第41話 瀧が如く

 篠栗八十八ヶ所霊場巡拝二日目の朝がやってきた。

 初日は篠栗町までの移動も有って朝は早かったが、今日からは町内の移動だけで済む。

 少しゆったりと出発して、昨日まで進んだ所へと戻る。

 国道二〇一号線を筑前山手駅から左へ曲がり、坂を登っていく。

 昨日行った秀善寺や、近くに有る旅館への坂の前を通り過ぎても、急とも言えない坂が続く。これぐらいの坂なら、続いても構わない。

 川沿いの道は、途中に古い家やお堂が建っていた。風景を楽しめる程度の坂。これなら楽しい。

 更に登って行くと、右前方に車でも楽に渡れそうな橋が見えてきた。

 しかし光先輩は、この橋をスルー。

 少し登って左側に入る。

「着いた!」

 光先輩がそう言うが、着いたのは未舗装の広場。奧には『公衆便所』と書かれた建物が建っている。札所感はまったく無い。

 このパターンは何度か経験してきた。

「――ここから歩きですか?」

「正解!」

 今日一発目から歩きですか。

 二人は駐車場に自転車を停めて、歩き始める。狭い坂道は勾配があまり変わらないように見えるが、自転車で登るのと歩きで登るのは全然違う。歩きの方がキツく感じる。

 秀善寺を昨日行っておいて良かったと、心から実感した。

 坂の途中には簡易的に作って仏像を祀っているお堂らしき物や、木造の小さな拝殿の神社も有った。自然も溢れていて、飽きる事は無い。

 やがて橋が見えてきて、橋の向こうに立派な本堂が見える。

 この橋を渡れば、四十番札所一ノ滝寺いちのたきじに到着である。

 山間に建つこのお寺は文字通り滝が有り、滝行が出来るレベルの物。男滝と女滝が有り、この水が先ほど道の横を流れていた川へと通ずる。他にも個性的な五百羅漢像、カラフル毘沙門像等、見所は多い。

 本堂で読経まで済ませ、御朱印をいただいて本日の巡拝は無事スタートが切られた。

 登ってきた坂道を下りて、光先輩と愛紗は駐車場まで戻ってきた。

「ここの上って、一ノ滝寺だけですか?」

「そうだよ。下に橋があったでしょ? アレ渡るの」

 そして展望台の方へ。

 展望台なんて、低い場所にはない。どう考えても、あの橋の向こうは登り坂だ。

 なんて、ここで怖じ気付いていても先へは進めない。

 覚悟を決めて橋を渡った。

「ひいいぃ……」

 さっきのお寺までの坂はまだ一般人も通る事を考慮していたと思える、林道の勾配がやってきた。

 不幸中の幸いは、左の山側も右側の林側も、木々が生い茂って日差しが和らげられている事。これで日差しをマトモに浴びていたら、激暑どころではない。

 やがて右側の林は谷へと変わる。木々が有るのは変わりないが、落ちたら終わるかもしれない。

 ガードレール? たまにしか現れない。

 落ちるなという事だ。

 左側通行なので、谷が道路の反対側なのがまだ救い。ただ、左側は左側で蓋の無い側溝が設置してある。こっちに落ちても終わるだろう。

 側溝に落ちないように、ハンドルコントロールをしながら坂を登って行く。

 小さなカーブが続いて谷側の木が少なくなると、前方に小屋みたいな建物が見えた。

 建物が近付いてくると、壁には男や女のトイレピクトグラムが見えた。

「おめでとう! 第一関門の展望台に到着だよ」

 ここは峯尾みねお展望台。この奥に展望台が有る。木々に囲まれており、篠栗の町の方しか見えない。展望台というより、休憩所のような存在だ。

 このトイレを過ぎると、再び左右は木々に覆われて下り坂に変わる。

 が、相変わらず蓋の無い側溝とガードレールがたまにしか現れない谷は続く。スピードが出ない登りの方がよっぽどマシとすら思える。

 だが、この下りは短い。右側が開けて建物が遠くに見えると、登り坂に戻る。しかし、勾配はキツくないし、登りも短い。

 登りが終わるかなという頃に、右側にトタンのお堂が見えてきた。

「ここですか?」

「ソレ、札所じゃないよ」

 札所じゃない野良お堂か。着いたと思ったのに。

 お堂を過ぎて左カーブを曲がると、今度は右側に竹林に飲み込まれそうな朽ちたトタンの小屋。その向かい側、左側にブロック塀の建つ住宅が見えた。その住宅の入口と思われる場所に納経所のプレートが付いている。

「え? 住宅が納経所ですか?」

「そだよ。札所は、この家の右側」

 ブロック塀が途切れる所で停まると、ちょっとした坂と階段が見える。その上に建物らしきものが見えた。

「これかぁ!」

 自転車を停めて坂と階段を登ると正面に見えるのが、六番札所の小浦薬師堂こうらやくしどう。下から見えていたのは、違う建物だった。休憩所のような感じだが、使っている気配は無い。

 竹林に囲まれたこの札所は、長年この地に存在しており、お堂も小さいながら年季の入った造りになっている。

 読経して、階段と坂を下りてくる。隣の家の入口に立った。

「お邪魔しまーす」

 入ってすぐ左の所に黒い納経箱が置かれていた。セルフ御朱印を捺す。

「次までは休憩ゾーンだから、しっかり脚を休めておいてね」

 出発前に、光先輩が不安にさせるような事を言う。

 いやぁ……考えすぎだろうか。でも脚を休められるなら、休めておきたい。先に何が有るか分からない。

 小浦薬師堂を出発すると相変わらず左に側溝、右に谷と竹林という道路。カーブが続く様になると、竹林から普通の林に変わる。カーブは多いものの、アップダウンが少なくて走りやすい――アスファルトのひび割れさえ気にしなければ。

 今日走っていて、民家とかはほぼ見かけない。この道路を通るのは周辺住民か八十八ヶ所を回っている人ぐらいで、頻繁になにか通るわけでは無い。アスファルトを剥いで舗装し直すにしても、通行止にしないといけないだろう。綺麗な道路を維持してくれというのも、大変な場所である。

 やがて、右側の木々が谷の下へ移って視界が開けてきた。周囲は山しか見えない。南蔵院が立体的な境内なのを考えると、この周辺は平地がほぼないのかもしれない。

 ――今後、この山々を進むのかな。

 少し不安になると、前方にお堂の後ろ姿のような板張りの壁が見えてきた。

「自転車は、もうちょい先で停めるね」

 これが次の札所のようだ。

 その先にあるカーブ手前のちょっと広がった場所に自転車を停めた。

 振り返ると、五十八番札所の大久保観音堂おおくぼかんのんどうが目に飛び込んできた。

 入母屋造いりもやづくりの屋根に、向拝の唐破風からはふ。破風が縦に並んで見える。

 破風と破風でハフハフ。

 献灯献香を終えて中に入る。大正時代に今の御本尊を作ったのか、寄付者の名前が書かれた巨大な額が掲げられ、額縁には『大正拾五年 拾いち月吉日』の文字が書かれている。

 読経まで終えて堂内を見回すが、黒い納経箱が見当たらない。

「あ、納経箱ははす向かいにあるよ」

 堂を出て道路挟んだ向かいを見ると、家が建っている。その左端に古い木材を使った納経所が作られていた。

「この辺の家の人って、自分に納経所作りがちなんですか?」

「この辺じゃなくても自宅に納経所作ってるトコあるよ」

 手作り感溢れた納経所に行って、セルフ御朱印を捺す。

「次は、このまま歩いて行く」

「近いんですか?」

「いやぁ……自転車でも停めにくいのよ」

 徒歩で次の札所へ行くのは、珠林寺から金出観音堂で体験しているので、それは別に問題無い。

 納経所を出発して左カーブを曲がると、その理由が分かった。

 次のカーブの所に、二軒の家が建っている。その敷地に入るようにコンクリート舗装が道路から続いているが、その家の間の奥に赤い手すりの付いた階段が見える。その階段の上にはお堂らしきもの。入口の左端には、札所が有る事を示す石柱が建っていた。

 これは完全に他人の敷地だ! ここに駐車場が用意してるとかであればまだいいが、いくら札所でいくら自転車でも、これは停めにくい。

 しかし、前と同じようにまた階段か。

 でも、今回は高さがそこまで無い。家の二階と三階の間ぐらいだ。これなら平気だ。

 階段を登り切ると、八十八番札所の大久保薬師堂おおくぼやくしどうに到着。

 八十八番札所ではあるが、ここが最終というわけでもない。篠栗の札所は地区を越えた移動をする事も有る。なので三十三番札所が打ち始め、七十九番札所を打ち納めとしている。途中のルートは案内によって変わり、いくつかパターンが有る。今回の右回りルートは、車の人が主に使うルートだ。

 大久保薬師堂は大きく張り出した屋根が特徴的で、小さなお堂だが大きく見える。

 堂内で読経まで終えて見回すが、また納経箱が見当たらない。

「納経箱、外だよ」

 と、普通ならここで出て行く所だが、堂内には他のお堂と違って色んな物があった。

「これは……」

 愛紗が最初に見たのは、薬師水という小瓶。

「それ、下で飲める元気水だよ」

 大久保薬師堂へ続く階段の横に、薬師如来の元気水というものがある。パワーアップ出来るというありがたいお水だ。階段下だと蛇口だが、これなら持ち運べる。

 何か起きた時の為に、愛紗は薬師水を買った。

「あ、おみくじが有る!」

 次に見つけたのはおみくじ。お寺ならまだ分かるが、お堂では珍しい。

 引いてみると結果は――小吉。

「…………うん」

 微妙な気分になりつつ、外でセルフ御朱印を捺して階段を下りた。

「次、最初にキツイ方と、最初にラクな方、どっちがいい?」

 大久保観音堂の駐車スペースに戻ってきた所で、何回か聞いた質問が光先輩から出てきた。

 またか、と思う。

 どちらを選んでも、ロクな結果にならない。それは経験済み。

 今日は坂もまだ少なく、疲れもない。

「キツイ方でお願いします」

 さて、どうなるのやら。

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