第27話 速い姿、強い形へ
「……ん」
早速手順を教えようとした結理先輩だったが、動きが止まってしまった。
普段、メンテナンス等を行う時は次にどうするとか、手順をあまり考えた事は無い。自然に身体が動いているからだ。
いざ教えようとしても、頭の中で手順がスラッと出てこない。
「……ちょっと待ってて」
結理先輩は教える前に身振り手振り加えながら、エア整備を行って手順を確認する。
愛紗には、その姿が不思議な儀式をしている様に見えた。
やがて、結理先輩の頭の中で考えはまとまった。
「それでは……始める」
いよいよ始まる。結理先輩の言葉を聞いた愛紗は固唾を呑んだ。
「まずは……ラピッドファイヤーを内側へずらす」
「ララ、ラピッド、ファイヤァー?」
いきなりよく分からない単語が出て来た。
愛紗が戸惑っていると、
「ラピッドファイヤーって、ソレよソレ」
と光先輩が指さしていた。その指の先には、グリップの内側に付いたブレーキレバーが有る。
「ブレーキレバーをラピッドファイヤーって言うんですか?」
「正確に言えば、シフトレバーのコトだけどね」
シマノのMTBシフトレバーは、単体、ブレーキ一レバー体型問わずにラピッドファイヤーと呼ぶ。
うっかりトリガーシフターと呼ぼう物なら、シマノ好きの人に怒られるだろう。それはSRAMの製品になるからだ。
愛紗のクロスバイクに付いたブレーキレバーは、シフトレバーと一体になっている。現在はグリップにくっつく様に付いており、バーエンドバーを付ける分、内側へと移動させないといけない。六角レンチでボルトを緩めれば動くので、左右とも取り付け角度が変わらないように内側へ動かす。
「次は……抜く」
「何を!?」
相変わらず結理先輩は説明が足りない。解読が必要だ。
結理先輩は手を横に動かしていた。今動かしたのは、シフトブレーキレバー。
となると、次に手を着けるのは予測出来る。
「これですか? このグリップですか?」
「そう」
愛紗はグリップを掴んで引き抜こうとしたが、動かなかった。グリグリと前後に動かそうとするが、これもまったく動かない。簡単に動かれても、乗っている時に困るのだが。
「抜けるんですか? これ」
「……抜ける」
どうやって抜くのだろう……。
愛紗は悩んだ。
しかし、結理先輩はそれ以上に悩んでいた。過去に自分のクロスバイクで同じ様な作業を行ったが、グリップをどうやって抜いたか思い出せない。交換作業をやったのは、人生でその一回だけだ。
どうやって……抜いたのだろう。
とはいえ、抜く為の方法なんて限られている。どれかを試せば大丈夫だろう。
「方法は……二つ」
結理先輩は指を二本立てた。
頭の中で方法を探りながら、語り始める。
「一つ目は、爪楊枝や竹串の様な物をグリップとハンドルバーの間に挿して、その隙間からゴム対応のパーツクリーナーを吹く。それで動かせば抜ける……はず。もう一つは……カッターでグリップを切って強引に剥く」
「カッターで切っちゃうなんて、かわいそうです!」
その愛紗の悲痛な表情に結理先輩は、
(なぜそこまで……)
と思った。
しかし、そう言うのであれば、仕方無い。
「なら……パーツクリーナーで」
「えっと、つまようじつまようじっ……と」
結理先輩の言葉で、光先輩が動き始める。
冷蔵庫の上にあるポリ容器の中から、爪楊枝を一本取りだした。
「パーツクリーナーは……コレ」
次に部室の端に並ぶスプレー缶の中から、背の高かった黒い缶を掴んで作業場へ戻ってきた。
「これ、なんで爪楊枝でやるんですか?」
愛紗は爪楊枝とパーツクリーナーを受け取りながら聞いた。
「金属のトガったヤツとかだと、ハンドルバーにキズ付いちゃうし」
言われればそうだ。
一人納得しながら、クロスバイクのグリップとハンドルバーの間に爪楊枝を挿した。グリップとハンドルバーの間に隙間が出来たので、そこにパーツクリーナーのノズルを挿して、ノズルボタンを押した。スプレー缶の中身が勢いよくノズルの先から吹き出したので、慌ててボタンから手を離す。
「うっわ……大丈夫ですか?」
「パーツクリーナーってすぐ乾くし、大丈夫なんじゃない?」
光先輩は楽観的だ。愛紗は本当かどうか怪しむ。
が、
「それより、早くしないと乾いちゃうよ」
「え? ええ?」
その言葉に愛紗は慌てて爪楊枝とノズルを引き抜くと、グリップを前後にグリグリと動かした。動きそうも無かったさっきとは違って、うねうね動くのを感じる。
「あ、なんか行けそう」
グリップを前後に動かしながら外側へ少しずつずらしていく。最後はスポッと一気に抜けてしまった。
「抜けたぁ……」
と感動している場合では無い。反対側がある。
一度コツが分かれば、簡単だ。反対側はあっさり抜き終わった。
「後はハンドルバーを綺麗にしてグリップ、バーエンドバー、エンドキャップを付けたら終わり」
「あとは付けるだけかぁ……。外すのに苦労したから、付けるのも大変な事に――」
「ならないね、多分」
と光先輩があっさり。
手には部長から貰ったグリップと六角レンチを持っていた。
「コレ六角で止めるヤツだよ」
「普通のグリップなら、水やパーツクリーナーで濡らしてゴムかプラスチックのハンマーで叩いて挿入……でも、これはアーレンキーで締めるだけ。角度とかも調整し易い。ちなみに、バーエンドバーもアーレンキーで締める」
アーレンキーは六角レンチの事。こう呼ぶ人は自転車好きか、自転車に関わる職業の人がほとんどである。なお、アーレンさんが開発したのでアーレンキーと呼ばれている。
愛紗はトップチューブの所に跨がり、手の平を置く角度を確認しながらグリップを取り付けた。
バーエンドバーも、踏み台を持って来て足を乗せ、サドルに座りながらバーエンドバーに手を乗せて角度を確かめる。
片側の取り付けが終われば、反対側のグリップとバーエンドバーを取り付ける。先程取り付けたグリップとバーエンドバーに角度を合わせれば微調整で終わるので、時間はかからない。
「終わったぁ!」
両方のグリップとバーエンドバーの取り付けが完了した。最後に負荷をかけてぐらつきが無いか、確かめる。
愛紗はクロスバイクから降りて、取り付けたグリップとバーエンドバーを眺めた。
これらを自分で取り付けたとおもうと、感慨深いものが有り、思わず顔もほころぶ。
「いや、バーエンドキャップ忘れてるし」
「……え?」
光先輩の一言で一気に現実へ戻された。
光先輩が手にしていたのはバーエンドキャップ。グリップに付いてきたパーツで、ハンドルバーの端に取り付ける物である。
まずはハンドルバーの端に有る穴に、キャップのベース部分を入れる。ベース部分はネジを締めると内側のゴムが膨らんで、ハンドルバーの中で固定されるタイプ。固定が終われば、薄いキャップを上から嵌めて終了だ。
「っしゃあっ! 今度こそ終わったぁ!」
ハンドルを握ってみた。このグリップは手のひらを置く部分がヒダ状になっており、通常のグリップよりもクッション性が有る。素手で握っても少し柔らかさを感じた。グローブを付けずにちょっと出かける時も、グローブ付けてそれなりの距離を走る時も、役に立ってくれそうだ。
ハンドルを触っていると、自分の自転車が少しずつ充実してきているのが実感出来て、なんだか笑みがこぼれてくる。
「フフ……フフフ……」
「だ、大丈夫? 愛紗ちゃん」
――いらぬ心配をかけてしまったようだ。
「その気持ち……分からなくもない」
結理先輩が静かに語り出した。
「シマノパーツを取り付けた時に『また一歩、完全シマノに近づいた』と嬉しくなる」
私は完全シマノを目指してない。
と言うか、結理先輩のクロスバイクのどれがシマノじゃないんだ? 全部シマノだと思ってた。
「そう言われると、あたしもゴールドパーツ付けると嬉しくなっちゃうね」
先輩たちとはセンスが全く違う。
そう強く実感した愛紗だった。
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