第24話 セカサーファス、シロ!
「あー、ユリ始めちゃったんだね」
愛紗が寄って来たのに気付いて、再チェックを始めた結理先輩を見た光先輩が言う。
「まぁ、チューブ交換だけならそんな広いスペースも要らないし、こっちでやるかぁ」
光先輩が愛紗の前に白いラインが入っている薄汚れたタイヤの付いたホイールを置いた。空気をパンパンに入れたのか、少し跳ねる。そんなに入れる必要はあったのだろうか。
ホイールの真ん中にスプロケットが付いているので、これはリアホイールだ。
「で、これがチューブね。いつのか分かんない古いヤツだけど、練習で空気入れるなら大丈夫と思う」
光先輩は折り畳まれてゴムでまとめられた黒いチューブも取り出した。
「チューブって、古いと駄目なんですか?」
「ゴムって紫外線や酸素で劣化していくからね。短期間でダメになるってワケじゃないけど、仏式だと高圧になるから長期間置いて劣化したのよりは新しい方がいいと思う。交換してすぐにパンクとかしたら悲しいでしょ?」
「確かに」
「まずはタイヤの空気を抜いて、バルブの根本にあるバルブナットを取る」
愛紗はバルブキャップを外し、バルブヘッドを緩めて押した。プシューーーーッと音をさせながら、チューブの中に有る空気が抜けていく。勢いよく吹き出す空気は冷たく、指先をひんやりさせてくれる。
バルブヘッドを押しても空気が出なくなったら、バルブナットを緩めて取る。チューブによってはバルブナットが無いのも有る。
「次に、タイヤレバーでビードをリムから外す」
「ビード? ……コマネチ!」
「冗談じゃないよ――って、ダンカンばか野郎!」
ビードは、簡単に言えばタイヤの縁部分である。
ビードは芯材の違いで二種類有り、安いが重い鋼線のワイヤービード、軽いが高い特殊繊維のケブラービード。
見分けは簡単で、丸いタイヤの形で売られていたらワイヤービード、折り畳んでコンパクトな形で売られていたらケブラービードになる。折り畳まれているのでフォルダブルとも呼ばれる。
「で、このタイヤレバーを――って、ちょっと待って」
タイヤレバーを出し忘れていたようだ。工具箱から、少し長めでアーチを描いた青いタイヤレバーを出してきた。三本のタイヤレバーが重なっている。
「タイヤレバーってメーカーやブランドで形が違っていて、こだわり出すとタイヤレバー沼にハマるよ。他人が高評価でも、自分に合うかどうかは分かんないからね。あたしはコレが使いやすい」
「フッ……」
結理先輩は黒く平たいタイヤレバーを持って、誇らしげにアピールしていた。結理先輩のことだ。きっとあれもシマノなんだろう。
愛紗は結理先輩ではなく、光先輩からタイヤレバーを借りることにした。使いやすいって言うし。
借りたタイヤレバーは先が細くなっており、先っぽが曲がってちょっとしたフックのようになっている。これをリムとビードの隙間に挿して、レバーをスポーク側に倒してビードを引き出す。タイヤレバーはスポークにかけられるようになっているので、かけて固定する。
少し離れた場所に二本目を挿す。ビードを引き出してタイヤレバーを抜き、また少し離れた場所に挿してビードを引き出す。ここまで出せば、あとはビードとリムの間にタイヤレバーを挿し、そのままリムに沿うように動かして残りのビードは引き出せる。そのまま一周すれば作業終わりだ。
「手際いいね。次にバルブを外してチューブを引きだして」
タイヤレバーを外した後、リムから突き出たバルブを押して、バルブの辺りを掴んでチューブをタイヤの中から引きずり出した。
「なんか……実際やってみると、意外と簡単ですね」
「大昔、ミシュランの中の人がパンクすると交換に時間がかかるからと、この仕組みを開発したとか。ビバンダムくんに感謝しなきゃね」
「ありがとうございます、ビバンダムさん!」
開発したのはミシュラン兄弟であって、ビバンダムくんではない。
「その頃は、リムに接着剤で付けてたんだって。そりゃ交換もタイヘンだよね」
「それが……今でもレースで使われるチューブラー」
結理先輩が補足。
今は接着剤だけでなく、チューブラータイヤ用の両面テープも有る。
なお、プロがレース中にパンク等した場合は、ホイールごと交換している。チューブラータイヤをくっつけた予備ホイールに交換するのが一番早いからだ。パンクしたタイヤの付いたホイールは、タイヤは剥がして破棄し、ホイールに新しいタイヤを付けて予備用に使い回す。
「ところで、ビバンダムくんってなんで白いんですか? タイヤは黒いのに。黒いと悪役っぽいからですか?」
「………………なんで?」
光先輩は少し考えてみたが答えが出そうにもないので、結理先輩に丸投げした。
「彼が生まれたのは前々世紀……その頃のタイヤは天然ゴムの白とか、輪ゴムの様な茶色だった。その色?」
という説も有るが、公式には当時の白い包装の色だそうだ。高級品なので包んでいたという。色が黒い時代も有ったようだが、文字通り黒歴史になっている。
現在タイヤが黒いのは、イギリスのインディアンラバーグッタペルチャ社に在籍した化学者の技術を元に、アメリカのBFグッドリッチが炭素微粒子を混ぜて耐久性を飛躍的に向上させたゴムタイヤを作ったからである。なお、現在BFグッドリッチはミシュランの一ブランドとなっている。
「んじゃあ次。パンクした時は、ここでタイヤの中や外を確認する。異物が残ってたら、交換してもすぐにまたパンクしちゃうからね」
愛紗はホイールをを回してタイヤの外観を確認、タイヤの中に指を挿入して中を確認する。
「次はチューブにほんの少し空気を入れて、バルブを穴に通してから回りに入れていく」
空気を少し入れるのは、捻れやビードに挟むのを起きにくくする為だそうだ。
愛紗は新しいチューブにフロアポンプで少し空気を入れて、タイヤの中からバルブをバルブ穴から出す。そして残りのチューブをタイヤの中に入れていった。
「ビードは手でハメていける。最後は固いから素直にタイヤレバー使った方がいいけどね」
本当かどうか怪しんだが、ビードは手でリムに嵌まっていく。一周して最後は固かったので、言われた通りタイヤレバーを使ってリムに収めた。
「で、バルブを一旦押してから、両側のタイヤとリムの間からチューブがハミ出してないか、タイヤを真ん中の方へ押して確認。これしておかないと、空気入れた時にビードとリムにチューブが挟まってパンクするよ」
バルブを押すのは、バルブ回りが特に挟み込みが起きやすいからだそうだ。バルブを押してタイヤの中にチューブを収めてから、タイヤをズラしながら一周してチューブを挟んでいないか確認する。一周終わったら、反対側も確認する。
「後はバルブナットを締めて、空気を入れれば終わり」
「ふぅ……。なんとか出来ましたね」
あっさりと終わってしまったので、愛紗は拍子抜けだった。やる前はもっと難しそうに思えたのだが。
「実際にパンクした時は、ここからが地獄だけどね」
「え?」
「だって、ココはフロアポンプあるけど、出かけた先でフロアポンプ無いでしょ?」
確かにフロアポンプを持って走っている人は見た事が無い。そう断言出来るほど見た訳では無いが。
「出先で空気を入れるのは二択。まずは携帯用のポンプとポンプアダプターのセット」
光先輩は工具箱から黒くて棒のような携帯ポンプと、短いホースとポンプヘッドがセットになったポンプアダプターを出してきた。見た目がフロアポンプとは大きく違うし、コンパクトでどこかに入れて持ち運べそうな大きさだ。
「コレは空気圧ゲージがPSI表記だけど付いてて、直接空気を入れると死ぬほど辛いけど、ポンプアダプター使えば地面に立ててやれるから、使える。それでも百回以上やんなきゃダメだけどね」
光先輩は携帯ポンプの持ち手を持って動かし、シュコシュコと音をさせながら説明する。あれを百回やれって結構大変そうだ。
「も一つがコレ」
光先輩は携帯ポンプとポンプアダプターを工具箱の横に置くと、今度は銀色の小さなタンクのような物を取り出した。
「コレはCO2インフレーター。百回以上シュコシュコしなくてもいい魔法のアイテム」
「こっちの方が便利じゃないですか」
「でも一発やったら終わり。使い捨て。課金して新しいボンベ買わないとダメ。ボンベに巻いてる断熱材は捨てないでね。気化熱でボンベが凍結するから、手を守る為に付いてるの。使いきりだから複数回パンクした時に備えてボンベ複数本持っていくか、携帯用ポンプ持っていかないとね。あと、ゲージはナイ訳じゃないけど大半は付いてないし、ゲージ付は初期投資がいい値段する。まぁ、ゲージ付いてても一瞬で入っちゃうから、調整難しいと思うけどね」
「それは悩みどころですね」
「まぁ、そもそもコレらが役立って欲しくないんだけどね」
役立つということは、パンクしたということだ。快適な走りが阻害される、嫌なイベントだ。
「ところで、複数回パンクするのに備えて、予備チューブも複数本持っていった方がいいんですか?」
「持って行けるなら持っていってもいいし、ゴムのり使わなくても貼れるパッチという手もあるよ。まぁ、ロードやクロスは空気圧が高めだから、早めにチューブごと交換した方がいいんだけどね。あくまで応急処置。予備チューブは、運が良ければ自転車屋見つけて手に入れるコトが出来るかもしれないしね。あとは……コレ」
光先輩は、工具箱から長方形の平べったい謎物体を取りだした。
「これはタイヤブート。タイヤが裂けた、穴開いたという時の応急処置。タイヤの中で使うヤツね。タイヤに穴が開くと、パンクの確率が高まるからね。とりあえず塞いで、早めにタイヤ交換」
「タイヤ交換って、さっきの工程でチューブ外した後にタイヤ外せばいいんですか?」
「そ。タイヤを交換するなら、中にリムテープってのがあるから、ついでに交換してもいいかもね。普通ならリムテープは年一回ぐらいの交換でいいけど、パンクしたチューブに空気を入れてみてバルブがある内側に穴が開いてたら、早めに交換。リムが原因でパンクしてるからね。リムテープはリムより少し幅広のモノを買うといいよ。小さいとズレるから」
意外と細かくメンテが必要なんだなと思う。だからホイールを外しやすくしているのかもしれない。
「で、どうする? 空気はコッチで入れてみる? インフレーターは高いから別の機会ってコトで」
光先輩は置いてた携帯ポンプを持って振って見せた。
どうみても、これで入れろってアピールだ。
愛紗はいい経験だと、携帯ポンプで入れてみる事にした。
このポンプヘッドは部室に有るフロアポンプと逆で、レバーを立てることで固定になる。後は携帯ポンプを地面に突き立てて、持ち手を持って上下に動かしてポンピングを始める。この携帯ポンプに付いているゲージは100PSIまで測れる。今付いているタイヤに書いてある最大空気圧はもっと高めだが100PSIは大体7BARぐらいなので、とりあえず走るのは問題無いのだそうだ。数字が書いてあるからといって、最大まで空気を入れる必要はない。
にしても、一回のポンピングでゲージの上がりが僅かすぎる。なんで百回以上もポンピングが必要なんだろうと思っていたが、今なら分かる。
早くやれば疲れるし、ゆっくりやればいつまでも終わらない。これなら課金してでもインフレーターを使うのも納得だ。
もう何回ポンピングしたか覚えていないが、無の境地でポンピングを繰り返して、なんとかゲージの一番上まで入れる事が出来た。
「うぅぁぁーっ、手が疲れたぁー」
愛紗は手を振る。
これをライドの途中でしたくないなぁと思ってしまった。無駄に体力が持って行かれてしまう。
でも、いつの日かパンクしてやらなければならない時が来るかもしれない。
この体験は今後に生かしたいと思う愛紗であった。
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