第40話 姉待つ将棋塾

 固まって見つめ合う男の子と愛紗。

 この男の子、光先輩の家にいるって事は、家族だろうな。

 全く無関係の人がいたら、それはそれで問題だろう。

 おねーちゃんと言ってたから、弟かな? もしくは、近所の子。

 確かめないと、分からない。

「あの……光先輩の弟さん?」

「え? ねーちゃんの部の関係の人?」

 と聞いた所で、

「ショウ!」

 遠くの方から光先輩の声が聞こえてきた。

「あんた、今日後輩が泊まりに来るって言ってたでしょ!」

 その強めの声は、強めの足音とともに段々近付いてくる。

「ったく……」

 姿が見えた光先輩は白地の生地に紺で花が描かれた浴衣姿だった。いつもは見せない色っぽさに、少しドキッとしてしまった。

「――って、愛紗ちゃんは愛紗ちゃんで、なにウチの弟を女豹ポーズで誘ってんの」

 四つん這いで移動していた途中の愛紗は、意図せずに女豹ポーズとなっていた。

「いや、違うんですぅ!」

 愛紗は慌てて姿勢を正して正座をした。正座をするつもりも無かったが、ついこうなってしまった。

「ごめんね、愛紗ちゃん。ビックリしたでしょ? コイツ、弟のしょう。星と書いてショウね」

 星と書いてしょう……明星みょうじょうとか有るから、しょうと読めない事も無い。でも初見でそう読む人は少ないだろう。

 この一家の名前の読みは、一癖有る。

「ショウ、どうせ将棋でしょ?」

「うん」

 星くんは大きく頷いた。素直な子だな。

 てか、将棋? そういや、その将棋台を見ようとしていたんだった。

「将棋って、あれですか?」

 愛紗は部屋の隅に有った将棋盤を指差しながら聞いた。

「そ。あたしはおジイちゃんに将棋教え込まれたんだけど、ショウもそれを見て始めてね。中学校じゃ将棋部に入ってるってさ」

 星くん、中学生だったのか。あの素直さ、小学生かと思った。

「今、四国おへんろに行ってるおジイちゃんは強すぎるから、ショウは少しでも勝てそうなあたしんトコくるんだけど」

 光先輩、将棋もお寺もおじいちゃんの影響だな、絶対。和な感じもおじいちゃんの影響なのだろうか。

「今日は愛紗ちゃんいるから……」

「いいですよ」

 二人の対局、見てみたい。というより、光先輩が将棋部に勝ったとの噂が本当だったか確かめたい。

「やったぁー!」

 星は喜んでいる。ほんと素直。

 光先輩は将棋盤を持ってきて、二人で対局の準備を進めた。

 準備が終わると、盤を挟んで光先輩と星くんが座る。

「いいよ。ショウが先手で」

 確率的には、先手の方が後手より勝率が高いらしい。光先輩は先手を弟にゆずった。

「今日こそ勝つからね!」

「やれるもんなら、やってみてよ」

 二人の対局が進む。駒の音が、部屋に響いていた。

 その対局を見ている愛紗は、将棋の事はよく分からない。知っているのは、せいぜい駒の動かし方ぐらいだ。優勢か劣勢かは、雰囲気で感じ取るしかない。

 冷静に手を考える星くんと、体を動かしながら考える光先輩。対極的な二人の対局は、静かに進んでいた。

 見た感じだと、星くんが攻めていて、光先輩は守りを固めているようにも見える。

 やがて星くんが光先輩の守りに攻めあぐねていると、少しずつ星くんの陣地が侵食され始めていた。

 気が付けば、星くんの玉将は逃げ場を失っている。

「王手」

 星くんはしばらく考えたが、がっくりとうなだれ、

「くっ……負けました」

 と、声を震わせて一言。

 投了。

「ふふん。まだまだだねぇ」

 光先輩は誇らしげ。

 最初の一言から考えると、星くんは光先輩に勝った事は無いのだろう。光先輩に勝率の高い先手を譲られても。

「また……ねーちゃんに勝てなかったよ」

 星くんは小声。明らかに落ち込んでいる。

「でも、星くん凄かったよ。私は将棋分からないけど、星くんカッコ良く見えた」

「ほんとですか?」

 星くんは一瞬で声が明るくなった。素直すぎる。

「あんなに将棋やれるなんて凄いよ! 王将はあんなにも動かす物だったなんて!」

「いや、それ普通。居玉いぎょくで進めるシステムとか速攻戦も有るけどさ」

 照れている星くんに代わって、光先輩が言った。

 居玉は王将・玉将を最初の位置から動かさない事。初心者はまずこれを避けようと教わる事が多い。

「いつか光先輩に勝てるぐらい強くなれたらいいね」

「は、はい。そうですね。ねーちゃんは大きな壁です。いつか越えたいです」

 愛紗がそう言うと、星くんは照れて顔を真っ赤にしていた。

 大きな壁か……私の大きな壁は、坂だな。でも、今日は比較的登れた気がする。壁を越えられてる……のかなぁ。

「あたし倒しても、おジイちゃんいるけどね」

 光先輩のお爺さんは将棋が強いらしく、光先輩でもあまり勝てないという。光先輩が将棋強いのは、お爺さんに鍛えられたせいだろう。光先輩がお爺さんに鍛えられたように、星くんも光先輩に鍛えられるのだ。

「受の上手いおねーちゃんを、いつか崩したいです」

 受ってなんだろう。多分攻の反対なんだろうなぁ。守りが上手いって事かな?

「でも、ボクも受を学んだ方がいいのかなぁ? ねーちゃんみたいに受が出来るように」

「あたしはおジイちゃんの攻将棋に対抗していたら受将棋になっただけだからね。あたしはこのスタイルが好きだし、自分の好きなスタイルでやればいいんじゃない? 自転車と一緒だよ」

 光先輩は去年、山さんとよくヒルクライムをしていたという。今は好きな山ではなく、好きな場所へ行くようになった。それが好きなスタイルだからだそうだ。光先輩にとっては、将棋も自転車も変わらない。好きなスタイルでやっているだけだ。

 光先輩の成績がアレなのは、好きじゃないスタイルだからだろう。

「ま、受将棋になっても、攻も出来ないと勝てないけどね」

「そっかぁ……。ねーちゃん、どんな攻も受ちゃうからなぁ。極めようと思うと大変だし」

「どんなボケも受けてつっこむ、光先輩らしい戦い方ですね」

「なんかソレ、ほめられてる気がしないんだけど」

 それから将棋盤を片付けて夕食。

 この場で光先輩の両親を見て思った事は、光先輩は父親似で星くんは母親似。

 性格もなんとなく似ているような気がする。

 夕食後は明日の準備。

 持ち歩くのに邪魔な物は、光先輩の家に置いて行く。と言ってもかさばっていたのは衣類系で、これらをリュックサックから取り出すと随分印象が変わった。パンパンでは無くなっただけで、軽くなった気分がする。

 明日は初日ほどではないが朝早め。光先輩の部屋に布団を並べて寝っ転がる。

 折角の機会なので、愛紗は普段聞けないような事を聞いてみようと思った。

「光先輩って、去年は山さんとヒルクライムしてたんですよね?」

「そだよー」

「なんでスタイルが変わったんですか?」

「んー……山さんが引退した後さぁ、一人で山登ってても違和感を感じたんだよね。キツい山を登って山頂や展望台から見る景色は最高なんだけどさ。でも、ユリと一緒に走った時に『ああ、自転車ってこういう楽しみ方もあるんだ』って知ってね。それから、行きたい場所へ走るスタイルに変えたんだ。神社とかお寺回ったり、直方まで成金饅頭買いに行ったりね」

 成金饅頭は直方の銘菓で、どら焼きのような皮でうずら豆の白あんを包んでいる。元々は値上がりを期待して豆を大量に買い付けた人が暴落で困って作り始めた物が始まりで、たっぷりの餡が特徴。炭鉱が栄えていた頃に贈答用がどんどん巨大化。今でも祝いや仏事に巨大成金饅頭を贈るという。皮にはねじり梅の焼き印が押されているが、これは成金饅頭を始めた人の所の家紋に由来している。

 それにしても、光先輩は金と付いていればなんでもいいのだろうか。なぜ金が好きなのか。それは聞いてもいいのだろうか。

 怖いから聞かないけど。

「一生懸命走るスタイルも嫌いじゃないけど、もっとヨユウ持って走った方が自然も感じられるし、楽しいじゃない? 人間、大事なのはヨユウだよ」

 深いな。走るのに一生懸命だった気がする。もっと余裕を持って走られるようになろう。

「明日は、どういう所を走るんですか?」

「んー、最初は坂を登って行くねぇ。アレの続きだから。そっから展望台の方に行って、上の方を回ってから折り返して峠を下りる」

 展望台……嫌な予感しかしない。でも、聞くと最初がキツくて、その後は峠を下りるって流れなら、展望台まで行ければなんとかなりそうだ。

 いや、峠を下りるって、相当登るの?

「そっから篠栗線のトンネル越えて、下りてきて南蔵院、かな? 明日南蔵院の先まで行けると、三日目がラクになる」

 ん? トンネル越える? 二回登るの? それか、峠の途中でトンネル越えるのか?

 明日もどうなるか分からないが、ハードそうな感じがする。早めに眠って体力を回復させよう。


 そのころ、隣にある星の部屋。

 星は机に向かっていた。

「――あの人、愛紗さんって言うのか……」

 顔を赤らめていた。

 うーん思春期。

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