遠くに鉄閣寺の屋根が見えてきた。もう山をかなり下りてきているようだ。

「そこそこそこそこ!」

 光先輩が右前を指差した。住宅の間、ガードレールの切れ目の所にお寺の案内看板が建っていた。確かにこれは何も考えずに走っていると通り過ぎそうだ。

 お寺の案内通りに狭い道へと右折する。看板通りなら、次の次のお寺までは百メートルも無い。

 まずは少し進んで小さな橋を渡ると、七十三番札所の山王釈迦堂さんのうしゃかどうに到着。

 表の看板には『出釋迦寺しゅっしゃかじ』と書かれている。出オチ的な意味では無く、香川七十三番札所の出釈迦寺に由来する。

 小さな庭園のような札所は、昭和四十年代にこの場所へ移転してきている。

 ちょっと変わっているのは、御本尊の釈迦如来を祀った大小のお堂が向かい合うように建っている事。大きな方は現在の御本尊、小さい方には創建時に造られた石仏の天保仏が有る。

 大きい方の釈迦堂で読経まで終え、セルフ御朱印を捺した。

 次の札所は、先ほどの道を突き当たりまで行った場所。

 右が駐車場で、左が六十一番札所の山王寺さんのうじになる。

 ここはたぬき寺とも呼ばれ、境内にはたぬきの置物や石像が多数置かれている。

 また、夏には奉納された風鈴を飾る風鈴祭りが行われ、小郡おごおりのかえる寺こと如意輪寺にょいりんじ、飯塚のこがえる寺こと正法寺しょうぼうじ、篠栗のふくろう寺こと千鶴寺(十二番札所)と並んで、生き物と風鈴の寺として知られる。

 境内に入ってくると、階段の上に大きなお堂が見えた。広い階段の中央には小さなお地蔵様が並ぶ。

 愛紗が階段を登ってお堂へ行こうとすると、

「そっち大師堂だよ」

 と光先輩が言った。

「え、あっち大師堂なんですか?」

 普通の本堂サイズで、何も言われなければ本堂と思う。

 いや、思った。

 光先輩が奥の方へ行くのでついて行く。途中に本堂の案内が出ているので、光先輩の間違いではないようだ。

 そして階段の上に大きな五円玉、その左側に赤と白の子安大師堂。さらにそこからの階段の上に本堂が見えた。大師堂とあまり大きさが変わらないようにも見える。少し距離があるせいかもしれない。

 本堂まで行って読経まで終わらせた。

「納経は大師堂ね」

 と光先輩が言うので、先ほど行きかけた大師堂へと行く。

 中には巨大な弘法大師坐像が祀られていた。高さは約三メートル。篠栗では最大クラスだそうだ。他の地域には、もっと大きい坐像が有るという。

 大師堂の左側には人力車が置かれていた。これは昭和十八年の映画『無法松の一生』で使われた物。小倉を舞台にした車夫のお話は、阪東妻三郎が主演、ヒロインを元宝塚の園井恵子が勤めた。戦時中の一作目は検閲を受けてカットされたシーンが有り、戦後の検閲を受けない時代に三船敏郎、高峰秀子で作られたリメイク作も有り、評価は分かれる。

 なぜ小倉が舞台の映画の道具が篠栗で奉納されたのか、経緯はよく分からない。

 しかし、この大師堂は大きな物が多数有る。これならお堂が大きくないと入らないだろう。

 墨書で御朱印をいただいた。

 二人は駐車場まで戻ってくる。

「こっからラストまでは、各札所が少し離れてるよ。遠くもないけど、近くもない感じ」

「そこの山王釈迦堂みたいに、札所が近いのは無いって事ですね」

「そうそう。でも遠くもなくて、ちょっと走れば着くぐらいの距離」

「それぐらいの距離なら、丁度いいかも。近すぎると、乗降の方が時間かかってるかも? と思う時有りますから」

「あ、ちなみに次は坂ね。大した坂じゃないけど」

 光先輩がそう言う時は、大した坂になる事が多い。しかし、鉄閣寺がチラ見えしているという事は、もう山を下りてきているはず。本当に大したこと無い坂かもしれない。分からんが。

 二人は山王寺を出発した。

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