第45話 報告通りに登坂訓練を行ったのであった。

 光先輩と愛紗は駅へ戻ってきて、久し振りに自転車移動をする。

 国道二〇一号線に出てきて左へ曲がり西に走るが、乗る時間は短い。国道に出て百メートルぐらいだろうか。

 御食事処の看板の下に有る小さな看板と、お堂の近くに有る大きな看板が目印の、七十一番札所城戸千手観音堂きどせんじゅかんのんどうだ。

 ここは守堂者が営む御食事処の隅にある観音堂。

 大きな看板には『弥谷寺いやだにじ 足手観音』と書かれている。

 弥谷寺は香川の七十一番札所に由来。

 足手観音は、昭和初期に手足が痺れる病にかかった女性が祈願し続けた結果、半年後に回復したという話に基づく。その為か、手や足の形をした祈願木札を納める事が出来る。

 南蔵院の大黒堂の所に有ったのが、この城戸千手観音堂である。

 読経まで終えてセルフ御朱印を捺す。

 次の札所は向かいに有る。

 国道を渡って白塗りだが『釜めし』の文字が見える看板が建つ所から、石段階段を登る。途中にはへんろ道のプレートがあった。ここから六番札所小浦薬師堂へと歩いて抜けられる道がある。足元は枯葉だらけの不安定さで、古いへんろ道で回りたい人以外はあまり使わない。

 へんろ道との分かれ道を右へ進み石段階段を登り切ると、十三番札所の城戸大日堂きどだいにちどうに到着。

 名前は大日堂だが、御本尊は大日如来ではなく十一面観世音菩薩。

 大日堂という名前は徳島の十三番札所大日寺だいにちじ由来だが、昔は大日如来を御本尊とする大日寺が十一面観世音菩薩を本地仏(仏が神の姿を借りる事)とする一宮神社の別当で、どちらも御朱印を書いており、明治の神仏分離の際に大日寺が十一面観世音菩薩を御本尊として札所を引き継いだ事による。

 少し変わった物としては、網救身代わり大師像が祀られている。江戸時代に玄海沖で乗組員の代わりに沈んだ大師像が、明治期に魚網によって救われて帰ってきたという話が残る。

 読経まで終えて、セルフ御朱印を捺した。

 二人は再び国道二〇一号線を西へ進む。

 次の札所は多々良川に架かる大師橋の前後。

 まずは大師橋を渡って左側、横断歩道の所から短い石段階段を登った所が、七十二番札所田ノ浦拝師堂だのうらはいしどうになる。

 名前の由来は香川七十二番札所曼荼羅寺まんだらじの山号、我拝師山がはいしざんらしい。香川七十三番札所出釈迦寺しゅっしゃかじも山号は我拝師山で、どちらも『がばいしざん』と読まれる事も有る。佐賀弁の影響ではない。多分。

 御本尊は曼荼羅寺に勧請した大日如来。

 読経まで終える。

 納経所は横断歩道を渡って向かいの家。玄関前に黒い納経箱が置かれていた。

 セルフ御朱印を捺すと、南蔵院側へ戻って大師橋を渡り、左へ曲がる。

 川沿いを進んで奥まで行くと、七十四番札所城戸薬師堂きどやくしどうに到着。

 広めの境内には小さなお堂が点在し、御本尊の薬師如来は別名病奪やみとり薬師とも。病気平癒に御利益が有ると、古くから信仰を集めてきた。

 読経まで終えて納経箱が有る祈願所へ来ると、木札に人型が描かれた物と、護摩木が置かれていた。木札には全身が描かれ、顔には目、鼻、口、眉と顔のパーツも描いてある。

 そして胴の部分には三つの点。

「光先輩。絵に乳首は必要だったんですか?」

「ほら、どっちかの胸って指定したい時とか、分かりやすいじゃない? 乳首ピンポイントじゃないでしょ、さすがに」

「おへそは……」

「おなかとか、腰とか? ヘソ……ヘソの病気ってあるのかな?」

 有ります。

 これらの木札や護摩木は毎年十月に護摩焚き供養される。

 城戸薬師堂には他にも、中洲のウナギ屋が建てたうなぎ供養塔が有ったりする。

 二人はセルフ御朱印を捺して、国道へと戻ってきた。

「さ、この後はお待ちかねの坂道だよ」

 待ってない。

「多分さぁ、今日イチの坂じゃないかな」

「え? 千鶴寺よりキツいんですか?」

「うーん……アレは短かったけど、今回は二段階式だからね」

 それを聞くと、もう嫌な予感しかしない。

 でも完走はしたい。

 愛紗は両手で頬を叩いて気合いを入れた。

「よしっ」

 逃げずに坂に挑むことにした。

 城戸薬師堂から国道二〇一号線を西へ進む。

 すぐに緩い右カーブが見えるが、その手前に左へ延びる三差路が有り、角にへんろ道のプレートが見える。

 光先輩は左に曲がった。愛紗も続いて曲がる。

 そこに有るのは篠栗線の高架。そして、高架をくぐるような緩い坂道。

 フェイントかなぁと思いつつ高架をくぐって直角に近い左カーブを曲がると、緩い坂道が急勾配へと変わった。

「表から見せないんかい!」

 愛紗は思わず叫んでしまった。しかし文句を言っても坂が緩くなる訳じゃない。

 ギアを変えて坂道を登って行く。

 道は急勾配だが、千鶴寺の坂よりはまだ緩く感じる。

 もう感覚がマヒしてきたのかもしれないが。

 だが、この坂を登っているのは現実。急成長した訳でもって無いだろう。

 そんな坂は短く、すぐに右へ直角に曲がって勾配は少し緩くなりつつ八木山バイパスをくぐる。

 くぐって右カーブを曲がると、道は八木山バイパスと併走。斜め上に見えた八木山バイパスが、やがて下に見えるようになる。

「さぁ、こっからが本番だからね。あたしもキアイ入れないと!」

「え?」

 緩い左カーブを描く道路は、八木山バイパスを離れると急勾配へと突然変わった。

 これが二段階目だ。

「ちょ……これ」

 見た目は、千鶴寺の坂といい勝負。

 いや、それ以上か? 完全に壁にも見える。

 千鶴寺との大きな違いは、終わりが見えない。

 竹林に包まれたその坂道は、どこまでもどこまでも延びているように見える。

「まっ……て……」

 ペダルを踏んでも進まない。

 ただでさえ遅いスピードが、さらに落ちる。体感的にも千鶴寺の坂よりもキツいのではないだろうか。

 クロスバイクが停まりそう……。

 脚が……。

 ――本日二回目。心が折れた。

 足をついた愛紗が先を行く光先輩を見ると、立って漕いでいるのが見えた。それでもそんなに速いようには見えない。

「――うん。私には無理だ。ははっ……」

 開き直れば、落ち込むこともない。

 これはさっき、千鶴寺の坂で悟った。人間、諦めが肝心。

 この坂で再出発なんて、とてもじゃないが無理だろう。

 という事で、愛紗は自転車を押しながら歩いて坂を登る。

 歩きでも、坂は結構キツいと思った。光先輩は、この坂をよく登れるものだ。光先輩はきっと、特殊な訓練を受けているのだろう。

 そんな事を思いながら登った激坂はカーブと竹林で先が見えなかっただけで、思ったよりも短い距離で終わった。

「あー、やっぱアレキツいわぁー」

 坂を登った所に有る携帯基地局の前で休憩している時に、光先輩が言う。

 光先輩がそう言うぐらいだ。相当キツい坂なんだろう。

 いや、まぁキツかったんだけど。

「でも、下を登りきっただけでも愛紗ちゃんスゴいと思うよ。下も結構な坂だもん。アッチは短いけど」

 そうなのか。少しは成長出来てるのかな?

「あとの坂は、そうでもないから」

「坂、まだ有るんですか?」

「あるけど、大したことないよ」

 それならいいのだが、光先輩の『大したことない』は大体大した事ある。

 少し不安だが、休憩終えて出発。

 ここからは下り坂。

 少し進むと、工務店の作業場だか資材置場が有る所を通過する。その先に札所らしき場所が有ったが、光先輩はこれをスルー。少し先のガードレールが直角に置かれて道路が狭くなる所にクロスバイクを停めた。

「ここ、上で繋がってるんだよ。ソッチから入って、アッチから下りてくるの」

 光先輩が指を差しながら説明をする。さっき見た札所らしき場所から入って、少し先の所から出てくるらしい。

 ということで戻って階段を登って左の方へ進むと、五十九番札所の田ノ浦薬師堂だのうらやくしどうに到着。

 ここの大師像は犬を連れている。徳島の犬墓いぬのはか大師堂にその話が残るが、四国を歩いていた大師様が猪に襲われた時に連れていた犬が大師様を守って死んだ為、そこにお墓を作ったという。その話が残る地区も、犬墓いぬのはかという地名になっている。

 読経まで終えてセルフ御朱印を捺すと、隣の札所へ向かう。

 階段の所まで戻ってきて、まっすぐ進む。

 階段を登ると、上の方に大師像とは違うチョンマゲの付いた石像が建っていた。これは開祖の藤木ふじき藤助とうすけ像。慈忍亡き後に篠栗新四国八十八ヶ所霊場を作り上げた六人衆の中心メンバーである。

 この像は数奇の運命をたどっている。

 初代は明治時代に建てられたが、戦時中の金属供出で没収。

 頭だけは保存していたので戦後に二代目の石の胴体と合体させるも、西方沖地震で倒壊。

 三代目は全身石像となって、現在に至る。

 篠栗新四国八十八ヶ所霊場が無ければ、こうやって光先輩と走る事も無かっただろう。造った事に感謝したい。

 さらに進めば、八十番札所田ノ浦観音堂だのうらかんのんどうに到着。

 ここは岩を掘った所に石仏の御本尊を祀っており、穴観音の別名が有る。

 また、境内には信者たちによって納められた何百体もの大師像が祀られたお堂が有る。ほとんどが色の付いた大師坐像で、その姿が眩しく見える。

「光先輩。まさか、祈願の後に大師像持ち帰って、お礼参りの時に一体増やすんじゃ……」

「どこで買ってくるのよ、大師像」

「ですよねー」

 ここは子安観音じゃない。

 二人は読経まで済ませる。納経所は先の住宅に有るらしい。お堂に案内地図が貼ってあった。

 先へ進むことにして、田ノ浦観音堂の階段を下りてきた。先ほどクロスバイクを停めた所より少し先に出てきた。田ノ浦薬師堂付近に停めていたら、大きく戻らないと行けなかっただろう。

 クロスバイクに乗って出発すると、すぐに擬宝珠の付いた黄色の田ノ浦橋が見えてきた。渡ると突き当たりで、道路は左右に延びている。

 田ノ浦観音堂では、納経所は右に曲がった所に有ると案内が出ていた。橋の上には別の札所の案内看板が出ている。

「ここ、札所と納経所が並んでいるから、先に上行くよ」

 そう言いながら光先輩が指さしたのは、左側の方。

 三差路で左右を見れば、右は下り坂で左は上り坂。

 これが本当に今日最後の坂だろうか。

 最後と言いつつ、また現れるような気がしてならない。

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