第43話 せっかくだから、私はこの赤の階段を選ばないぜ!

 郷ノ原薬師堂から歩いて次の札所へ向かう。

 覗き窓よりも手前、稲荷社向かいの橋を渡ると、八十五番札所祖聖大寺そしょうだいじに到着である。

 御本尊の聖観世音菩薩は願掛け観音としても知られ、「します」「しました」等と言い切る形で願いを唱えると、仏様が後押ししてくれるという。

 また不浄を焼き尽くすトイレの仏様、烏枢沙摩うすさま明王像が祀られている等、ポップさ以外の面でも少し珍しいお寺となっている。

 御朱印を墨書でいただき次へ行こうとするが、

「ココも滝があるんだよ」

 と光先輩が言う。

 階段を下りると、五剣の滝が見えてきた。男滝と女滝が有り、上の千鶴寺と同じように滝行が出来る。

「光先輩、滝行しますか?」

 と聞いたが、

「滝行やってたら、時間足りなくなるから」

 と断られた。

 ちょっと残念な気分になりつつ滝を眺めていると、滝の上のガードレールの所に見覚えが有るものが見えた。

「あれ? あそこに覗き窓が」

「この上にハート岩あるからね」

「ハートの出汁を浴びる滝なんですね」

「ダシ言うな」

 滝を見終えて、光先輩と愛紗は愛染堂前の駐車スペースまで戻ってきた。

 次の札所へ向かう。

 坂を下りて白い建物が有る三差路へと戻ってきた。

 左へ曲がると、さっきの五剣の滝が見えてきた。徒歩なら、下からも行けるのだ。

 さらに進んで庭先に石仏が有る民家の先で右カーブを曲がると、片側一車線の大きな道へと出てきた。

 これが八木山峠の道である国道二〇一号線なのだそうだ。左へ曲がって登るとすぐに飯塚市だが、二人は右へ曲がって八木山峠を下っていく。

 峠を下っているという事は、あそこが折り返し地点だったのだろう。このまま下っていくのなら、少しは楽が出来そうだ。

 ぐるっとカーブを曲がって下っていると、カーブの手前で右側に札所だと書いたお寺の白い小さな看板が見えた。

「光先輩、ここじゃないんですかー?」

「そっちはあとー!」

 光先輩は止まらず、さらに峠を下る。

 え、また登ってくるの? この峠道。

 やだなぁと思いながら下る。

 二つ目のヘアピンカーブを回って下っていると、

「そこ入るからぁー!」

 光先輩が右を指差しながら叫んだ。

 その指の先はカーブのすぐ手前。

 そこ?

 前後車を確認し、道路を横断して入り込んだ。

 入ってすぐ右に立つ小さな石柱には『人間道場』の文字がある。

 人間道場ってなんだろう。大きな石仏が目立つが。

 気になりつつ奥へ進むと、板張り壁の小さな建物が見えた。

 壁に札所は奥で有る事を示す矢印が書いてある。周りは車も停められそうな広いスペース。

 二人はクロスバイクを停めて奥へと進む。

 石仏が並ぶなだらかな坂を登ると、七十五番札所の紅葉ヶ滝薬師堂もみじがたきやくしどうに到着となる。

 滝の横に小さな小さなお堂が建つ。ここは元々霊場開設の頃より滝行の場として存在していたが、七十五番札所がここへ移転してきたという経緯を持つ。千鶴寺の千鶴ヶ滝、祖聖大寺の五剣の滝、そしてここ紅葉ヶ滝は同じ川の水となっている。

 二人は読経まで済ませる。

 御朱印はお堂にも書いてあるが、お寺にあると言う。さっき八木山峠を下ってくる時に見たお寺だ。

 また登るのか。勾配はそうでも無かったように思えたが……。

 愛紗は重い足取りでクロスバイクの所まで戻ってきた。

「次はアソコからも行けるけど、どうする?」

 光先輩が指差したのは、人間道場の左側に有る階段。

 愛紗は少し悩んだが、

「階段でお願いします」

 と歩きを選択した。

 自転車で登るどうこうより、他にも何か有るのではないかという期待から、歩きを選択した。

 恐らく、人間道場以外にも何か有るだろう。

 そんな気分で階段を登っていると、見えてきたのは『賽の河原』と書かれた石柱と、その奥にズラリと並ぶ水子地蔵群。

 なんてこった。死んじゃったよ。

 冥土だよ。

 いや、まだ三途の川渡ってないからセーフかな?

 もし渡るとしたら、六文はどうやって払えばいいんだろう。

 文なんて現金で払えないから、電子決済?

 などとどうでもいい事を考えながら進んでいると、今度は厄落坂が見えてきた。右側が男の四十三段、左側が女の三十三段。階段の幅を変える事で、中央の手すりを境に左右の段数を変えている。

 迷わず階段の左側を登って行くと、三十四番札所の宝山寺ほうざんじに到着。

 宝山寺の始まりは、八木山峠で山賊に襲われた人を弔う為に建てられた物だという。山賊自体は黒田藩が周辺の開拓と治安を行い、数を減らしたとの話。

 読経まで済ませて御朱印を紅葉ヶ滝薬師堂分と合わせて二体いただき、終了。

 また階段を下りて戻ってきたら出発。

 八木山峠を下るだけ。実に楽だ。

 いくつかカーブを曲がって西鉄バスの転回場を過ぎると、朝の筑前山手駅前以来の、久々な信号機が見えてきた。

「ソコ、手前を左ねー」

 光先輩が言う。

 手前? と思ったら、信号前の橋よりも手前に有るバス停の所で、光先輩が左に曲がった。このバス停、そばに転回場も有るのに、バスは平日の朝に一本しか来ない。

 先に曲がった光先輩に、愛紗も続く。

 そして着いたのが、八十一番札所の二瀬川観音堂ふたせがわかんのんどう

 数人入ればいっぱいになる階段の上の小さなお堂は、もう少し山の上に有ったお堂が老朽化し、お参りしやすいようにと移転して建て直したもの。アクセス性向上を考えて移転するというのは他の札所でも行っており、珍しい事ではない。

 この二瀬川という名前は前を流れる川の名前で、すぐ下流で千鶴ヶ滝、五剣の滝、紅葉ヶ滝と流れてきた郷ノ原川と合流して多々良川となる。

 お堂に納経は下の店と書いてある。

 店?

 と思ったら、角に建っていた建物だった。看板も何も無いが、バス停近くの壁に納経所のプレートが貼ってあるので間違いない。

 セルフ御朱印を捺して出てくる。

「さて、今日のメインディッシュです」

 いや……一ノ滝寺から展望台の坂や千鶴寺の坂も凄かったけど、それ以上なのだろうか……。

 だが、今日は比較的平坦や下りが多い。脚も万全だ。

 挑んでやる!

 そう気合いを入れて光先輩の後についていく。

 光先輩が進むのは、さっき下ってきた道ではなく、どうみても山が有る方。元の道から左に曲がった形だ。

 二瀬川観音堂を出てすぐに道路情報の電光掲示板や、規制された時の通行止ゲートが有った。

 もうこの先は山じゃないですか! 完全に。

 猫峠でも見たよ、これ。遠くに八木山バイパスの高架も見えるし。

 と思っていたら、少し登った所で道路を渡って、二瀬川に架かる橋の方へと進んだ。橋の所には子安観音という看板が建っている。

 山じゃないのか。

 良かった――と思ったのは、大きな間違い。緩い坂と急な坂が交代で現れる完全な山道。民家なんて見えない。路面も荒れていて、良好とは言えない。朝の展望台までの坂の道路が、まだ良かったとさえ思える。

 でも、千鶴寺の坂に比べたら、まだ登れる。

 神峯寺の方の金出観音堂の駐車場への坂といい、キツめの坂を登らせてややキツい坂が楽と思わせる作戦なのだろうか。

 いや、八十八ヶ所が出来たのが江戸時代なら、自転車で登る事は考慮してないな。

 この道がいつ出来たかは知らんけど。

 八木山バイパスの高架をくぐってさらに登って行くと、三差路に到着した。光先輩は子安観音の案内が有る方向へ曲がる。

 少し登ると、古ぼけた赤い手すりの鉄階段が見えた。これがずっと案内の出ていた子安観音への階段らしい。

 光先輩の話だと堂内には赤ちゃんの人形が大量にあり、子宝祈願・安産祈願の時に一体持ち帰って、お礼参りの時は新しい人形と合わせて二体返すという決まりだそうだ。

 安産祈願にはまだ早いが、どんな雰囲気なのか見てみたい。

 だが、あの階段を見る限り脚に追いダメージが来る事は確実っぽい。木々に吸い込まれる階段の終わりが見えなかった。この階段は天まで続いているに違いない。

 徒歩巡拝の人たちはここを通ってショートカットをするそうだが、乗り物組は歩いて登っても乗り物へと戻らないといけない。通りすがりにと簡単には寄れない。利便性と引き替えになる。

 とりあえず子安観音の事を考えずに、ひたすら登り続ける事にした。

 やがて竹林を抜けて青空がよく見えるようになる。突き抜ける青さが眩しい。

 そこからもう少し登ると、二十二番札所の桐ノ木谷薬師堂きりのきだにやくしどうへ到着だ。

 横の駐車スペースに有る木陰で二人、一旦休む。

「愛紗ちゃん、よく登り切れたと思うよ」

「ありがとうございます。結構登ってきた感覚が有るんですけど」

「まぁ、標高で言えば祖聖大寺とあんま変わんないからね」

 つまり、祖聖大寺から楽々と下ってきた高さを、再び登った訳である。

「もうちょっとバランスなんとかならないんですか?」

「八十八ヶ所回るのって、あるイミ修行だからね。各札所に修行大師像あるでしょ?」

 言われてみれば、銅像あるな。

「でも、今日の登りは次の札所でラスト、だと思う。そんな距離ないけど」

 それを聞いたら、頑張れそうな気がした。

 休憩を終えて、お堂へ向かう。

 お堂は石垣の上に建つ。元々別の場所に有ったが、林を切り開いて石垣を造り、お堂が移転してきた経緯を持つ。今でも綺麗に手入れされていて、参拝者を待っている。

「よっしゃー! ラストだーっ!」

 セルフ御朱印を捺して戻ってきた愛紗は、気合いを入れて坂を登り始めた。と言っても、この辺の坂はゆるゆる。もはやウイニングラン状態。後ろから光先輩がついてくる。

 すぐに分かれ道が見えた。間の建物の前には、子安観音の小さな案内板が建っていた。

 あの赤い階段、ここまで有ったのか。恐ろしいな……。

 と思いつつまっすぐ進むと、

「そっち、畑と老人ホームしかないよ」

 と光先輩に言われた。

 慌てて反転してから分かれ道まで戻ると、さっきは気付かなかったが、子安観音案内板の前にへんろ道の石柱が建っていた。

 まさか子安観音が札所?

 分かれ道を右に進むと、五十五番札所の桐ノ木谷大日堂きりのきだにだいにちどうに到着。

 子安観音では無かった。

 御本尊は札所唯一の大通智勝如来だいつうちしょうにょらいになる。御釈迦様の師にあたる仏様だ。

 各札所には御本尊と御本尊真言が書かれたプレートや額が有る。この札所では、木目調の新しいプレートと、古い額入りの墨書で御本尊真言が違う。どちらを唱えるかは、人によって変わるだろう。

 セルフ御朱印を捺して堂を出ると、目の前に白い手すりの下り階段が有った。この階段を下りると、子安観音へ行けるようだ。


 上から見ても急な階段――愛紗は次の札所へ行くことにした。

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