第46話 オーヘンロ56(ヶ所目)
二人は黄色い田ノ浦橋の所から坂を登っていく。
決して緩くは無い坂。
それでもさっきの壁みたいな坂よりは、まだ登る事が出来る。
やっぱりキツい坂を体験させて、その後にそれなりの坂を登って貰う作戦としか思えない。
キツそうでキツくない。ちょっとキツい。
そんな絶妙な勾配。
悪くは無い。これぐらいの坂なら、好きになれそうだ。下の壁みたいな坂は、まだ早い。
そんなスピードでうねうねとしたS字カーブを曲がって登り続けていると、札所の看板が見えてきた。矢印は右を差している。
「……はぁ……はぁ……着いたぁ……」
呼吸はギリギリ保てているが、鼓動はとてつもなく早い。
しかしあとひと踏ん張りと案内に沿って百八十度回ると、ここで最後の坂。
短い坂を登り切れば、七番札所の
クロスバイクを停め、呼吸を整えてから歩いて坂を登ると、手水鉢が有った。細いパイプから出てくる水は山の湧き水なのか冷たく、坂で暑くなった身体を冷やすのに丁度良かった。
境内は比較的広めで、一番奥の阿弥陀堂までに十三仏や釘抜地蔵が祀られたお堂が有る。
釘抜地蔵は京都のお寺がメジャーなお地蔵様。釘抜地蔵と呼ばれる由来はいくつかあって、
苦抜きが転じた。
釘が刺さったので、とりあえずお参りに行ったら抜けた。
藁人形の呪いからの解放。
のどれかと、大体なっている。
奥の阿弥陀堂で読経まで終えてセルフ御朱印を捺した。
ここから坂を下って、先ほどの田ノ浦橋まで戻ってくる。登りはあんなにも時間がかかったのに、下りは一瞬だった。登りで苦労したご褒美だろう。
ここから札所と納経所が続く。
まずは橋の所。猪避けのゲートを開いて坂を歩いて登る。庭園のような道を通って左に曲がると、三十番札所の
お堂が有る所も庭園のようだった。聞けば、ここは元々遍路宿だったという。宿は廃業したが、庭園は今でも維持されている。
ここには小さなお堂と大きなお堂が有り、どちらも阿弥陀如来が祀られている。
小さなお堂は納札入れも有るが、他にあるような銀色では無く木製。歴史の有りそうな姿をしていた。
阿弥陀如来が祀られたお堂が二つ有るのは、元々の高知三十番札所が複雑な経緯を持つ。
江戸時代は土佐神社の別当で空海が開いた
数年後に札所がいつまでも廃寺はいかんだろうと、土佐に流されていた菅原道真の長男が建てていた
それから五十年以上経って昭和に入り善楽寺も埼玉のお寺を移して復活したが、どちらが三十番札所か争うことになり、どちらも札所という時代が続いた。
平成に入って安楽寺が善楽寺の奥の院となる事で、札所問題はようやく収束した。
こうした経緯も有り、小さなお堂には善楽寺から勧請した阿弥陀如来が。大きなお堂には安楽寺から勧請した阿弥陀如来が祀られている。
大きなお堂に安楽寺の方が今でも祀られているのは、廃寺前の御本尊を引き継いでいるのが安楽寺だからと思われる。こちらが土佐神社の本地仏だった阿弥陀如来像だ。
「光先輩。どちらに行くのが正しいんですか?」
と聞いたが、
「好きな方でいいんじゃない?」
と返ってきた。
なら、と大きなお堂の方へお参りした。
納経は下の家、とある。橋の所から参道を登る時に右側に見えていた家だ。一度外へ出て少し下ると、玄関の横に納経箱が有った。セルフ御朱印を捺す。
次。この家の右隣が、八十番札所田ノ浦観音堂の納経所。こちらも玄関の横に納経箱が有る。
ここもまた、遍路宿だったそうだ。
次の札所は隣。家と家の間の所に、看板が建っている。看板の矢印は砂利道の方を差していた。
この道を通る時、屋根の向こう側にお堂が見えた。
階段を登れば、五十七番札所
愛媛五十七番札所
二階建ての家が下に見える高さだが、階段を登るのは苦でも無かった。歩きやすい階段だったおかげだろうか。それとも、疲れすぎて感覚がマヒしているのだろうか。
大きくないお堂の中は、両サイドに十三仏の石仏が有るスタイル。狭い土地を有効活用している。
少し変わった物としては、十一面観世音菩薩が祀られたお堂が有るが、仏像ではなくイラスト。他のお堂は石仏が祀られており、なぜここだけイラストなのかは謎である。
納経は田ノ浦斐玉堂と同じように下の家と書いてある。
階段を下りて左へ進み門から入ると、家の前に納経箱が置かれていた。
ここも、昔は遍路宿だったそうだ。
つまり、ここには三軒の遍路宿が並んでいた事になる。
現代では徒歩で回る人が減ってしまってはいるが、徒歩以外を含めてこの地で宿泊して打ち始めから打ち納めまで通し打ちという人も減っている。愛紗は通し打ちを行っているが、宿に泊まっている訳では無い。
「少し寂しいですね」
「時代の流れだね」
光先輩のそれは、少し冷たい感じがした。
「四国だって、旅館や宿坊は減ってる」
「宿が減って、困らないんですか?」
「代わりにビジネスホテルが増えてるらしいよ」
そういえば、町に入った所にでっかいビジネスホテルが建ってたな。
――時代の流れか。
光先輩と愛紗は、田ノ浦栄福堂を出発した。
下り坂はまだ続く。
小さな集落を過ぎれば、雑木林の道。ガードレールなんて無い。落ちれば崖下の地面に行く前に、あの世へ行くかもしれない。
雑木林を抜けて八木山バイパスをくぐると、走りやすい綺麗な道路へと変わった。八木山バイパスに沿うような道路は、工事の為に整備されたのかもしれない。
そのまま八木山バイパス沿いに坂道を下りてきて多々良川を渡ると、国道二〇一号線へと出てきた。
光先輩は右へ曲がるので、愛紗も続く。
そこから百メートルも走っていないと思うが、日本料理店が有る斜めの道へと入っていった。いいのだろうかと思ったが、ここは旧道らしく、駐車場の横に札所の小さな看板が建っていた。
クロスバイクを停めて見上げるは、石段の階段。真ん中には手すりが付いていた。
「あの……これ、やましい事が有ると登れなかったりしますか? 光先輩が心配なんですけど」
「吞山さんの戒めの階段じゃないから! てか、あたしやましいコトないし」
この階段を登れば、七十八番札所の
横広い境内は、札所の御本尊が祀られている阿弥陀堂と、
日切地蔵は「この日までに」や「この日に」と日にちの期限を決めて願うと叶うと言われるお地蔵様。数は多くないが、各地に存在する。
しかし、いきなり期限を決めてと言われても思いつかない。
「明日までに八十八ヶ所全部回れますように!」
「うん。それは愛紗ちゃんの明日の頑張り次第だね」
二人は阿弥陀堂へ戻って読経まで終えて、セルフ御朱印を捺す。
「さ、次が今日のラスト! キアイを入れて行く……ほどの距離でもないんだけどね」
国道二〇一号線を戻って、さっき渡った多々良川の橋を渡り、右へ曲がって川沿いの道を進む。この道も旧道なのだそうだ。
旧道沿いに建つ旅館の先、川沿いのガードレールに緑の札所看板が建っていた。
その向かい側が、十七番札所の
十一番札所と名前が被るが、特に区別を付けるような呼び方は無いような気がする。御本尊は同じ薬師如来で、堂内に金色の十三仏が有るのも同じ。
堂内には御本尊や十三仏を奉納した人たちの名前を書いた額が有る。額縁の地名を見ると、どうも博多の人たちのようだが、関係性はよく分からない。
読経まで終えて、堂前の広場に有る物置のような小屋でセルフ御朱印を捺す。
「今日はここで終わり、かなぁ」
光先輩が手を組んで上げながら身体を伸ばしつつ言った所で、どこからか音楽が流れてきた。十七時を告げる防災無線の音楽だ。
「残り行けるかなぁ、あと
「回るの、大変なんですか?」
「いやぁ、比較的固まってるから、距離的にはそうでもないんだよねぇ」
愛紗は光先輩が南蔵院で言っていた事を思い出した。
「そういえば……高原、有るんですよね」
「あるよー。高原って言っても、標高は猫峠より低いし、距離も猫峠の下から
あの小学校の所か。でも猫峠は樹芸の森辺りからしばらくは楽な道だったし、なにより幽霊だと思った柳先輩から逃げるのに必死だったので、感覚がよく分からない。
でも、短いという事は……。
「距離が無い分、坂がキツいとか?」
「勾配は……まぁ途中までややキツいとか緩いとか混じってるね」
ややキツいって、どれぐらいだ? 田ノ浦阿弥陀堂までの坂ぐらいなら、許容範囲だが。
「次のステージは、中ボスがラスボスクラスの強さだね」
「え?」
ちょっと意味が分からない。雷音寺の参道みたいな感じかな? あれも、今思えば中ボスレベルだったが。
「千鶴寺とか、田ノ浦の坂の感じだと、愛紗ちゃんは多分三、四回は歩きになると思うよ」
「それもう、最強クラスですよね?」
「だからラスボスクラスなんじゃない。でも、勾配だけなら田ノ浦の方が上だと思う」
どんなボスだ。それで三、四回歩き……キツめの勾配が続くのかな?
とりあえず明日だ。
明日、そのボスの姿を見せてもらうよ!
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