第26話 カドのたい焼き

 いつもの部室荘のいつもの部室。そこにはいつもの三人。

 梅雨の時期だろうが、自転車愛好部の日常は変わらない。

 今日は机を囲むように、光先輩、結理先輩がイスに座り、愛紗は立っていた。

 愛紗の前には茶色の紙袋が有る。

「ドラムの人、どうぞ!」

「ジュエリーの通販番組か!」

 ドラムロールの音は無いが愛紗がガサガサと音を立てながら茶色の紙袋を開けると、中からまだ温かい丸々とした鯛焼きが出てきた。

「おぉ……」

 結理先輩が目を輝かせつつ、声を漏らす。この鯛焼きは、まだ食べた事が無いらしい。

「黒あんも好きだけど、あたしはカスタードが一番好きだな」

 と、光先輩。これは何度も食べている人なコメントだ。

「じゃあ……黒あんいらない?」

「いや、いる。別にいらないとは言ってないし」

 間髪入れずに光先輩が言った。

 ここにある鯛焼きは三匹とも黒あん。どれを選んでも同じだ。結理先輩と光先輩は鯛焼きを手に取った。

 愛紗も残った一つを取って、尻尾からかぶりつく。

 薄めでパリッとした香ばしい皮に、先までみっちり詰まっている大納言小豆を使用したあん。

 食べた感想はと言うと、

「うまいっ!」

 この一言に尽きる。

 この鯛焼きはどうしたかと言うと、部長が家の近くの鯛焼き屋で買ってきた物。一度帰宅し、再び学校へ来る前に買ったそうだ。

 その部長は鯛焼きなどを置くと、すぐに帰ってしまった。

 なので部室には三人しかいない。

 この自転車愛好部の部室は学校内でも辺境の地に有り、先生もあまり来ない事から部室内ではみんな結構好き放題やっている。部室内に有る冷蔵庫も、色々理由を付けた過去の部員が設置した物だと言う。いつから有るのかは、誰も知らない。部長が入部した時には、既に有ったそうだ。

 先生が見てないとはいえ、こんな事やってていいのだろうかと愛紗は思ってしまうが、美味しいのでヨシとする。

 部長が再び学校に来た理由は鯛焼きを届けたかったからでは無い。

 これはおまけ。

 本題は机の真ん中に置いてある。

「で、どうするの? コレ」

 鯛焼きを食べ終えた光先輩が言う。

 机の上に有るのは、エルゴタイプと呼ばれる人間工学に基づいた外側が幅広のハンドルグリップ。通常の円柱型とは違い、これはハンドルの面が増えて力が分散される為、長距離走った際の手への負担が軽減される。

 そしてもう一つがグリップの内側か外側に付けるバーエンドバー。ハンドルバーのエンドに付けなくても、バーエンドバーと呼ぶ。

 これらは部長が「余っているから、使っていいぞ!」と置いて帰って行った。

 パーツが余るという状況が理解出来ない。余るだろうか、普通。

 見た感じでは使ったような形跡がほぼ見られず、新品か新品同等のような感じがする。

「私のは……すでに付いている」

 結理先輩のクロスバイクは初期状態でバーエンドバーは付かないものの、エルゴタイプのハンドルグリップが付いていたそうだ。それらを換装してバーエンドバーを付けたという。

 多分、どっちもシマノだろう。結理先輩の事だし。

「となると……私、ですか?」

 光先輩はロードバイクでハンドルの形状が違うので使えない。フラットバーに換装する予定も無い。

 となれば、あとは愛紗しか使える人が居ない。

「え……いいんですか?」

 突然のプレゼントに嬉しい反面、本当に貰っていいのか戸惑う。

「いいよいいよ。こうやってプレゼントするか、売らないとうえパー姉さんの家が自転車パーツであふれかえる――いや、もうあふれかえってるのか?」

 一体どんな家なのだろう。自転車屋のように綺麗にパーツが並んでいるのか。ゴミ屋敷のように雑多にパーツが置かれているのか。

 怖いもの見たさで見てみたい気はする。

「それでは、いただきます。ありがとうございます。これで坂道は走りやすくなりますか?」

「取付角度にもよるけど、前傾めの姿勢になるから、ペダルに力はかけやすくなるかな?」

「それは楽しみですね」

「で、早速付けちゃう?」

 今日の天気は曇で、降る予報は出ていない。急な雷雨が有るかもしれないが、今は考慮しない。

 となれば、自転車を持ってくるのは全く問題が無い。

「すぐ取ってきます!」

 残りの鯛焼きを口の中に押し込んだ愛紗は、ダッシュで部室を飛び出していった。


 しばらくして、愛紗が戻ってきた。

「ハァ……取ってきました……ハァ……」

 息を切らせながら駆け込んできた愛紗。はやる気持ちが抑えられなかった。誰が見ても汗が吹き出しているのが分かる。

「そこまで全力で来なくても。別に逃げやしないし」

 作業場で待つ光先輩は、工具箱を出して準備していた。

「待たせるのも……悪いと思いまして……」

 愛紗は呼吸を整えたが、汗はまだ止まらない。

「ほい」

 光先輩が白い綺麗なタオル投げ渡した。愛紗はタオルで汗を拭き取る。

「そいじゃあ、始めよっか」

 愛紗が汗を拭き終わったのを確認して、光先輩が言った。

「まずは――――何から始めればいいの? ユリ」

 取り付けを始めようとした光先輩だったが、よくよく考えたら付け方を知らないのに気付いた。

「…………知らないの?」

 驚いたのは結理先輩。イスから立ち上がりそうになった。

 光先輩が何も知らずに話を進めているとは思っていなかった。まさかこっちに振られるとは。

「いやぁ、よぉぉく考えたらさ、あたしクロスバイク乗ってた時って、ほとんどお店でやってもらってたからさ。いや、タイヤやチューブの交換ぐらいは自分でするよ? ここにあるロードバイクのコトはだいたい自分でやってると思うけど」

「結構私がやってる気がする……」

「そだっけ?」

 光と出逢って一年以上。彼女が感謝してないとか、無かった事にしているとか、そういう訳ではないのは理解しているし、彼女が何もしていない訳じゃないのも知っている。

 そもそも、光のような乗り手には手の掛からないよう、整備は万全に行ってるつもりだ。

 元々、自転車愛好部にはメカニックとして入部した。自転車を弄る事自体は、苦とも思わない――ノーメンテでボロボロになった自転車以外は。そういう自転車の人には、もうちょっと自転車に愛情を注いで欲しいと思う。

 しかし、今の会話から光がクロスバイクの整備を何も知らないのを察した。チューブの交換のように補足していくだけなら楽でいいが、光が何も知らない以上、やり方を一から全部自分で説明しないといけない。教えようとした光に聞かれたが、間を挟まずに直接教えた方が早いだろう。

 教えるのはあまり得意ではない。そう思うと、気が重くなってしまった。

 自分でやってしまった方が早いし確実と言える。

 だが自転車の持ち主は自分でやりたそうな目でこっちを見ている。やらせてくれそうも無い。

 かといって、このまま放置も出来ないだろう。

 もう選択肢は一つしかない。

 結理は深い溜め息を吐いた。これで重くなった気持ちを全部吐き出したつもりだ。

「……いいよ。教える」

 結理と愛紗、二人の試練が始まる。

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