第25話 ボンベの魔法でえあイン! かんりょー♪
なんとかチューブの交換練習が終わった愛紗。
その手を見ると、真っ黒になっていた。
「うっわ! なにこれ」
黒くなる要因。
部室を見回せば、見えるのは薄汚れたタイヤの付いたホイール。そのリムにはブレーキシューの黒いスジが付いている。
愛紗は壁に立てかけられたホイールを鋭い目つきで見た。
「――犯人は、こいつです!」
愛紗はさっきまで触っていたタイヤを指差した。
当然の事ながら、指摘された犯人は黙っている。
これで喋られるような口が付いているのなら、それは戦前にダンロップが自転車・人力車用タイヤの宣伝として出した新聞広告のキャラクター、もしくはBFグッドリッチや、その合弁会社だった横浜ゴムのキャラクター、スマイレージだ。
横浜ゴムは販売店が分かりやすいようにとスマイレージをシンボルマークとして採用したが、スマイレージの笑顔は別の意味で人々の心に深く刻まれてしまった。ロゴが変わってスマイレージが使われなくなってから長い年月が経つが、インパクトが強すぎたせいか今でもチョイチョイ現れる。
「あー、汚れるよね。ソレみたいに使い込んでるタイヤだと」
指差した時に手の汚れが見えた光先輩は、愛紗がなんの事を言っているのかすぐに分かった。
光先輩は
「裏で手が洗えるから、おいでよ」
愛紗は手を洗う為に、光先輩と部室を出た。
外はまだまだ弱い雨が降っていた。熱気と湿気が入り交じった物が、じっとりと素肌にまとわりつく。ちょっと嫌な気分だ。
光先輩に傘をさしてもらい、部室荘の裏へと回ってきた。
そこにはコンクリートで出来た足も洗える手洗い場が有った。手洗い場の上のところには白に緑のラインが入った四角いポンプボトルが乗っかっている。
汚れていない手の甲でポンプヘッドを押すと、白い液体がとろっと手の上に出てきた。光先輩が「水を付けずに先にこすって」と言うので、手をゴシゴシとやる。スクラブが入っているせいか、小さい粒を手で感じる。普通のハンドソープと違って、ザラザラしていた。
丹念に洗うと、最後に水でハンドソープを流す。あんなに汚れていた手が綺麗になってしまった。アロエエキスの効果かどうか分からないが、手がサッパリした気分だ。
今回は学校だから手は洗えたが、出先だとどうするのか、疑問に思う。
水を止めた所で、
「そういえば、愛紗ちゃんのクロスバイクに付いてるタイヤって28Cだよね」
と、光先輩が話し始めた。
タイヤやリムには規格が存在する。
フランス規格に絞って話すと、まずはリムの大まかな大きさを決める700と650。ロードバイクやクロスバイクは700、マウンテンバイクやグラベルロード、小柄な人向けのロードバイクやクロスバイクの一部で使われる650が使われる。
そして先程出てきた数字は、タイヤの太さを表す。28Cは大体28ミリ。大体と書くのは、メーカーによって少し太かったり、少し細かったりする場合が有るからだ。
後ろのCはリムの規格を表す。AからDまで有るが、国内では700のC、650のB、Cぐらいしか見ないだろう。タイヤはこれらの数字を組み合わせて700x28C等と書かれたりする。タイヤの幅が太くなるほど、タイヤを含めた外径が大きくなる傾向に有る。
タイヤはキッチリサイズが決まっているが、チューブに関しては多少の幅が有る様になっている。20-25や18/25のように表記されており、その範囲のタイヤ幅に対応している。チューブはその他にバルブの種類(仏式、英式、米式)やバルブの長さで違いが有る。
「さっきインフレーターの話したけど、アレだけだと走るには足りないかもしれないよ」
タイヤが太くなると、同じエアの量を入れたとしても空気圧が低くなる。太くなればチューブには多くのエアが必要になるからだ。
一般的なボンベは16g。これを使うと23Cは約8BAR、25Cは約7BAR、28Cは約5BARになる。太いタイヤ用に20gや25gのボンベも有る。20gを使えば、28Cでも約7BARまで入る。
推奨の空気圧はタイヤによって違いが有り、好みの空気圧も人によって変わる。少なめのボンベである程度までを一瞬で入れた後、携帯ポンプを使って追いエアという手も有る。
「あと、インフレーターで入れるとエアの抜けが普通より早いからね。帰ってから抜いてフロアポンプで入れ直すか、こまめに空気圧のチェックしないとね」
「……なんか、インフレーターってデメリット多くないですか?」
「でも、何分もかけてシュコシュコやる作業が、何カ所か回す作業をすれば一瞬で終わるんだよ? メリットの方が大きいよ」
さっきゼロから空気を入れたが、慣れていないせいで手が疲れたかと思っていた。
慣れている人でも疲れるのだろうか。パンク修理作業に慣れてると言うのも、変な話だが。
その辺は実際にパンクして、屋外で空気入れを体験しないと分からないのかもしれない。
「そう言えば、携帯ポンプとかボンベってどうやって持っていくんですか?」
「あー、携帯ポンプならフレームに付けられるのもあるし、他にもサドルバッグってサドルの下に付けるバッグとか、ツールボトルってボトルケージに置けるヤツとか、あとはユリみたいにサイクルバッグに入れるか。アレはお土産入れにもなってるけどね。美味しそうなの見付けたら、スグ買うからさ、ユリは」
今の愛紗のクロスバイクには、光先輩が挙げた物がどれ一つも無い。また課金が必要になるのかと思うと、少し気分が落ち込む。自宅用のフロアポンプは買ったものの、まだまだ足りない物が多いというのに。
でも、自転車の装備が揃っていくのはいいことだ。
ゆっくりでも、少しずつ自分の自転車ライフが充実していくのも悪く無いかもしれない。
そう思うと、前向きになってきた気がする。
「おっ」
目視や音で感じていたが、傘の外に手を出してかざした光先輩が言う。
「雨、やんだみたいだよ」
そう言いながら光先輩は傘を閉じて、空を見上げた。
「このままやんで、晴れてくれるといいんだけどねぇー。そうなると更に蒸し暑くなっちゃう、かなぁ?」
愛紗も空を見上げる。空はまだ厚い雲で覆われていた。
自転車に関しては、まだまだ無い物、知らない物が多すぎて、この空のようにどんよりとした気持ちになるかもしれない。
でも先輩たちが吹き飛ばして、晴れた気持ちにさせてくれる。
そう信じてる。
今年は、アツい夏になる予感がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます