第34話 日光の(出てるのに)怪談
「あのさぁ……辛くなるようなコト、言ってもいいかな?」
なんだろう。
「お花摘みたい。このままだと詰む」
ちょっと何言ってるか分かんない。
「――――トイレだよ」
光先輩の顔は見えないが真っ赤になっているのは、その口ごもった感じからも容易に想像できる。
この『お花摘み』と言うのは登山用語発祥の言葉で、どちらかと言えば青空の下で女が行う時に使う用語なのだそうだ。男だと『雉撃ち』とか『熊撃ち』になるらしい。格闘家だと『熊殺し』なのだろうか。
一般的に使われる場合は、青空ではなく普通にトイレを表しているという。人が居るような場所で行えば、お花摘みというか罪だ。
「さっき行っとけばよかったー! 近くにあったのに」
この言い方だと、この辺には無さそうだ。そもそも、木々とコンクリートブロック擁壁が見えるだけで、まず建物が見当たらない。
かといって、青空の下でする訳にもいかないだろう。
「戻るしか無いのか?」
さすがの事態に、部長が割り込んできた。
「上に行けば公園に。次の札所の入口は、そのちょい先」
「だったら、先行って入口で待ってて下さい。私は自分のペースで登って行きますから」
この辺は勾配が比較的緩い。愛紗も喋る余裕は有る。
「いいの? 途中で心折れたりしない?」
「いいですよ。緊急事態なんですから」
「分かった! ありがとぉ!」
光先輩は加速して登っていった。どうも自分に合わせてペースを落としていたらしい。本気を出してアタックを始めた光先輩は、あっという間にカーブを曲がって消えていった。
「はやっ……」
光先輩は今のペースだと公園まで持たなかったのかもしれない。
自分がもう少し山を速く登れればと思う。
いや、もう少し速くは行けると思う。現状、呼吸にはかなり余裕が有る。完走を目指す為に、息が上がらないようなペースで進んでいる。初心者や坂苦手な人がやりがちなのは、呼吸が限界で心が折れる事だ。
だがペースを上げると、体力が続くかどうかは分からない。まず、ゴールが見えないのでペース配分が分からない。
「平田よ、しばらく一人で大丈夫か?」
……まさか?
「私も行くぞぉ!」
部長も光先輩に続いて電動アシストをフル活用して加速していった。山登りキツいからと発展していったe-BIKE。山が一番力を発揮する。
ライドで一番重要なのはトイレのタイミングだな。いつ来るか分からないから、早めを心がけた方が良い。
途中見かけた時に行っててよかった。
そう強く実感しながら一人、マイペースで坂を登り続ける。
札所の入口は公園のちょい先と言っていたから、公園過ぎたら少しペースアップしてもいいのだろうか。
光先輩と部長が消えていった10カーブを曲がると、再び勾配がキツくなってつづら折りのヘアピンカーブたちが現れる。
モルタルを吹き付けた法面や木々が、ゆっくりと流れていた。
スピードなんて全然出ていないが、そこはもう気にしない。気にしたら負けだ。
途中下りが有るはず――有るよね? 本当に。無ければキツい。
でも、この上で光先輩と部長が待っているはず。
そこまでは――。
そこから無心でペダルを漕ぎ続ける。ちょっとした修行僧の気分だった。
カーブを曲がって法面がモルタル吹き付けから最近主流となっているワッフルのような形のフリーフレーム工法に変わってくると、上の方で道が切れているのが見えた。
あれは志賀島でも見た。
頂上だ。
「頂上? 猫峠、私でも行けたね!」
頂上まで一直線!
ペダルを踏む足にも力が入る。
――と思ったが、それを妨害するかのように後ろから冷たい空気が流れてきた。
(なんだろう……)
手前に有ったのはカーブ。木々と法面に囲まれて開けている訳でも無かった。風が抜けてくる要素が無い。
後ろを見ると、白い物が見えた。
よく見ると自転車に乗った人のようだ。
ずっと後ろに人は居なかった気がするが……。
白く細いフレームのクラシカルな自転車に乗った人物。
全身は真っ白の服で、長い黒髪を振り乱しながら近付いてくる。
冷気の原因はあの人としか――となると……例の?
「!?!?!?」
出た!
真っ昼間なのに出た!
犬鳴峠じゃないのに出た!
愛紗はすぐさま前を向いて、一心不乱にペダルを踏んだ。
追いつかれたら終わる! 取り憑かれる!
そうとしか考えられない。
すぐに上り坂は終わって、道路は下り坂へと変わる。待望の下り坂だが、ホッとは出来ない。
坂を下りていると『樹芸の森公園』という案内板が見えた。これが光先輩の言っていた公園だろう。
と言う事は、このちょい先に札所の入口があって、そこに先輩たちが居るはず……。
急ごう。
公園を通り過ぎると下り道は平坦、そして緩やかな上り坂へと変わる。
愛紗は全力で漕いだ。
恐らく、今までで漕いだ中では一番速度が出ていただろう。
しかし、サイコンの数字を見ている余裕なんて無かった。どれぐらいの速度が出ていたかは分からない。分からないが、体感的にはすごくスピードが出ていた気がする。
少し急な左カーブを曲がると、右側が開けてきて川が見えてきた。
美しい自然がどうとか、感じている余裕は無かった。全く無かった。
後ろを見ると白い幽霊との距離は少し離れたが、まだ追ってきている。
意外に速いぞ? あの幽霊。
愛紗は猫峠の道を突き進むと、右側に白い二階建ての建物と赤い橋が見えてきた。マイクロバスのうっすらとした文字からすれば峠の茶屋といった所だろうか。営業しているかどうかは分からない。人は……分からない。
それよりは確実に居る先輩たちの所まで走った方がいいだろう。
愛紗はまっすぐ進んだ。
その頃、次の札所入口で待つ部長と光先輩。
今居る場所は待避所になっている。この下からが雨量通行規制の始まりで、猫峠を下りてきた車がUターンできるようにか、この辺りだけ車道が広くなっている。
二人は、この地区の篠栗四国霊場巡拝図が書かれた大きな案内板の前で座っていた。
「……本当に大丈夫ですかねぇ、愛紗ちゃん」
光先輩は愛紗を置いてきたが、少し心配だった。この辺なら勾配もキツくないので、戻ってもよかったかなと思っている。
「まぁ、ずっと後ろから見ていたが、平田もスジはいいからな。私は大丈夫だと思うぞ。あれなら上まで行けるだろう。ほら、見てみろ」
遠くに人影が見えた。その人影は段々近付いてくる。
「あ、来た来た――って、ずいぶん飛ばしてない?」
「一人で寂しくなったのか?」
愛紗は二人の前に滑り込むように急停止した。
「ででで、出た! 出たんですよ!」
愛紗がクロスバイクから降りると、膝から崩れ落ちてしまう。光先輩が素早く動いて愛紗を支えた。
全力で漕ぎすぎて脚にキたらしい。
愛紗は地面に座り込んだ。全身から吹き出してくる汗が、アスファルトを濡らす。
「大丈夫? なんでそんなムチャしたの。別にそこまで急がなくてよかったのに」
「いやいや、出たんですよ、幽霊」
「ははっ! 平田はビビりすぎだろう。ここは犬鳴じゃあ無いんだぞ?」
「そういう話、ないワケじゃないんだけどね。犬鳴ほどじゃないけど」
なんて怖い事を言うんだ、地元民。
「で、どんな幽霊だ? 少し興味が有るぞ」
「あの、全身真っ白で、すっごい長い髪してて、白いクラシカルな自転車に乗ってたんですよ。すごいスピードで迫ってきて……」
光先輩と部長が顔を見合わせる。
やがて二人とも笑い出した。
「何がおかしいんですか! 本当に居たんですよ!」
冷やかしかと思ってるような二人の態度に、愛紗も怒りの感情が湧いてきた。
「いやぁ、それは本当に出たぞ、平田」
やっぱり幽霊じゃないですか!
峠とか、怪談の舞台になりがちでしょ。そばにその系統で有名な峠有るし。
笑えないよ……。
まさか、目の前に居る先輩たちも本物じゃないとか……?
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