第36話 巴里は見えているか
休憩を終えて、三人は雷音寺の駐車スペースまで戻ってきた。
脚は全回復とまではいかないが、もう少しなら行けそうな気がする。峠が終われば、後は下りしか無いはず。ここから猫峠まで戻る道も、下りじゃないか。
「こっからの下りは、近いけど人が通るコトしか想定していない遍路道と、さっきの車も通るコトも想定している道があるけど、どっちがいい?」
「広い方でお願いします」
即答。
下りならまぁ、大丈夫だろう。道の長さも分かっている。人が通る事しか想定していないとか、絶対狭い。近いと言っても、距離も分からない。そんな狭い道とか、さっき以上の惨状しか想像出来ない。
三人は車道の参道を下って、県道九二号線へと戻ってきた。
下りはさすがに早かった。だが、振動が一気に来たせいか、アスファルト舗装の道路に戻っても、まだ振動しているかのような感覚が残っている。これはじき、収まるだろう。
ここから山頂へ向かって進む。この辺は緩い登り坂でカーブも緩い。周囲は田畑が広がり、遠くには住宅が見えてくる。さらに遠くは山。山に囲まれている。
やがて集落に入ってきて、先ほどまで見なかった住宅が増えてくる。進んでいると消防団車庫が見えてきた。
車庫の前には看板が有り、この消防団車庫の裏側に建つのが、四十七番札所の
小さなお堂だが、堂内には両側に十三仏も祀られており、仏像がみっちり並んでいる。
読経まで終えてセルフ御朱印を捺すと、次へ進む。
と言っても、すぐの所。数十メートルしか離れていない。
ブロック塀の向こう側で住宅に溶け込むように建つのが、七十六番札所
こちらも両側に十三仏が並んでいるが、御本尊は奥に有る畳の間。どこかの家の仏間のような感覚だ。
こちらもセルフ御朱印まで終えて表に出てきた。
堂の前に出てくると、左前方に屋根が西鉄電車のようなエメラルドグリーン色の大きな建物が見えた。
これは県内でも少なくなった小学校の分校なのだそうだ。県内に数校しかない標高三〇〇メートル超えの小学校という。標高六○○メートルの小学校等も過去には存在したが、今では廃校になっている。その学校跡は現在スロープカー駅併設施設として、ギャラリーや資料展示館、おみやげコーナーとなっている。
というか、三〇〇メートルとか、そんな標高まで自転車で来たのか……。自分でもよく来れたと思う。
光先輩の話だと、久留米の
ここまで来れたのなら、最後まで行けそうな気がする。坂も緩いし。
――という想いは、小学校分校の横辺りから勾配が増していく道路が打ち砕く。
「なんですか……これ……」
重いペダルをなんとか回していく愛紗。坂に慣れた光先輩との距離が、少しずつ開き始めた。
ラスボスの後のボスラッシュ……なるほど。これは納得でき――ん? ラッシュ? まだまだボスが出るって事? 脚は持つだろうか。
不安を抱えながらヘアピンカーブを曲がると、勾配が緩くなった。
これなら行ける! と思ったが、短い直線の後のヘアピンカーブを曲がると、再び勾配はキツくなった。
なるほど。ボスラッシュだ。
この辺にもお寺が並ぶが、これらは札所では無いらしい。ここがゴールだったら、どんなに良かった事か。
しかし、お寺ゾーンを抜けると、再び勾配が緩くなった。ボス二匹目を撃破したらしい。
ボス三匹目を警戒しながら進んでいると、光先輩の背中が見えてきた。二人が追いつけるように、速度を落としていたようだ。
愛紗たちが追いついて右カーブを曲がると、遠くに大きな看板が見えた。看板にはお寺の名前が書かれてある。
「あれがゴールだよ」
それはパリの灯にも見えた。
リンドバーグ本人は航続距離を伸ばす為に視界を犠牲にした飛行機に乗っていたので、それがパリかどうか分からなかったらしい。
だが、愛紗にはゴールとなるお寺の看板がハッキリと見えていた。
ゴールが近いとなれば、脚も軽くなったような気がする。
「で、あと一キロぐらい登れば猫峠の山頂だけど、どうする?」
愛紗は全力で断った。そこまでの脚は無い。絶対死ぬ。
三人は『参道口』と赤字で書かれた看板の所を右折して奥へ進み、坂道を下ると広大な駐車場に到着した。
「着いたぁ……」
愛紗はハンドルバーにもたれ掛かるようにうなだれた。正直、もう少し坂が続いていたら、心が折れていたかもしれない。
「いやぁ、久々に猫峠登ったけど、やっぱ気持ちいいわ」
光先輩は平気そうな顔をしている。多分これは経験の差から来るものだろう。
「英彦山を思い出させるハードさだったな! きっと修行の場ってのは、自転車乗りにとっても修行の場なんだろうな」
部長はそう言うが、徒歩しか無い頃から修行の場なんだ。自転車で走ってもそうだろうと思うが、それを言う気力は無い。
駐車場で一旦、酷使した脚を休ませる。
「愛紗ちゃん。キツい方とキツくない方、どっちからがいい?」
またか。
だが、今回は答えが決まってる。
「キツくない方からでお願いします」
脚をもう少し休ませたい。キツくない方から――って、この駐車場でその選択肢?
と思ったが、駐車場に有る境内図を見て納得。
本堂までの道に階段が有る方と無い方。
階段が無いなら楽だろう。
――という想いを打ち砕く長い坂道の参道。さっきから、なんか裏切られ続けてる気がする。
「これ、本当にキツくない方なんですか?」
「階段よりはキツくないと思うよ」
まぁ、階段よりはキツくないと思うが……平地よりはキツい。
坂を登り切ると、
仁王像の間からまっすぐ延びる参道を進めば、三十六番札所の
天王院は、次に行く
秋には赤く染まる参道も、今は緑のトンネルとなっている。
御朱印は墨書。場合によっては朱印だけで筆書きは呑山観音寺で。また逆に呑山観音寺から行くと、天王院の分も先に筆書きだけという事も有る。
駐車場まで戻ってきた三人は、次の呑山観音寺へ向かう。
駐車場から坂道を登ると、広く大きくてキレイな階段が見えてくる。
この階段を登ろうとすると、光先輩に止められた。
「いやぁ、呑山さんだったらアッチから行かないと」
茶屋が並ぶゾーンを通ってきたのは、狭くガタガタとした古めかしい階段。階段の真ん中に有る手すりも、なんだか歪んでいるような気がする。
「――これは戒めの階段。ココロにやましいコトがあると踏み外してしまうんだって」
真剣な目で語る光先輩に、愛紗は固唾を呑む。
「ま、でもみんなやましいコトとか無いから平気だよね! 登ろうよ」
いつもの明るい声に戻って光先輩は階段を登り始めた。
「うゎっ!」
数段登った所で、踏み外しそうになった光先輩が手すりを全力で握った。
ギリギリで踏み外さなかった光先輩の動きが固まる。
ゆっくり振り向くと、愛紗と部長の冷ややかな目が突き刺さった。
「…………光先輩?」
「いや……ちがっ……あたし、やましいコトとか……」
顔真っ赤にして
途中の手水舎に寄ってから無事(?)階段を登り切ると、十六番札所の呑山観音寺だ。
手前に有った綺麗な階段は高野山開創千二百年記念で建てられた観音堂へ続く階段で、百体の観音様が祀られている。周囲はドウダンツツジや桜が有り、季節を彩る。観音堂からも本堂へは行けるので、心に闇をかかえた方はこちらからどうぞ。
本堂内は薄暗かったが、献灯・献香をしている間に目も慣れてきて、経本を読むのに問題は無かった。
本堂内で御朱印をいただいて、表へ出てくる。
「さ、これで上りは……そこの駐車場出る時だね。後は下り」
「あれ? でも公園の所が下りだったから、帰りは上りですよね?」
「そっち行かないよ」
「え?」
光先輩はどこへ行くつもりで?
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