第42話 ふくろう君のハッピーげきざか

 光先輩と愛紗は、走ってきた道路を更に東へ進む。

 道路は変わらず側溝と谷に挟まれている林道。左右は相変わらず樹木が林立。カーブは多いが、アップダウンが少ないので走りやすいし、ガードレールが少ないのも気にならない。

 今日は最初がキツかったが、その後は楽で涼しい道が続く。初日の方がキツかったのを考えると、最初に部長がついてきたのも、今なら分かる。

 大久保薬師堂を出てから、どれぐらい走っただろうか。久々に建物が見えてきた。白い建物がいくつか建っている。

「もうすぐ曲がるよー!」

 右側に真っ白な家では無いなんかの建物や、白いお堂のような建物が並ぶ。使われているかどうか分からない建物群の所に三差路が有り、先を行く光先輩が左へと曲がる。

 愛紗も続いて曲がると、すぐ左側に白くて大きなお寺の看板と、小さくて手作り感の溢れたお寺の看板が見えた。反対側から来た人には、この入口の看板が見える仕様だ。二人のように来た場合は案内看板も見えず、建物群が有る辺りで曲がると思いながら走らないといけない。

 今建っていた二つの案内看板通りなら、この先に二つお寺が有るはずだ。

 そしてその看板の先からは、久々の坂道。すぐに右カーブを描いて登って行く。

 懐かしい感覚だ。これはまだ、そこまでキツイ坂道でもない。

 これぐらいなら……と坂道を登っていると、右に延びる分かれ道が現れた。三差路のガードレールの所には、手作り感の有る案内看板が右折を促している。

 しかし光先輩はスルーしてまっすぐ進む。どうやら、ここがキツイ方とキツくない方の分かれ道らしい。手作り看板の方は楽な方。まっすぐ行く方がキツイのだろう。

 もう一つ建つ看板を信じれば、まっすぐも距離はそんなに無いはず。看板には三〇〇メートルと書いてあったじゃあないか――と思って、何度裏切られた事か。

 もう距離は信じない。

 分かれ道からまっすぐ進むと、坂道の勾配が増したような気がした。初日の猫峠を思い出す感覚。だが登れない訳ではない。

 ――もう坂道に慣れてきたのかな?

 そう思いながら登っていると、千万両を咥えたフクロウ像が見えてきた。横には、札所で有る事を示す石柱が建っている。

「到着ですか?」

「もうちょっとぉ! 左曲がったら坂ぁ!」

 いや、すでに坂じゃないか。光先輩は何を言っているんだ。

 しかしそこから左側へ延びている坂道は、今まで見た事のない急な勾配の坂。

 いや、坂と言うより壁じゃないの? これ。

 先を行く光先輩なんて、立って漕いでる。

 そのレベルなのか……。とりあえずリアのギアを2まで落として備えるが、ペダルが急激に重くなった。

「す……進まぬ……」

 今まで経験した事の無い勾配。ペダルが重すぎて速度が落ちる。

 このままでは止まってしまう。最終兵器の1へ落とすか一瞬悩む。

 いや、光先輩のマネだ!

 愛紗も立ちあがってペダルを踏んだ。

 しかし、立って踏むにはギアが軽すぎた。

 力が逃げてうまく漕げず、愛紗のクロスバイクは完全に失速して停止してしまった。

「もうダメだぁ!」

 コケてしまう前にと、愛紗は左足のクリートを外して地面に足をついた。

 右のクリートも外して自転車を降りる。

 うなだれながらも自転車を押し、歩いて坂を登り切った。

「……大丈夫?」

 光先輩が声をかけてきたが、あまり耳に入ってこない。

「――坂に……負けるなんて……」

 愛紗は膝から崩れ落ちた。

 坂で足をついたのは初めて。

 初めての敗北だった。

「愛紗ちゃん!」

 先に登って待っていた光先輩が自転車を停めて駆け寄った。愛紗のクロスバイクのキックスタンドを立てて、愛紗の身体を支える。

「もう……坂は無理です……」

 完全に心が折れた。

 愛紗の目はうつろ。

 心ここにあらず。

 反応も薄い。

「あぁ……」

 どうしようと思った所で、光先輩は少し前の出来事を思い出した。

「愛紗ちゃん、元気水。飲んで」

 さっき大久保薬師堂で買った小瓶の事だ。

 光先輩はリュックサックのサイドポケットに突っ込んでいた元気水を抜き、フタを開けて愛紗に飲ませた。

 元気水が愛紗の喉を通って潤す。

「――うっ……元気出ました……」

「はやっ! 早いな、おぉい。いくらなんでも即効性高すぎるよ!」

 揺らいだ愛紗の気持ちも、水を飲んだ事で落ち着いた。

 光先輩ですら普通に登れないんだ。乗り始めたばかりの自分が登れる訳がない。

 そう冷静に考えると、心がスッキリした。

「ま、坂で足をついて負けたと思うようになったら、もう一人前の自転車乗りだよ」

 光先輩は笑顔で言うが、嬉しいのか嬉しくないのか、微妙な気分だ。

 基準はそこなのか? もうちょっと、なんか有るだろう。

 愛紗は激坂から折り返して寺へと続く道を見た。下の激坂が嘘のような激ゆる坂。

 いくらなんでも、落差が激しすぎる。

「もうちょっと……バランスとか、どうにかならなかったんですか?」

「あたしに言われても困るんだけど。大体、二輪で回る人少ないんだし」

 四国八十八ヶ所でも大部分は車(普通車やタクシーやバス)と徒歩に分かれる。自転車・バイク等の二輪は少数派だ。

「まぁ、でも坂好きの人って大体ドMだから、坂がキツい方が悦ぶよ」

「光先輩もMなんですか?」

「あたしはぁ……エ――って、ナニ言わせようとしてんの」

 光先輩は口を尖らせた。

 結局どっちなんだろう。

 愛紗は心が一旦折れてしまったが、脚はまだまだ動く。

 立ち直った愛紗と結局どっちか分からない光先輩は、残りの坂を登って駐車場に着く。

 阿形と吽形の仁王象が待ち構えている、十二番札所千鶴寺せんかくじに到着である。

 お寺の名前の由来は、奥に有る千鶴ヶ滝ちづるがたき。この滝は黒田藩の三宅千鶴みやけちづるが修行をした場で、三宅千鶴の名前から滝がそう呼ばれるようになっていた。現代では剣の修行は出来ないが、滝行は出来る。

 もっと特徴的なのは、大量のフクロウ。ふくろう寺とも呼ばれ、境内には至る所にフクロウの像や置物が有る。

 滝やフクロウを楽しんでから、本堂で読経まで済ませて墨書で御朱印をいただく。

 次の札所は、先ほど手作り看板が有った所。坂を下りて左に曲がると、謎の物が目に飛び込んできた。

「なんですか、これ」

 手作りな木で出来た謎の枠。上の所には『ハート岩覗き窓』と書かれている。

 怪しい……。

「ああ、ソレ覗き窓」

「いや、それは分かってて、存在がよく分からないんですけど」

「ノゾいてみたら分かるよ」

 窓(というか枠)から覗いてみると、下に川が見えた。その川に有る岩がハートっぽい形に見えなくもない。

「これ……なんでこんな形で覗くんですか?」

「そっちの方が楽しいからじゃない?」

 普通に覗くよりはワクワク感あるけど。

 更に進むと、愛紗は妙な物を見つけた。

「なんですか……これ」

 目に飛び込んできたのは、赤と白のお堂らしき建物。窓はハート型で、愛と書かれている。

 派手だし、怪しい……。

「なんですか、これ」

 愛紗は思わず二度も言ってしまった。

 お堂にしてはポップすぎる。でもここはお寺の境内――のはず。

 なんなんだ、これは。

「これね、愛染明王あいぜんみょうおう様が祀られた愛染堂あいぜんどうだよ」

 愛染明王は、縁結びや良縁成就に御利益のある仏様。だから愛に溢れている。

 はす向かいの駐車スペースにクロスバイクを停めて行ってみると、中は紅白にピンクも混じって愛が溢れていた。派手すぎる色使いに、ここだけ東南アジアのようだ。向こうは寺院も仏像も派手だという。

 愛染明王には赤い糸が繋がっている。

 そして縁結びや恋の御守り、ハート型の絵馬、恋みくじが並び、堂内の木魚までハート型。

 徹底している。

「――あの、まさかここが札所じゃ……」

「札所のお寺だけど、ここは本堂じゃないよ。本堂はちゃんとして――いや、お寺さんもふざけてやってるワケじゃあないけどね」

 良かったような残念なような。

「本堂はどこですか?」

「ソコ、後で行く。まだ先に札所のお堂が二つあるから」

 そのまま愛染堂の前の道を奥へ歩いて進み、右手に見えるのが五番札所郷ノ原地蔵堂ごうのはるじぞうどう

 お堂の前が広いせいか、大きなお堂にも見える。お堂は平成初期に焼失して建て直しており、大きな破風と小さな破風の二重破風が特徴的。

 また、お堂前広場はちょっとした展望台にようになっており、篠栗の山々の緑が眩しく見える。

 読経まで済ませて、隣に建つ小屋の所にある納経所でセルフ御朱印を捺す。

 郷ノ原地蔵堂から愛染堂の方へ歩いてくると『第五十番』と書かれた建物が見えた。

 これが五十番札所の郷ノ原薬師堂ごうのはるやくしどう

 郷ノ原地蔵堂がやや広かったせいか、こぢんまりとした印象を与える。

「どうする?」

 セルフ御朱印を捺してお堂から出てきた所で、光先輩が言う。

 今居る郷ノ原薬師堂は、自転車を停めた駐車スペースとお寺の中間地点だそうだ。このまま歩いて行くか、一度自転車を取りに行ってお寺の前で停めるか。

 少し悩んだが、このまま歩いて行く事にした。後で取りに行っても、そう大した距離ではない。

 あの覗き窓や愛染堂を建てたお寺はどんなお寺なのか。それが気になっている。

 光先輩と愛紗は、次の札所へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る